エピローグ
緑色の防塵塗装の床に落とした吸殻を踏みながら老人は小言を吐いた。
「いつまで待たせる気だ」
老人は倉庫の表で待機しているSPからの無線連絡を待ち侘びていた。
「剣未なら来ないかも」
後ろから女の声がして老人は視線を向ける。倉庫の裏口から勝手に出入りできるのは限られた者だけ。
「どうしてじゃ?」
老人は顔を斜めに歪めて尋ねた。
「爆発事件のあと、すぐに姿をくらましちゃったわ」
「なぜ早く知らせない?」
「別に隠していたわけじゃないわよ。当然仕事に復帰すると思っていたから」
「ワシとの付き合いが怖くなったのかのぅ」
「そうかもしれないわね」
二人は小声で笑った。
「そういえばまた血液による感染者が増えたわね。いいかげんにウィルスを特定できないのかしら」
女は月ごとに州政府の疾病対策課から死者数が発表される原因不明の感染病のニュースを話題として持ち出した。
「あんなものまやかしじゃよ」
「どういうこと?」
女は眉間に皺をひそめた。
「LIVE中継で顔面蒼白の患者が運ばれていくニュース映像は作りモノじゃ。人間には映画という古くから大衆を支えてきた文化があるからな」
「嘘のニュースをずっと流し続けているの?どうして?」
「経済苦などで自殺者が増え続けているのを隠すためじゃよ。その昔、武士に科した死罪に切腹という自決法があったらしいが、自殺者が年間に五万人を超えるなんてことはアメリカの威厳を損ねることになる」
「たったそれだけの理由で嘘のニュースを流してるの?」
女が疑いの眼差しで老人を見詰める。
「まぁ、いまの説明は、もしバレた場合のための表向きのこじつけで、本当は吸血鬼たちを騙すための作戦じゃ」
「吸血鬼に人間を襲わせないためにやってるのね」
「デマやプロパガンダを巧みに活用するのも我々の仕事だ。実に効果的じゃろ」
老人は気持ち悪いくらいの満面の笑みで自画自賛する。女はその顔を直視できず、今回会いに来た目的を告げることにした。
「ところで……」
「わかっておる。報酬はそこじゃ」
老人が指をさした先に、赤い色の箱がひっそりと置かれていた。
「わぁ、重い。金かしら?」
女は喜びを抑えながら箱の上蓋を持ち上げた。
「特殊能力を持った吸血鬼の情報を仕入れてくれたお礼に、今回はたくさん色をつけておいた」
ビン型で黄色い果皮に赤褐色の斑点がついた果物が,箱の中に一つだけ入っていた。
「なに、これ?!」
「知らんのか。洋ナシじゃよ」
「えっ」
「篠田レミ、君のように人間と吸血鬼の間をウロウロする者は “用なし”ということじゃ」
老人はすでに銃口を向けていた。
途端に乾いた銃声が倉庫内に響く。
「この世で最期に聞いたのがジイさんのつまらないダジャレで悪かったのぉ~」
頭から血を流して倒れている篠田レミを哀れむことなく、老人は視線を降り見下ろす。
「知事、おケガは?」
表を見張っていたSPが銃声を聞きつけて飛んできた。
「大丈夫だ。それより掃除を頼む」
「はい」
「これからもっと忙しくなるぞ。なにせ吸血鬼どもの一斉浄化がはじまるんじゃからな」
日本州知事が享楽する笑いは延々と続いた。
【終幕】