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#29 美しさに隠れた美しさ

開いているドアの隙間から、またひとりまたひとりと鞄をぶら下げた制服たちが去っていき、教室の人口密度は半分以下にまで減少していった。


右の方から視線を感じ、こちらからそっと視線を返すと、一度も話した覚えのない神秘の麗しさを放つ美女が机にもたれながら、力のある目でこちらを見ていた。


私の目の動揺は周囲にもすぐ分かるほど激しく、目力に勝るとも劣らない香水の爆発的刺激は私の鼻をクラクラとさせていたが、それがうっとりを含む魅力的刺激であることは断定することの出来るしっかりとした事実であった。


右側で突如起きた椅子を勢いよく引きずる音が私の身体の上下動を引き起こし、他の生徒の動作音や喋り声に覆われているものの芯のある美女の小さな足音が、段々と私の正面へ近くなっていった。


あなたのことで頭の中も机の上も散らかっているというのに、そこへ新たな要素として美女の眼差しが加わりパニックは最高潮に達し、手の置き場もない机にあるあなたの似顔絵が描かれたノート、教科書、カラフルなペン達も動揺しているように感じた。


私の正面に入ろうとしているのは、学校一の美女、一人でいることが多い美女、笑顔をほとんど見たことのない美女、喋っている印象がない美女、ロングのストレート髪のセンター分け美女で、言葉や笑顔がこちらの方向に放たれることなど一生ないと憶測していた私の目の前で、30%の笑顔を振り撒き始めた。


緊張と嬉しい重圧から、手には汗がチョロチョロと現れ、自分の太ももをヒダのあるスカートごと掴むと手の汗に優しく吸い付き、布のツルツルとした滑らかさに安心感を譲渡された。


誰もが憧れるほどの美女の美貌により、私の身体は言うことを聞かず下ばかりを向き、目ではノートに落書きしたあなたの姿だけをずっと見つめるしかなく、行動という行動全てを停止された状態に陥っていた。


「私って怖い?」


「えっ?いいえ、全然」


「そう。別に怒ってる訳じゃないし、いつも正常なんだけど、私怖いらしくて」


「山崎さんはミステリアスではあるけど、あまり怖くはないかな」


「そっか。それでさ、本題なんだけど。長木と一緒にいるところ何回も見掛けたんだけど菜穂ちゃんって長木と付き合ってるの?」


「あっ、うん、そうだけど。もしかして山崎さんって長木くんと仲が良かったりするの?」


「幼稚園からずっと一緒だけど、ほとんど話したことはないよ。ただ私が一方的にずっと見守ってるだけ」


「山崎さんも長木くんのこと気になってるんだね」


「うん。私も人と接するのが苦手っていう部分では長木と同じでさ。長木って弱いからずっと心配だったけど、側にいてくれる人がいて安心した」


「私は山崎さんが普通に優しい人で安心したよ」


「ありがとう。菜穂ちゃんっていい人だよね。私、話すの苦手でほとんど自分から喋りかけられないけど、なんか気になったから、つい喋りかけちゃった。ありがとうね」


「うん。あの、ちょっと聞いてもいい?」


「何?」


「昔の玲音くんってどんな感じだった?」


「幼稚園の時から大人しくて、ほとんど声も聞いたことなかったよ。優しくていい人だけど思ってることを全然口に出さない男の子って感じだったかな。今とほとんど変わってないよ」


「前から敏感だったの?」


「人のことに神経使うタイプではあったけど普通だったよ。最近急に音や動きに敏感に変わっちゃったみたい」


「そうなんだ」


「長木にも友達らしき男子はずっといたけど、その男子達とは上辺だけの付き合いっていうか、ただ遣われているだけで仲が良いって感じじゃなかったかな。だから菜穂ちゃんと一緒にいる最近の長木を見ると嬉しくって」


「色々教えてくれてありがとう、山崎さん」


「これからも長木のこと何でも聞いていいからね」


「うん。今日は山崎さんと話せて嬉しかった。ありがとうね」


「うん」


あなたのことを知れば知るほどあなたに独裁されていき、様々なあなたが占領している私の頭は立錐の余地も無く、あなたといる喜びを、過去の恋の悲しみや憎しみで証明したい気分にすっぽりと嵌まっていた。


私の顔を映し出す鏡のようなペンケースに、口元の赤白い突起物、唇の縦しわ、唇の治りきらない傷の名残の黒などは鮮明に映らず、美女の優しさによって歯と歯を強く押し付けあったり、唇を噛み締めたりすることはなくなり、唇の辺りに出来たそれらが悪化することのない力の抜けた口元へと変わっていた。


去ってゆくうっとりする美女の薫りと引き替えに、机に散乱したものを全て押し込んであなたのもとへ飛んでいこうと思い開けた鞄から、果ててしまった生姜湯の薫りが一気に立ち込めてきた。


水分が染み込んで濃く変色した鞄の底の生地の前方には、田中さんの机と椅子が寸分の歪みも狂いもなくきちんと整列されており、いつも私を見ていてくれる田中さんは放課後すぐに教室を出て行き、探してもここにはいない。


私を含めても僅か三人しかいない教室は、シンと音を立てるほどで、右端の中央にはつらつらと勉強をする男子生徒、左前の隅にはクタクタと眠りについている女子生徒がいた。


鞄の口を下に向け、力強く縁を掴み上下に揺らすと、メイク道具の入ったポーチや愛の詰まった私物たちが落ち、その音に身体が敏感に反応して少し狼狽えながらも、すでに生姜湯の染み込んでいるタオルを焦りと共に縦横無尽に走り回させた。


あなたのもとへ早く行きたい気持ちから、散らかる床や机の荷物を拾い上げる手は冷静さを失い、鞄に詰める手も乱暴さを強めていき、脳への信号はあなたに遮断され、脳と動作が一致しないでいた。


ビチョビチョの薄汚れたタオルを鞄に入れようとするも、鞄に詰め込まれた我が道を歩もうとするノートや筆記用具や花柄の風呂敷に包まれた弁当箱達が、協調性がなくバラバラな方向を向き、無造作の成れの果てが目を嬲った。


あなたが私の隣の席の美女に好意を持っていることはおそらく確実で、美女があなたを見守っている姿が想像を促さなくても私の目の裏側に麗しいほどに再生され続けているのだが、全然嫌な気はしていない。


床で忘れ去られ寂しくうずくまっていたノートに触れると、右手の親指へ直線上に痛みとしっかりとした感触が通り抜け、生ぬるいものがじんわりと染み出る感覚に襲われた。


音があると不安になるのに音がなくても不安になってしまう私がいて、あなたの秀でた後ろ楯になると決めたのに縋るようにあなたの声を頭で鳴らしてしまっている私もいて、教室でたったひとり音を鳴らす私に、季節外れの孤独が絶え間なく降り注いでいた。

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