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#30 愛は尊い、愛は疎い

黒光りする素材、小さな窓の連なり、細長い銀色の金属の取っ手などで構成された家の扉にあなたの姿が完全に隠れたのを確認し、歩いてきた道を振り返る。


あなたに優しい美女が集る理由やあの扉の奥を見透かしたいけれどそんなことは到底出来ず、瞼の裏にはパッとあなたの顔が浮かぶものの、まだ脳にはあなたの笑った顔は焼き付けられてはいなかった。


あなたに美女が集まる理由を、恋のドキドキと、あなたが驚く危なっかしさから生まれるドキドキを美女たちが履き違えているからだと考えてみたり、母性のようなものを擽るからだと考えてみたりしても、冬の籠ったニオイはいい方に転ばず、私の中に籠ったあなたのために役立てていない蟠りから来るニオイと、それが似たニオイのように思えてきた。


自分が鳴らす靴音、トラックの揺れる音、バイクや自動車の走行音などを掻き消すように耳にイヤホンの丸を突っ込み、あなたの好きなバラードをあなたも心地よく聞ける音量で流した。


前からおばさんが現れ、手には白いビニール生地に緑の細い線で不気味なネコのキャラクターが描かれたコンビニの袋をぶら下げており、そのネコは商品によってパンパンに太らされていた。


あなたに占領された脳に導かれてやってきた見知らぬ道の見知らぬコンビニの前には、坊主と呼ぶには長く、短髪と呼ぶには少々短い馴染みの横姿があり、一瞬で先輩だと判別した。


肩の皮膚に鞄の持ち手を食い込ませながら、あなたの手を握っていないと落ち着かない手をスカートの滑らかさで宥めていたが、手はあなたのような皮膚感を常に求めていて、私はブニョッとするイヤホンの素材を耳の穴から即座に切り離していた。


あなたのために何かしたい、あなたの悩みを消してほしい、先輩の力も借りたいという一心で、先輩に憧れている熱狂的な後輩の如く呼び掛け、頭を勢いよく下まで下げ、勢いよく元に戻した。


「あれっ、菜穂ちゃんの家ってこの辺なの?」


「いえ、玲音くんを送った帰りなんです。先輩の家もこの近くなんですか?」


「そうだよ。このコンビニから5分もかからないくらいのところだよ」


「ああ、そうなんですね。玲音くんの家と意外と近いんですね」


「そうみたいだね」


「あの、それってケーキですよね?」


「あっ、これ?そうだよ。これは妹の誕生日用。今日は妹の誕生日だけど両親は共働きで家にいないんだ。だから練習早く切り上げてきたんだ」


「妹さん誕生日おめでとうございます。先輩って優しいんですね」


「そうでもないよ。妹にケーキを買ってあげてるなんて普通のことだし、安いコンビニのケーキしか買ってあげられてないし」


「それで十分です。先輩の新たな一面が見られて良かったです」


「ありがとう。あのさ、菜穂ちゃんにお願いがあるんだけど、いいかな?」


「何ですか?」


「菜穂ちゃんを好きっていう気持ちがどうしても消せなくて。このまま好きでいてもいいかな?あとさ、俺と友達になってくれないかな?」


「好きでいてもいいですし、友達にもなりますよ。あの、私からもひとつお願いしていいですか?」


「うん、何?」


「玲音くんのこと、一緒に守ってくれませんか?」


「うん、いいよ。一緒に守ってやる」


「ありがとうございます」


「あのさ、俺からもうひとつお願いしたいんだけど、いいかな。友情の証としてハグしてくれる?」


「ハグですか?」


「うん。ダメかな?もうこれからはそういうこと求めないし、そのハグを一生大事にするから」


「はい、いいですよ」


「ありがとう」


誰もが消しゴムが要らない間違いのない正確な人生を歩みたいもので、私のあなたへの気持ちは何があっても揺らぐことはないが、まだ先輩の愛の灯火が消えていないことをあなたは知る由もなかった。


ミルクティーを常に水筒に入れて持ち歩いているミルクティー好きの先輩が私に渡してきたミルクティーのキャンディーを口に入れると、ドカ降りの雪の日に先輩がくれたぬるいミルクティーとは違い、しっかりとした甘味が口の中に広がった。


手動ドアを客が押し引きする度に、入り口付近に置かれたおでんのダシの食欲をそそる香りが店内から漏れ出て、少し遠い私にも届き、寂しさを感じる心や鼻は疎くてもいい、あなたが私に疎くなければそれでいいと、そっと鼻を閉ざした。


誰が見ているか分からないコンビニの駐車場、建物の存在が疎らな場所、あなたの家のすぐ近くの土地で、私が罪悪感や視線にオドオドしていると、あなたと同じ制服が迫り来た。


先輩に抱き締められる体勢を整えてからする初めてのハグに、心が浮いているような感覚に陥り、綺麗な顔が段々と近づいてくるのをただ受け止めようとしていたが、迫り来る先輩の顔は少し強張った表情をしていた。


身体を先輩へと押し付け、先輩を仲間として認めたい気持ち、あなた以外の人のために好意を無駄遣いしたくない気持ち、恋だと勘違いしてほしくない気持ちなどで、手は宙を絶えず動き続けていた。


私を好きへと引き寄せ、引き摺り込もうとする先輩の暖かさが私の身体にも分け与えられ、私を常に取り囲んでいるあなたへの心配は、頼もしい先輩の身体が心から少しだけ取り除いてくれて、心が軽くなったかのように楽になった。


本当は一日中あなたのそばにいたいのに、今は違う男性の髪が間近にあり、あなたの家にもあなたにも背を向けている状態で、あなたが普段通るかも分からない狭い道、汚いビニールハウス、盛り上がりと凹みを交互に繰り返す黒い土の連なりが虚しかった。


突き刺さりそうな鋭利に逆立つ短い髪とは対照的な、今までにほとんど起こったことのない振動が止まらない先輩の身体に、先輩の天性の優しさや弱さを見た。


あなたとはスムーズにいかないことも先輩となら簡単に出来てしまいそうで、そんな気持ちと先輩の肌の感触やぬくもりがペアになって、記憶として蓄積されていった。


寂しいから妹の誕生日を一緒に祝ってくれないか?という突然の一言が耳に殴り込み、俺は寂しい、という恋愛感情のこもった言葉に耳は勝手に変換を進めていて、今にも途絶えそうな先輩の笑い声がコンスタントに飛んで来るのを何事もなかったように聞き流していた。


朝まで現実を休みたくなった。

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