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第二章 過去の事件 5.解決


 ネットに流出していた住所を頼りに向かうと、画像の背景に写りこんでいたボロアパートが佇んでいた。周りは真新しく質の高い一戸建てが密集して、新婚カップルの発想力が招いたと思われる赤い屋根に黄色い壁など、原色を使った奇抜な色彩の家が目立つ。その中で村尾邦一が住むアパートの前には冷蔵庫など家電類を中心にガラクタが放置され、近隣の環境に悪影響を及ぼしている。

「厄介な相手かもしれない。ここで待ってるか?」

 サトウからすれば捜査協力はお願いしたが、犯人を捕まえるところまで手を貸してもらうのは厚かましい気がした。

「いいえ、一人では危険すぎますよ」

「すまない」

 ありがたい返事をもらいサトウは礼を言った。

「ネットに書き込まれていた住所が正しいなら一階右端の部屋だ」

 二人は慎重な足取りでアパートに近づくと、サトウが静かにノックした。軽く叩いただけでドア上部にはめ込まれている磨りガラスが割れそうなくらい揺れた。

なにも反応がなく、今度はドンドンと強めにノックすると、部屋から不機嫌そうに「なんだコノヤロー」という声が聞こえてきた。

 開いたドアを盾にしてサトウは顔半分だけ相手に見せる。

「すいません、警察の者ですが……」

 サトウは警察手帳を出した。

【POLICE】と刻まれたバッジの重みで自動的に縦型の手帳が開いた途端、拳くらいの直径の鉄パイプがドアの板を突き破ってきた。

「うっ」

先端の円形部分が鳩尾に直撃したサトウはうずくまる。

 瑠諏はすかさず鉄パイプの先端を掴み、あっさりと引っこ抜いた。連動した動きでドアを蹴り、相手もろとも吹き飛ばす。

「なにしやがる!」

 男はすぐに起き上がったが、衝撃で割れたドアの磨りガラスに手をついて切ってしまい、瑠諏を睨んだ。顔は村尾邦一に間違いなかった。

「七年前に原恵美子という若い女の人を殺しましたね」

 瑠諏が壁に当たって跳ね返ってきたドアを手のひらでもう一度壁に叩きつけると、ドアが真っ二つに折れた。

「お、おまえ……」

 尋常じゃない力を見せ付けられた村尾は途中で言葉を失った。

「こんな小さな町だと吸血鬼を見るのは初めてですか?」

 村尾の血がついたガラス片を瑠諏は拾い上げ、まじまじと見てから乱杭歯を唇からはみ出し、部屋へと入っていく。

僅かに寝床が確保されているだけで、周りはゴミが詰まったビニール袋が散乱し、換気する窓もひとつしかなくて、生ゴミの腐った臭いがこもっていた。

「ば、馬鹿にすんな。吸血鬼に会ったことぐらいあるぜ。凶暴だったが、昔とったきねづかで叩きのめしてやったさ」

 村尾はファイティングポーズをとり、虚勢を張る。

「吸血鬼に恐怖心を持たないのなら植え付けてあげますよ」

「いいのか、一般人を傷つけて?問題になるぞ」

「卑劣な犯罪者が相手なら、みんなは私に同情してくれると思いますけどね」

「吸血鬼のくせに調子に乗りやがって!」

 村尾は台所に駆け寄り、包丁を握った。

「あなたは本当に醜い」

 瑠諏が哀れむような顔をした。

「コノヤロー!」

 包丁の柄を両手で握って村尾が突進する。

 ズブッ……と包丁が突き刺さる音がしてサトウは顔を上げた。

「くっ」

 顔を歪ませた瑠諏が、左腕に突き刺さった包丁を受け止めている。心が折れないように必死に耐えている。

「る、瑠諏……」

 腹を手で押さえながら発した声がなんの援護にもならないことはわかっていたが、サトウは声をかけずにはいられなかった。

 瑠諏は細い腕から無縁と思われる力を発揮して、包丁を握っている村尾の両手を右手一本で捻っていく。

「くそっ」

 痛みに耐えかねた村尾は包丁を手放した。

「凶器は渡してもらいました。人間は諦めが肝心ですよ」

 瑠諏は包丁の刃から滴り落ちる血を気にも留めず、一気に抜く。

「まだ諦めちゃいないぜ」

 村尾は気障(きざ)ったらしい台詞を吐き、床面まで開口部がある掃き出し窓に頭から突っ込んだ。バリンと窓ガラスを砕き、体を地面に叩きつけた村尾は起き上がると、アパートから逃走していく。

