第二章 過去の事件 1.苦い記憶
サトウが勤めるDead leadves地区警察署は一階に生活安全課や会計課などの総合案内が設けられ、刑事課は二階に構える。知能犯係、盗犯係、組織犯罪対策係、鑑識係、記録係がそれぞれ全面アクリルパネルのパーテーションで区分されていた。
時間は午前九時五十一分。
スポーツ新聞を読んだり、ネットゲームで暇をもてあましていたり、ケータイで長話しに花を咲かせたりと昼休みじゃないのに署内にはダレきった雰囲気が流れている。事件が多発する夜まで英気を養っている……ともいえるが。民営化の準備が着々と進む中、リストラの噂がささやかれている上司は注意をしない。唯一、刑事部長の三宅だけが部下に目を光らせ、仕事中心の生活を好んでいるようだが、最近は席を外すことが多くなった。意外と喫茶店にでも入ってコーヒーを飲んでくつろいでいるのかもしれない。
サトウは届けられたばかりの大きめの封筒から、ファイルを引っ張り出した。
「捜査資料なら郵便じゃなく、電子メールで送ってもらえばいいんじゃないですか」
原田が隣の席から資料をチラ見して、生意気にもアドバイスしてくる。
「おれは有機ELの画面を眺めるよりも、紙媒体の資料を読むほうが頭にスイスイ入ってくるんだよ。おまえは自分の仕事をしてろ」
原田は亀のように首を縮め、パソコンの画面に顔を向き直した。
サトウは資料に視線を落とした。
元同僚がコピーして送ってくれたものだが、また資料に目を通してあの忌まわしい事件を思い出すことになるとは……事件は七年前、サトウがここのDead leadves地区に赴任する前にいた人口一万にも満たない小さな町で起った。
町内で居酒屋を営む宮川国男。四十七歳が河川敷でゴルフクラブを握って青空に高々と白球を打ち上げていた。ラストと思って放った感心の一打は放物線を描くとコツーンと硬い物に当たる音がして、ゴルフボールが跳ね返えるのが見えた。大人がすっぽり隠れるくらい、アシ(イネ科の多年草)が伸びて長年整備されていない場所に人工的なものがあるなんて知らなかった。中古品のゴルフボールがバケツに半分残って、いちいち持って帰るのも面倒だと思い、ボールが当たった物陰にバケツを隠そうと宮川国男は近づいた。灰色で表面がザラザラしたブロックが積み上げられた小屋がアシに埋もれていた。小屋といってもトタン屋根が吹き飛ばされ、五メートル先で裏返しになっている。ブロックの半分以上が崩れ落ちた廃屋状態の小屋。アシを掻き分け、ブロックを跨いで中へ隠そうとしたき、鼻を再起不能にさせるくらいの強烈な悪臭が襲った。奥に黒いモノが蠢いていた。その方向に石を投げるとハエが四方八方に逃げていく。影でハエがたかっていたモノがよく見えない。 風が吹き、雲が流れ、陽がさした。ハエが隠していたモノの正体を見たとき、宮川国男は顔を背けた。
小屋に若い女性の死体が発見されて、すぐに駆けつけたサトウは異常な犯人の心理に目を疑った。首筋の頚動脈、手首の動脈、そして腕の上腕動脈が鋭利な刃物で深く切り込まれ、おびただしい量の血が辺りを赤く染めていた。出血多量による失血死。被害者の名前は原恵美子、二十六歳。町内の建設会社の事務をしていた。父親に会う機会があったのだが、身の上話を聞かされた。幼い頃に母親を病気で亡くし、父と娘の二人で支えあって生きてきたのだそうだ。遺族に泣きつかれて犯人を捕まえてほしいと頼まれた。思わず「必ず捕まえます」と安請け合いしてしまった。
サトウは正義感にあふれていた若い頃を思い出した。
時代は変わった。吸血鬼と人間が契りを交わし同じ世界で暮らすなんて、いったい誰が想像しただろうか。時代の流れに翻弄されて自分のすべきことを見失いつつある。ひょっとしたらこの過去の事件を解決することによって、自分が失っていたものを取り戻せるのではないかと思いながらサトウは封筒に残った最後の資料を手に取る。
元同僚から送られてきた現在の犯行現場の写真。
果たして奴は協力してくれるだろうか?
サトウは机の上に写真を置くと不安げに見詰めた。