#01 エキセントリックとミーハー
砂が巻き上がるグラウンドの低空を銃弾の如く直進する薄茶のボールは、はち切れんばかりに白いネットに吸い込まれていった。
短い濃紺の上下で髪を靡かせ走る美男子は、白い息を吐きながら凛々しく右の拳を天に突き上げた。
静かに響く仲間の低い歓声が産まれた後に耳のすぐ横で始まった間隔の狭い拍手が一向に鳴り止まない。
「海原遥斗先輩はサッカー上手すぎるし、カッコ良すぎだわ。菜穂もそう思うでしょ?」
「プロからも注目されてるみたいだし、素敵なのは分かるよ。でもね、萌那?そろそろ拍手やめてもいいんじゃないかな?」
「分かったよ。じゃあさ、菜穂はこの中で誰が気になってるの?」
「あそこで、ずっとビクビクしてる人かな」
「私と同じクラスの長木玲音ね。アイツは些細なことでもオーバーに驚くから、心配だし目がいっちゃうよね」
「うん。すごく気になる」
「いやっ、そういう意味の気になる人を聞いてるんじゃなくて、好意を持ってる人を聞いてるの。誰?」
「それは秘密ね」
「あっ、菜穂。大好きな人がいるって顔してる」
「いてもいなくてもお節介な萌那には言わないよ」
「噂とイケメンが好きな私に付いてきて良かったでしょ?」
「そ、そうだね」
私の好きな男子を過去に幾度も察してきた萌那の鋭い嗅覚も鈍らせてくれと、お願いしたくなるほどの冬の凍える匂いが鼻を苛め続けていた。
明日もその次の日もそのまた次の日も、この殺風景な砂地、この生き生き動き回る男子たち、あの堂々と立ち尽くすサッカーゴール、そしてそれらを後ろで見守る木々を今と同じ場所から萌那と見ることとなる。
中学の頃は同じ目線にいた私たちだったが、その頃より髪色、化粧、瞳、性格等が随分明るくなった萌那を今は見上げている。
蹴ってゴールへ入れるということしか知らないサッカーの試合を全力で楽しんでいた萌那と、僅かな情報しか知らない男子のことを目で追って楽しんでいた私は極普通の正常な女の子である。
小さくなってゆく萌那に申し訳程度に振った後の手を念入りに擦り合わせながら、スキップに限りなく近い身のこなしで、心と身体をいつもより速く進ませた。
表面上の冷たさを内面的な暖かさだけで補えるほどで、頬は上がり、この胸は稀少にも数十分前のゴールネットのようになっていた。
昔、好きな男子に近付いていった時と同じようにグイグイと暗闇を歩き、左右にあるコンクリートの塀と外灯の光は、あっという間に見えない場所に移動してゆく。
家に入ると螺旋状になっている那由多の金髪を頭に召した母が、動きやすい黒を着て上手くない笑顔で迎えてくれた。
唇を閉じるという当たり前の行為さえ儘ならなくなるほどの暴れる心と、それらが奪った口の中の潤いに、味のしない食パンが追い討ちをかける。
冬と食パンが奪った口の潤いと、あの人への刹那の妄想が奪った心の穏やかさを取り戻すため、パックを傾かせて牛乳を注いだ後、グラスと首を一気に傾けて体内に染み込ませてゆく。
私の好きな人に敏感な萌那と、物音に敏感なあの人の狭間にいる私の嬉しい悩みは頭痛となって頭を困らせてくるが、身体の調子は抜群だった。
ベッド上で透き通る硬い板越しに街を見下ろすと、暗がりに連なる屋根の隙間から、学校のグラウンドを照らす光が静寂さを保ちつつ主張してくる。
スマートフォンの表面で異彩を放つ、判別出来ないほど小さく、ぶれているあなたの怯え顔は、奥にある天井が霞むほどの不思議で優しい魅力に溢れていた。
あなたの分身がいる小さな箱全体から右の掌の皮膚へと体温が伝わってきて、あなたに触れていると思い込みながら、そっと冷えた左手を添えた。
応援団の代わりとして鼓膜を優しく撫でる心地のいいラブソングを久方ぶりにイヤホンから流すと、柄にもないピアノ音が耳から体内に素直に入っていった。
普段は語りかけられても少しも響かないリップクリームの甘くてフルーティーな香りが、好きな香りとして鼻をつつく。
恋と心配を錯覚していないことを証明するように、私は上質な楽しさを自然と周囲に振り撒き続けていた。