「路地裏に逃げていきました。できたら先回りしてください」

 瑠諏は振り向かずにサトウへ手早く伝言を残すと後を追った。

 サトウは腹の痛みをこらえ、前屈みになりながら走った。

 村尾がブロック塀に挟まれたアパートの裏を横向きでスピードを落とさず器用に進むと、瑠諏も肩をすぼめて窮屈な軒下を苦もなく通過していく。アパート敷地内の金網を飛び越えるとレンガが敷き詰められたしゃれた小道へ出た。両脇には赤土色のプランターが並び、白や紫色の花がまとめて植えられている。

 ブレーキ音と同時に、道をふさいだ車からさっそうとサトウが出てきて銃を構えた。

「奥さん、窓から離れて!」

 ブレーキ音を不審に思ったらしく、裏庭が見渡せるリビングからひとりの若い主婦が窓を開けて様子を窺おうとしていたのをサトウが大声で制す。

「おいおい容疑はなんだ?」

 村尾はふてぶてしく両手を上げた。

「殺人罪だ」

 サトウが完結に容疑を伝えた。

「悪かったな刑事さん。鉄パイプでドアを開けようとしたら突き破って刑事さんに当たってしまったんだ。ボロアパートでドアも薄いから不可抗力さ。文句は管理人に言ってくれ。あっ、それから吸血鬼を刺したら傷害罪になるんだったかな?なぁ刑事さん、教えてくれよ」

 自分に非がないことや吸血鬼に対する差別をこめて、村尾が饒舌に語った。

「そんな細かいことはどうでもいい。おまえが逃げたのは殺人を認めたと解釈せざるをえない」

 サトウはかなり抑え気味に発言したつもりだが、出てきた言葉は警察官としての理性を失いつつあった。

「おいおい、おれがいつ人殺しを認めたんだよ。誤認逮捕もはなはだしいぜ。このまま警察に行ってあんたらに自白を強要されたと泣き叫んだっていいんだ」

村尾の開き直りともいえる態度に、サトウは言い返す言葉が見つからなかった。

「私は警察官じゃありません。だからあなたを咬み殺すことだってできるんです」

 瑠諏の静かな闘志を、村尾は背中に感じて振り向く。

「やるならやってみろよ、吸血鬼野郎!なぁ刑事さん、もしおれがコイツに襲われそうになったら助けてくれるんだろうな?」

村尾の挑発を瑠諏は無表情で気にする素振りを見せなかったが、感情が表に出てしまったのはサトウのほうだった。

村尾の足に狙いを定めていた目が血走る。

「なんで吸血鬼と刑事が一緒にいるのか知らねぇが、民間人の命はちゃんと守ってくれよな」

 見透かされたように念を押され、サトウは苛立ちを制御することを放棄しつつあった。、標準を村尾の足から眉間へと移動させながら静かに歩み寄る。後ろから押してるのは原恵美子と父親の思い。

