第四章 吸血鬼はうるう年に生まれる 6.新しい朝
瑠諏は新しい朝を迎えた。
頭をもたげると頭痛がして思わず顔をしかめる。カウンターに伏せていた頬やこめかみではなく、後頭部に熱を感じる。なにがあったのか思い出せない。新しい記憶からどんどん失われていく恐怖を瑠諏は感じていた。立ち上がると視界が揺れた。頭痛からくるものではなく動かすたびに首、肘、膝、背中など体中の関節と筋肉が “助けてくれ! ”と叫んでいる。
喉が渇いているのかな?
まだ一個残っていたはず。瑠諏は裏返しにしていたスツールを通常の向きに直し、ひとつ手前のスツールを新たに裏返した。入口手前のスツールまで五つ。 次回、州政府から支給されるまで5日間か……飲んでも大丈夫だな。
カレンダー替わりのスツールから離れ、瑠諏は冷蔵庫に近づいた。
取っ手に指を絡ませ、血液バッグを取り出そうとすると、カウンターの上の黒電話がけたたましく鳴った。
諏瑠は冷蔵庫を開けるのをやめた。
大量の血液バッグを見ることもなく、受話器を手に持った。
「もしもし」
『朝早くすまんな。サトウだ』
瑠諏は「ああ」と生返事する間に思考回路をフル回転させ、サトウの顔と名前、一緒に仕事をしたことを思い出せて安堵した。
『実はいま男の焼死体を発見したという通報があって現場にやって来たんだが、おれの記憶だと宮路由貴を連れ去った連邦捜査官のような気がするんだ』
「宮路由貴?えぇ~と……」
『おい、大丈夫か?』
「確か昨日の……」
そこまで話すと記憶がぼやけた。
『まだ気分が悪いのか?』
「大丈夫です。現場はどこですか?」
「Dead leadves地区LJ通り五十三番地にある村田自動車修理工場だ」
「すぐ向かいます」
「待ってるぞ」
瑠諏が受話器をフックに落とすとチンと軽やかな音が鳴った。
宮路由貴……典型的な和風美人といった感じの顔が浮かんではきたが、事件の概要まで記憶が届かない。
吸血鬼が記憶障害になるなんて……。
瑠諏は苦笑いを引きずりながら棲家を出た。
新しい記憶に汚染されたためか、血液バッグを飲むことを忘れていた。