#17 離れた時間への贈り物
腰の高さほどある茶色の柵の向こうには、ゴツゴツとした複雑な凸凹の地面が広がり、白と黒の絶妙な割合と配置で構成されたペンギンは、エメラルドの海で優雅に羽を伸ばしていた。
女の子はペンギンと対面するため、結んだ長い髪とワンピースの裾を揺らしながらピョンピョンと跳ねていたが、目線が越えられずにすぐ諦めると、ママに甘えるみたいに私に抱っこをねだってきた。
腕の付け根に手をやり、そっと身体を持ち上げると、興奮帯びた喜びで暴れだす女の子の纏め髪から放たれた若々しいすっきりとした香りが私の近辺に充満し、顔を見ずしても笑顔が察知できた。
クラスメートの妹を我が子のように愛しく感じ、地面にゆっくりと降ろした後、向かい合った状態で押し付けがましく女の子の胸、腕、顔などに全身で刹那に覆い被さった。
汚れのない幼心が邪念を浄化したかのように私は全身に軽さを感じ、小さい子との触れ合いが乏しく、あまり経験のない出来事により、喜びへと身体が引き寄せられていく感覚がした。
私の手は細く小さな指に掴まれ、歩速を合わせるように園内を進み、意外とすばしっこい女の子により、下一面に規則的に埋め込まれた小さな四角形の模様は視界を激しく流れてゆく。
象の前で足を止めた女の子に、息を切らし特徴ある走り方で必死に追いかけてきたクラスメートが、呼吸を整えながら私に申し訳なさそうな笑顔を見せる。
あなたと二人きりでいる萌那に対する純粋な嫉妬は、何が起きたとしても一瞬たりとも消えることはなく、女の子へは普通に出来る言動も、あなたへは出来ないという考えに溺れ続けていた。
疲れきってぐったりと姉の背中にもたれ掛かる女の子の、吐息のような寝言と共に売店へと入ると、微かなあなたの叫び声が何処からか聞こえた気がして、キョロキョロと周りを見渡すも姿は見当たらなかった。
「妹は寝てしまいましたから、彼氏さんのところに戻ってください。本当に妹が申し訳ないことを」
「いいよ。このはちゃんや長木くんにプレゼント選んでから戻るから」
「ありがとうございます。彼氏さん、とてもおとなしくて優しそうな人ですよね」
「性格はおとなしいけど、心はおとなしくないというか」
「菜穂さんみたいな美人さんと一緒にいて大丈夫なんですか?」
「えっ?」
「美人さんが一番ドキドキしますからね」
「私には慣れてきたと思うから大丈夫だよ」
「そうですか。あの、妹にもプレゼントを頂けるなんて嬉しすぎます」
「ここでしか売ってないものとか、動物園ならではのものがいいかな」
「ちょっといいですか、菜穂さん?彼氏さんが敏感なのは分かってますが、あのお友達さんと彼氏さんが手を繋ぐのは違うと思います」
「萌那は親友だからいいの。長木くんも分かってると思うから」
「そうですか。私と妹がいなければ、こうなることもなかったですよね」
「大丈夫。気にしてないから」
「あのお友達さんは幼馴染みとかですか?」
「違うよ。中学一年の時に萌那が近所に引っ越してきたの。それから仲良くなった感じかな」
「そうでしたか。すごく仲が良さそうに見えたので。今日は本当にありがとうございます」
「困ったときは何でも言ってね」
「こんなに優しい友達がいてよかったです」
「私も良かったよ。あっ、キーホルダーとかどうかな?」
「いいですね」
私の分も含めた五人分のプレゼントが入ったくすんだ青いビニールを持ち、そのビニールよりも遥かに彩度が薄れている空の下へ、明るい人として出ていった。
深々と御辞儀をして帰ろうとする、すやすやと眠る妹を背負った友達へ、ビニール袋から出した5人お揃いのキーホルダーの内の2つを手渡すと、微笑みと先程よりも深い御辞儀を友達は私に振り撒いた。
このふんわりとした優しい姉妹との想い出が詰まった空気を、身体に充満させようと鼻で大きく吸い込んでも、記憶出来るほどの強烈さもスッキリさも明確さも匂いには含まれていなかった。
友達と言ってくれた嬉しさ、田中さんのことを何も知らなかった不甲斐なさ、妹や娘への憧れを思い巡らせた幸せ、そしてこのはちゃんの愛や全てが溶けた、あなたへと進みながら食べる今日二個目のチョコはやけに甘かった。
二人の元に戻り、萌那から引き継がれたあなたの手を握ると私にしか分からないような精一杯の満面の笑みを見せてきてくれて、先程まで小さい子の手を握っていたせいかあなたの手は以前より大きく感じるのに、肌から感じる元気は女の子の半分以下だった。
特待生で妹想いの田中さん、そして嫉妬深い妹のこのはちゃんと一緒に過ごして距離が離れていたあなたとの時間を、あなたの身体の僅かな暖かさと、立ち上る暖かい人間味と、落ち着く怯えた表情で埋める。
皮膚では確認できないほどの繊細な雨が、薄汚れたクリーム色のコンクリートの乾ききった地面に数個の点を描き上げ、萌那とあなたと離ればなれになった時間に蓄積した私の寂しさのように一気に強くなっていった。
私とあなたの空に折り畳み傘を掲げ、合印のようなものになればと購入した、強さの象徴でもあるライオンのイラストが描かれた五人お揃いのキーホルダーを、いつも通りの萌那と相変わらずのあなたに腕をピンと伸ばし手渡した。
幸せは束の間で、一番近くにいた猛獣が吠えた騒音によって、あなたの持っていたキーホルダーは宙を舞い、バランスを崩すあなたを包み込もうと駆け寄った私の膝には、地面と擦れて生まれた猛烈な痛みが襲った。
プレゼントが猛獣スペースと鋪道の間に設けられた幅のある水路のような場所に落ちたことよりも、私の擦りむいて怪我をした膝よりも、弱まってきた雨の打ち付ける音や萌那の声や動物の声が響いている園内にあなたの声が一切ないことの方に、私の心配が集中していた。