「お、おい、無実の人間を撃つ気なのかよ」

 村尾が怯え、後ろに下がる。

「サトウさん!」

 冷静さを取り戻させようと瑠諏が大声で叫ぶ。

「こいつはまたいつか殺人をする。罪の意識など微塵も感じていない」

 トリガーを絞る指に力が入りすぎて銃口が揺れる。

「や、やめろ……」

 村尾が腰砕けになり、尻餅をついた。

「サトウさん!!」

「覚悟しろ」

 トリガーを引こうとしたその瞬間、瑠諏が村尾をかばうように前に立った。

「どけるんだ、瑠諏!」

「だめです」

「頼む!」

「躊躇していたんですが……証拠があれば逮捕できますよね」

 瑠諏がさっきまで腕に刺さっていた包丁の柄を指で摘み、でぶら下げるようにしてサトウに見せた。刃渡り三十五センチほどの刃先からは血が滴り落ちている。

「その包丁がどうかしたのか?ああ、きさまを刺した証拠品ということか」

 村尾はひとりで納得して答えを導いた。

瑠諏はそんな村尾を無視して包丁を舐める真似をした。

「この包丁、料理にはあまり使ってないと思います」

 瑠諏が怪しげに微笑む。

「その包丁で原さんを殺したんだな?」

 サトウが喜びに満ちた顔をさせてせっつく。

「ええ、間違いありません」

 瑠諏が断言したことを受け、サトウは銀色輝く手錠をポケットから取り出す。

「おれが殺したなんて証拠はどこにもないぜ?」

 2人の会話の意図がわからず、村尾は目玉を右往左往させる。

「一度血のついたものを私が舐めると過去の出来事を見ることができるんです。だからあなたがこの包丁を使ってどんなことをしたのか、すべてお見通しですよ」

 瑠諏が涼しげな視線で村尾を見下ろす。

「そんな吸血鬼の戯言が裁判で通用するわけないだろ」

 村尾は黄ばんだ不衛生な歯を出して笑う。

「過去の資料から被害者の刺し傷とこの包丁を調べればどの角度でどのように凶器として使われたのかわかるはずです」

「そうだな。今回の別件の犯罪で引っ張ることができる。取調べにはたっぷり時間をかけられる」

 村尾を排除した二人の会話が済むと、パトカーがサイレンを鳴らしてやって来た。

サトウが車で先回りしているとき、逃走した村尾の凶暴性を考慮して地元警察に応援を頼んでいた。資料を送ってくれたサトウの元同僚以外はなんでDead leadves地区の刑事がこんなところに来て捜査に首を突っ込むんだ?という不信感を臭わせながら村尾を引き取った。

「おい!その包丁は返してくれるんだろうな!」

 手錠をかけられるときは意外とおとなしかった村尾が、地元警察の巡査に瑠諏が包丁を渡そうとすると激高した。

「凶器を七年も残しておくなんて馬鹿な男だ」

 サトウが連行される村尾の背中を見て言った。

「村尾は人を殺した凶器を愛撫してエクスタシーを感じていました」

「興味があったのは殺人じゃなく、殺した道具なのか?」

「ええ」

「どうしてわかった?包丁を舐めたのか?」

 サトウが問いかけると、瑠諏は二、三滴の血が付着したガラス片をポケットから出した。

「これは割れたガラスに村尾が手をついて血がついたものです。村尾を追いかけている最中でしたが、サトウさんの車が見えたのでその隙に舐めてみました」

 瑠諏がなにを見たのか、サトウはあえて聞かなかった。

やりきれない思いだけが残る。

殺人犯を捕まえ、動機がわかっても心は晴れない。

「傷は大丈夫なのか?」

「吸血鬼は治りが早いんですよ」

 瑠諏は刺された左腕を自慢げに袖を捲って見せた。傷はきれいにふさがっていた。

「へぇ~噂には聞いていたが、便利な体だな。ところでその刺青はなんだ?」

 サトウが左手首に刻まれた黒い英数字の刺青を指さす。

 瑠諏がすぐに袖を戻したのでサトウは読み取れなかった。

「あ、これですか。本物じゃなくペイントですよ。迷子にならないために住所を記してます。それよりサトウさんは大丈夫なんですか?」

 瑠諏は刺青のことについてあまり触れられたくないのか、話をすりかえた。

「ああ、おれはなんともない。すまんな、肝心なところで足を引っ張ってしまって」

「お互い様ですよ」

 瑠諏が恐縮するような言い方でサトウを励ました。

「それから、すみませんでした」

 唐突に瑠諏が頭を下げた。

「なにがだ?」

「早めに包丁を舐めていれば、サトウさんを追い込むことにはならなかったかもしれません」

「気にするな。おまえが自己陶酔していたら村尾になにをされていたかわからない」

「実は包丁に自分の血がついていたのでためらってしまったんです」

 サトウが気遣っても瑠諏の謝罪は続いた。

「そうなのか」

 汚い場所についた血を平気で舐めていたのに、自分の血だけは苦手なんだなとサトウは笑い話の種としか認識できなかった。

「殺人罪で立件できますかね?」

 瑠諏が不安な表情で訊く。

「ああ、大丈夫だ。今回押収した包丁は原さんの刺し傷と一致するさ。人類の技術も少しは信頼してもらいたい」

 サトウは瑠諏をなだめるように言い切った。

 すると、フフッと瑠諏が笑った。

「二人で励ましあってばかりですね」

「そうだな」

 瑠諏の笑みを見てサトウは安堵しながらうなづいた。

 そのときのサトウは瑠諏の刺青のことなど、すぐに忘れてしまっていた。


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