#16 愛と突飛が渦巻く園
去年がまだ続いているように感じる13月の青い空の下、待ち合わせの定番である駅に設置された巨大な温度計の数字を気にしながら、あなたを待つ。
駅に現れた新学期よりも歩みの早い萌那の手には、途中で会ったであろうあなたの右手が繋がっており、私が馴染んだ左手ではないことを安堵しながらも、もどかしさは少なからず存在していた。
萌那から離れ、私と密着し構内を歩んでいるあなたからは、萌那の香りと一致するラベンダーの香りが漏れて露わとなり、鼻呼吸は最低限に抑えていた。
音を立てながら開いた扉を、あなたの手に安心をギュッと込めながら足早に通過し、ちょうど二人分空いた席に揃って腰を下ろすと、初デートを噛み締めるように身体を近付けた。
萌那の大切さは私の中で群を抜いているはずなのに、人の幸せを食べたがるという私の奥底で眠っていた一面が目を覚まし、先輩がいる時とは違う、柔らかくて穏やかな緊張感が身体に表れ、張り付いていた。
向かいの席で下を向き、四角い箱と指で格闘を続ける乗客達の背景を、脳の片隅にしか残っていない、いつもの木々や住宅を切り取った流れる絵画が彩る。
私たちの前に立つ、目を刺激するミニスカートを穿いた萌那はナチュラルな笑顔を見せ、三人の会話は線路がある限り途切れることはなさそうだ。
正々堂々と挙動不審をするあなたにも、私との会話や触れ合いに少しずつ慣れるという性質が備わってきており、挙手せず不意に私が喋り始めても平穏を保てることが多くなった。
目的の駅で降車し改札を進むと、駅前で座り込んで泣き喚く女の子に遭遇し、その声にあなたの左手は反応し、私の右手は跳ね返され、持っていたバッグは静かなる音を鳴らしながら地面に降り立った。
「家山さん、ごめんなさい」
「割れるものは何も入っていないので大丈夫ですよ」
「二人とも、もうそろそろ敬語やめない?」
「うん。それより、萌那?あの女の子、大丈夫かな?」
「こんな大きい声で泣いてるってことは、相当、嫌なことがあったのね」
「えっ、田中さん?」
「菜穂、あの人と知り合いなの?」
「うん、私と同じクラスの田中さん。私の前の席で凄く頭がいいの。ちょっと行ってくるね」
「わかった」
「あの、田中さん?何かあったの?」
「あっ、菜穂さんですか。おはようございます。あの、貰った動物園のチケットを無くしてしまいまして、妹が泣き止んでくれないんです」
「二人で来てるの?」
「はい。私の家は貧乏なもので、チケットを買うことは出来ないんです。貰ったのが二人分のチケットでして」
「田中さんもうすぐ誕生日でしょ?私がチケット買ってあげるから」
「そんな、申し訳ないです。菜穂さんは動物園デートですよね。私たちのことは気にしないでください」
「お嬢ちゃん?お姉さんたちと動物園行こっか?」
「うん。いくっ!」
「菜穂さん、本当にありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「お嬢ちゃん?お名前聞いてもいいかな?」
「このは」
「このはちゃんか。今日はよろしくね」
「うん」
「菜穂さんに恋人が出来ていたなんて知りませんでしたよ。彼氏さんと手を繋いでラブラブでしたので、菜穂さんのイメージと違っていて最初は誰だか気付きませんでした」
「ラブラブって訳でも無いんだけどね」
門をくぐり抜けて、寒そうな枝で構える木の群れ、硬さを感じさせない土色の地面、そこから広がる壮大な世界をまじまじと目に焼き付けていた私たちを、あなたと見た美しい空のひとつとして数えても良さそうな青が包む。
くりくりの瞳で、さらさらのポニーテールで、柔らかい小さな手をした女の子は、ピンクのワンピース姿で、あなたと繋いでいない方の私の手を頼りない力で掴み、とびきりの笑顔を見せる。
女の子も含めた大人数で過ごす幸せが、獣の香りも、寒さのニオイも、鼻をくすぐるもどかしさも、全く気にならないほどに、ほとんどを掻き消してくれた。
お礼にくれた、女の子の手で覆っても全てが隠れてしまう程の小さなチョコレートという感謝の気持ちは、口の温度でゆっくりと溶けてゆき、私にじわっと吸収されてゆく。
女の子の手の肌触りや、小さな身の丈を包み込む感触が、兄弟のいない私に妹や自分の子供への憧れを抱かせ、気付けばずっと想いを巡らせていた。
猛獣の前足が通り抜けてしまうくらい、粗くて間隔の広い格子状の金属は、私があなたと女の子の手に窮屈さを与えてしまうほど、信用ならないものだった。
格子状の鉄の線が引かれた物体として、客たちの目に侵入するフサフサの黄を帯びた獣に威嚇されても、駅前で泣き喚いていたことが嘘のように、女の子は笑顔を溢していた。
少しばかり歩き、購入した餌をあなたと女の子へ笑顔で手渡しし、首を器用に曲げて柵から顔を覗かせてはいるものの、一向に高い位置から下りてこないキリンの顔を見上げていると、女の子は愚図り始めた。
女の子は驚くあなたを遠ざけ、私の手の指や太股は年齢一桁の女の子が出せる精一杯の力で引っ張られ、優しい力が身体に染み付いていくようにムズッとした。
萌那とあなたが二人きりになるという偶然が私にストーカーのように付きまとい、今日も結局離れ、女の子に必要とされた嬉しさと、園内に金切り声を響めかせている猿のような心情が渦巻き、ずっと続いていたあなたの驚くような声はスッと消え去っていった




