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#26 逢瀬と帰途と未来

野外の明るさは私が苦境を耐え凌ぐが如く踏ん張っていて、一日だけボイストレーニングのことを忘れ去ると決めた今日の景色は、あなたを含めた全てのものがより鮮明に見えた。


校門前の大通りの歩道に足を掛けると、私と繋がっているあなたは車に異常に反応し、萌那のいない二人だけの空間には骨折の原因となった大型トラックに怯えるあなたが浮き出ていた。


最近開き始めたあなたの心の扉も、今は1センチ以上開くことはなく、片隅で繰り広げられているたこ焼き屋から漏れる鼻を擽るソースの匂いの誘惑を蹴散らして、あなたの香りに集中していた。


放課後のボイストレーニング前の時間の隙間に毎日送らせてほしいと、我が儘と心配が混ざった言葉をあなたに放った時の私の可愛くない声が、今も耳の奥の方で渦巻いている。


視覚で感じられる世界に埋まっていない場所なんてなくて、目で見る限り世界はきっちりと構成されており、欠けている場所のない視界に似つかわしくない、心が欠けた私の黒い靴でさえ、視界でしっかりと見え隠れしていた。


あなたの口から出てくるものといえば、私への応答や感嘆詞くらいで、痛いという言葉がいつの間にかあなたの驚いたときの口癖になりかけていて、横に伸びた口の形も、いつの間にか私の瞳に馴染んで溶けてしまっていた。


左手は心地いい位置を探り続けていたが、ようやく見つけて、馴染み始めたあなたの右手を今まで握っていた萌那の想いも乗せながら、ギュッと握り直し、右の掌には私とあなたの鞄の紐を食い込ませて、足裏で地を感じながら進んだ。


高校の近くにある系列大学の敷地内からスッと何処かのお嬢様が現れ、こちらに向けて放たれた微動の会釈とあなたの名前を呼ぶ声に、私は身体を右に向けて、首をゆっくりと下に曲げた。


「あっ、玲音くん骨折してしまったんですか?ごめんなさい。私、昨日大学で用があって一緒にいてあげられなくて。大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫です」


「あの、あなたは?」


「あっ、初めまして、白石といいます。大学生の帰り道に玲音くんとはよく会うんですけど、ビクビクしていて危なっかしいので会ったときは送らせてもらっているんです」


「そうでしたか。私は家山です。玲音くんとは同級生で」


「玲音くんの彼女さんですか?」


「あっ、はい、そうです」


「玲音くんに彼女さんがいたなんて知りませんでした。とても可愛らしい方ですね」


「ありがとうございます」


「玲音くん?お姉さんが今、家に来てるって言ってましたよね?」


「はい」


「仲良くやってますか?」


「はい。一応は」


「そうですか。良かったです」


「あの、白石さん?」


「はい。何でしょうか?」


「玲音くんを何度も送ってくれてありがとうございました」


「いいえ。放っておけなかっただけですよ。これからは彼女さんが毎日一緒に帰って、毎日そばにいてあげてくださいね。夜道は危ないので」


「はい。分かりました」


「私はこっちですので失礼します」


「あっ、はい」


「彼女さん?いつでも私が相談にのってあげますから、また会ったときには言ってくださいね」


「本当にありがとうございました」


「玲音くん、気を付けてくださいよ。一瞬でも気を抜いてはいけませんからね」


「はい」


私を嘉するくらい愛して欲しいのに、女子大生の存在に惜しげもなくひしゃげているしかなく、近くにいるのに遠くにあるあなたの心に通ずる歯車を、ただただ押しているだけみたいな感覚さえあった。


彼女の頭の中に私の知らないあなたが僅かにいるだけなのに、あなたを送る前に飲み干した甘ったるい缶コーヒーによって保たれていた口の甘味に、新たな嫉妬によって生まれた苦味のようなものが溢れ出してきた。


ピンク色の上に重ねられたピンク色のコートからはずっと、しゃんと胸を張り、美しく庭に咲き誇っているような上品な花の香りが遠慮気味に漂い続けていて、その香りが去った今、通過していくどの物体の香りも気持ちよく私の鼻を通ってはくれなかった。


私には無い落ち着きを見せつけられ、一生気の抜けない強炭酸のような私の愛はもたついてしまい、心の角度をもっと広げたいと感じたこの夜は、儚さを覚えたいつかの夕と同じ色をしていた。


頭の遥か上にある街灯があなたの漆黒の学生服に紛れる一本の髪の毛を照らし出し、あなたの新しい何かを見つけられたような気がして、少しだけ頬が上に上がった。


嫉妬の塊が宥めても宥められず、嘘でいいから嘘だと言ってほしいという想いがまだ頭で処理しきれず、抱き付きたい衝動に駆られてあなたに近づいたり離れたりしたものの、あなたではなく空気に抱き付くことしか出来ないでいた。


抱き付きたい衝動を邪魔するように、鼻や喉は擽られ、身体は小刻みに震え、大きなくしゃみが今、抑えきれない数多の欲望と共に身体の外へと放たれていった。


勢いで下を向き、私の鞄のボロボロの布や青い糸の解れた隅が目に入り、あなたを傷付けたくない気持ちとは裏腹に、この鞄のような扱いしか出来ていない自分を情けなく思った。


目と口を大きく開けて驚くあなたの手は死んでも離したくなくて、優しさが周囲に渦巻くあなたの手をずっと離さずにいると、上から迫るあなたの長いまつげが私の目に、はっきりと映し出された。


背中がガチガチとしたアスファルトの冷たさを感知し、前のめりに倒れたあなたの腕のガーゼが私の冷えた首元の皮膚に当たり、あなたの微かな温もりが胸に触れて僅かに明かりが灯った。


いつか見た萌那とあなたの光景が、私をヒロインに変えて今ここに再現され、あなたが口を小さく巧みに動かしブツブツと呟く声は、静寂が制する道の真ん中でも、小鳥のさえずりにさえ満たないほどの音量しかなかった。

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