第四章 吸血鬼はうるう年に生まれる 5.篠田レミ
車へと帰ってきたジョン・ドゥは不機嫌そのものだった。
「あら、今日は時間がかかったわね」
ジョン・ドゥの心境などおかまいなしに声をかけたのは、後部座席に身を沈めるように座っていた女。歳は四十くらいでゆっくりと瞼を開けた。
「寝てたのか?」
隣に座ってきたジョン・ドゥが正面を向いたまま尋ねる。
「悪い?」
女は眠たげな視線を向ける。
ドン、と車が揺れた。
黒いスーツ姿の男が後ろの荷台へ瑠諏を放り投げたための揺れだった。
「大事に扱ってよ。私のカワイイ坊やなんだから」
女は口を尖らせるが顔は笑っていた。
「奴に毎回同じことを説明するのは面倒だ。なんとかならないか?」
ジョン・ドゥがチラリと女のほうを見て訊く。
「我慢してよ、適任は坊やしかいないんだから」
甘えるような声で女が言うと、ジョン・ドゥは腕組みして口を閉じた。
「そうだ!あなたが代わりにやればいいじゃない」
女がパチンと手を叩き、自らの閃きに酔って提案してもジョン・ドゥは顔色ひとつ変えなかった。
瑠諏の棲家に着くまで車内には女の独り言しか流れない。
「待っててね」
女はウインクして車のドアを開けた。
「おれは二度と会いたくない」
ジョン・ドゥが久々に口を開く。
「あら、そんな言葉を男から言うもんじゃないわ」
女は車を降りてドアを閉めた。
「チッ……自分だけ楽しみやがって!」
ジョン・ドゥは忌々しく舌打ちをする。
黒いスーツ姿の男が瑠諏を担ぎ、地下へ運ぶ。その前を女が歩き、鍵を出して中へと招く。
「散らかってるわね」
血液バッグが散乱しているのを目の当たりにして、女は眉毛を八の字にさせた。
「私があとで片付けるから、坊やを寝かせて」
女が指示すると男は瑠諏をカウンターの上に置き、服を脱がせ、ポケットの中や体をくまなく調べはじめる。
「なにか残ってる?」
女の問いかけに男は黙って首を横に振った。
「今日はメモや体になにかを書いてる余裕がなかったみたいね」
男は軽く頭を下げて瑠諏の棲家を出て行った。
ドアが完全に閉まるのを確認すると女の目は湾曲し、ある目的を達成しようとする喜びに満ちていた。
音を立てずに瑠諏のズボンのチャックを静かに下ろして愛しそうに見詰めた。
「本当はキスしたいけど、舌が歯に当たって吸血鬼にされたら困るから我慢するわ」
ガラガラ蛇の蠕動を真似た舌使いでじっくりいたぶってから、口の中でピチャピチャといやらしい音を響かせる。
自らの口にくわえ、夢中になって奥へと入れていく。
「うっ…」
瑠諏が目を覚まし、頭を上げて下半身で起っている光景を薄目で見る。
「し、篠田レミ?」と、なんとか名を呼ぶと女は顔面に向かって肘打ちをくらわした。
後頭部を強かにカウンターにぶつけた瑠諏は再び気を失う。
「もうちょっと楽しませてよ。どうせ明日になれば嫌なことも忘れてしまうんだから」
女は性欲を満足させるための行為に没頭した。そして、淫らな行為が終ったあと、散らかっていた血液バッグを冷蔵庫に片付けた。
「あら、大事に持ってたのね」
カウンターの隅に転がっていた試験管を見つけて女は微笑んだ。
「これは楽しませてくれたごほうびよ」
女は瑠諏の左手裏側の前腕に“シケンカン”と爪の先で引っ掻いた。