#24 悪い虫が優しく傅く
木材に元々ある茶色い線が何かの顔に見えることのない天井と朝からずっと向かい合っているが、一向に仲良くなれる気配はなく、体調をよくしてくれることもなく、ただ睨み合っていた。
電子機器が生活の傍らに溢れる現代に、画面ではなくペラペラとした紙切れの一枚として爪先の延長線上に立て掛けられた、微笑むあなたとのツーショット写真からは、勇気と心配が飛んでくる。
いつもはふわふわと身体を包んでくれる羽毛布団の安堵感や優越感が溢れる肌触りでさえ、今は蹴り飛ばしたいほど不快に感じ、ひやひやとした汗はずっと皮膚の表面に点々と立ち止まっていた。
手の指と瞳は日常生活に差し支えのないほど活気に満ちており、あなたに向けた想いを必死に駆け回させた親指で綴り、必死で文字を連ねてはみたものの、遠慮が脳と動作の喧嘩を誘発させた。
周りの空気と高低差を感じるほどの身体の火照りや、ズキズキと気紛れに表れる節々の痛みなどが付き纏ってくるが、あなたに関連する熱さや痛み以外なんて少しも欲しくなんかなかった。
起き上がり、窓の下部にある縁に手を掛けながら外を眺めたが、視線は透明なガラスをすり抜けることが出来ても、木や鉄やコンクリートはすり抜けることが出来ず、四角い風景にあなたはいない。
私の頭にいるあなたは今、昼休みを伝えるチャイムの音に驚いてビクッと動き、少し怯えた表情をしていて、いつもと変わらないそんなあなたの現在の姿が、目で見ているように浮かんでいる。
誰かの内側に隠れた部分など誰も知る由もないし、真面目だなと思っていた人に暴言を吐かれたことだってあるが、もう昼なのに彼女の私に一言も連絡をしてこないあなたがそのような人ではないことくらい疾うに分かっている。
身体の内側の大騒ぎとは対照的な身体の外側の静けさを打ち破るように、階段を上る時にだけ豹変する恐竜のような母の足音が耳に届き、心の背筋をピンと伸ばした。
「菜穂ちゃん大丈夫?」
「うん、大丈夫そうだよ」
「熱は?」
「熱は下がってきたし、良くなってきてる感じ」
「よかった。食べたいものとかある?」
「お粥とかかな」
「そう、じゃあ作るわね」
「うん」
「学校終わったらお友達がお見舞いに来るかもしれないわよね」
「たぶん誰も来ないよ」
「萌那ちゃんは?」
「萌那はバイトだし、他に来てくれるような友達はいないからね」
「萌那ちゃんバイト始めたの?」
「うん、ファミレスだって。制服が可愛いからって理由で決めたみたい」
「そっか、大変ね。菜穂ちゃんはゆっくり寝て風邪治してね」
「うん、私のことは気にしないでいいから。お母さんもゆっくりしてよ」
「うん。あっ、今日もお父さん遅くなるみたい」
「そうなんだ。大変だね」
「そうね。机の上に水置いておくから、飲んでね。じゃあ」
「ありがとう、お母さん」
写真に閉じ込められているあなたと私だけがいた黄土色の机の上、そこに現れた汗をかきながら立っている透明なペットポトルを、皺と弛みの少なくなった羽毛布団の先に見る。
目線も髪の毛の先も、一定の方向を向いていないものの、洋服の色や顔の暗さで、私の心と目に落ち着きや優しさを与えてくれている母の後ろ姿が、閉まるドアの向こうへと消えていった。
私に付き纏う風邪が咳を誘発して来ることはなかったが、鼻づまりは前より勢力を強めており、喋ることも、食事をすることも、あなたの想像をすることでさえも簡単にはいかず、全てがいつも通りとはいかなかった。
机上のオアシスへはあっという間に着き、手を動かすスピードを上げて滝のように流し込んだ水は、一番美味しいと感じられる条件が整った最上級の水として、口内から順々に潤っていった。
あなたが映るスマートフォンの画面を指で撫でても、つるっとしていて撫で応えはなく、あなたに今すぐ会って、あなたの肌触りを早く確かめたいと感じた。
黒いプラスチックで覆われた薄い真四角を開くと、白くぼやけた指紋がある銀色の平面の中に、窓の外から降ってきた光が突き刺さり、私共々歪んで映った。
位置の微妙な加減を調整し、ようやくはっきり捉えた私の顔は、全体的に覇気がなく、前髪もふにゃふにゃとしていて、あなたに相応しい顔ではなかった。
今までで一番あなたや萌那が恋しい状況だというのに、来る可能性などほぼ0に近く、指の動きは捗ることしか知らず、何度も画面に指を擦らせるが、あなたの言葉は一度も表れる気配がない。
ものぐさに時が流れる中で、欲望のようなものがひしひしと満ちていき、その欲望のようなものにより、身体全体のパーツはそれぞれ無意識のうちにあなたを欲しているかのような動きをさせられていた。
1パーセントもあなたである確率のない玄関のチャイムと、威勢のいい宅配員の声が耳から全身へと入り込み、私の心がゆっくりと優しく疼き出していくのが分かった。




