#18 阿漕への順路を歩んで暗涙
これ以上暗くはならない色のスカートの、下にある膝は赤さが際立っており、下の真っ白な靴下にも、その下のクリーム色のコンクリートにも弱い雨で流れ出した赤がほのかに存在していた。
傍らに放り去られた斜めの傘も、あなたの身体も動く気配は感じられず、放心状態で地面に張り付いたまま、震えだけがあなたの内外で発生していた。
萌那のペットボトルの水、そして萌那に促されてあなたが鞄の中から取り出したタオル、大量の絆創膏が、赤い皮膚に順番に触れ、冷たさ、優しさ、全てを取り仕切る萌那の指の柔らかさなどが色々な傷の痛みを助長する。
右膝を立ててあなたのことを呼び、力を足に込めてゆっくりと身体を真っ直ぐにさせていったが、僅かな雨粒の中で、私が傘を折り畳む作業を終えても貴方は背を向けていた。
私の注意力の無さと不運の猛襲が一緒になって痛みに加担し始め、両膝がじんじんと痛むが歩くことに支障はなく、私は萌那の優しさ以外のすがる場所を探していた。
私の手を塞がせ、あなたから手を離させ、あなたの心臓を不安定にさせるという惨事を引き起こした雨やプレゼントは視界から姿を消し、痕跡だけが手元や地面に虚しさを残す。
ようやく顔を見せてくれたあなたは、今にも崩れそうな身体で、後頭部が見えるくらいに腰を折り曲げ、拭われるような言葉を掛けてくれ、下を向き見えないあなたの顔に雫が溢れていないことを心から願っていた。
気付けばあなたに近寄り、あなたには必要のない水分を、あなたのために常に持ち歩いているタオルで撫でるように拭き取ったが、人の悲しみを食べたがり、優しくするという快楽を欲する私の今の精神は、今に始まったことではない。
痛みが積み重なってしまった動物園で聞こえていた賑やかな鳴き声は通り過ぎ、規則性のある電車のメロディも線路を走る音も通り過ぎ、IC乗車券のピッという音と膝の傷と共に馴染みの場所へと戻ってきた。
「長木くん。家まで気を付けて帰ってくださいね」
「へっ、あっ、ありがとうございます。今日はすみませんでした」
「24時間守ってはあげられないから驚かないように常に構えていてくださいよ」
「はい。ボイストレーニング頑張ってください」
「玲音?私が送るからね」
「あ、はい」
「あっ、やっぱり私に送らせてよ萌那」
「ボイトレの時間に間に合わないでしょ?心配なのは分かるけど怪我もしてるしさ」
「ボイストレーニングは休むし、怪我も大丈夫。今度は慎重に守るから」
「私と玲音が二人きりなのが耐えられないんだね、菜穂は」
「そ、そうだよ。一応彼女だからね。長木くん、私に守らせてくれますか?」
「はっ、はい」
「長木くんのお家はこっち方面ですよね?」
「あ、はい」
「菜穂。玲音。敬語もだけどさ、呼び方がカップルっぽくないよね」
「そうかな?」
「家山さんと長木くんだよ。親しいなら名字じゃなくてあだ名とか下の名前とかで呼ぶでしょ、普通は」
「じゃあ、玲音さんと呼びますので菜穂さんって呼んでください」
「はい」
「はぁ。菜穂はツインテールの幼顔でモテるし、いいなぁ。菜穂みたいな整った純度のある顔が欲しかったよ私も」
「私、そうでもないよ」
「いいや、清楚の擬人化だからね」
同じ市内であり、私の家から徒歩で行けるほどの場所なのにも関わらず、見たこともない建物や街路樹が立ち並んでおり、あなたの神秘性に拍車がかかる。
私に怪我を追わせてしまった重圧からか、あなたの顔を正面から見ることも困難になるくらい、あなたは車道の方ばかりを眺めていて、以前とたいして変わらぬ行動も今は心に刺さる。
通い始めて数回のボイストレーニング教室の近所にもあるカレーチェーンをまだ見ぬあなたの家の近所でも見かけ、この食欲をそそるスパイシーな香りに、歌手になるという夢がちらつき、それをあなたが一瞬で奪い去る。
歯を食い縛り、唾を飲み込むことを極力避け、くしゃみをしないと我慢して、あなたの手から広がるあなた全てを私の右手達で受け止めようと集中を注ぐ。
手と手という狭い接地面で皮膚と皮膚を重ね合わせ続けられてはいて、驚かせては駄目なことは分かっているが、あなたに甘えたい気持ちは磨り減らず、あなたに甘えることも、あなたの御言葉に甘えることも出来ない現状に溺れている。
あなたの影は綺麗なセピア色だが、私の影は無いようなもので、私は段々と明るさが弱まり幅が狭まってゆく道を進んでいる今を、明日からのあなたとの関係と重ね合わせないように必死で戦っていた。
横顔でもないあなたの顔からあなたの心情を読み取ることは不可能に近いが、バイクの走行音が現れた時にあなたが声を殺しながらした、驚きを握り潰すような手の動きは私への愛だと信じている。
古い小さな一軒家に着き、あなたの手を私の方から離した瞬間、萌那とあなたが手を繋いでも差し支えのない関係であること、私より萌那の方があなたの手を長く握っているかもしれないことが頭に浮かび、離した後の右手を素直に下ろすことが出来ないでいた。
私があげたキーホルダーを萌那はバッグから取り出し、キーホルダーを紛失したあなたへと手渡しし、その萌那の優しさと共に出来た風が、私の頭にある二つの尻尾をそよそよと揺らした。
家の扉を開けたあなたが、外にいた野良猫の鳴き声に驚いて思い切り声を出しているのを見て、私があなたの負担になり、私がかえってあなたのストレスを増やしてしまっていることを痛感し、溜め息の音が漏れた。




