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第四章 吸血鬼はうるう年に生まれる 4.支配者ジョン・ドゥ


 公にできない取引をするには最適な場所かもしれない。

市街地に近いフェリーターミナルから二キロ離れたところに、鉄の塊の墓場と化した広々とした工場跡地が存在した。行き先を伝えるとタクシーの運転手は首を傾げ「旧KZ工場の跡地ですよね?」と聞き返してきた。深夜一時を過ぎてから、月明かりに照らされる廃墟の工場へ行く奴はまずいない。

 降ろされた旧KZ工場は、三年前まで石油プラントだった。油を精製するステンレスの素肌をむき出したタワーが乱立しているほか、白い煙を空に刻んでいたはずの煙突は茫然と月を眺め、外付けの階段はもう来ることのない従業員を待っている。錆びた引込み線は最盛期のときには忙しなく貨物列車が行き来していたことだろう。

 タクシーが去ると寒々とした潮風が瑠諏の頬を撫でた。西側の一番高い煙突を目指したが、どれも同じような高さ。とりあえず西に向かって進んでみる。三十メートルは有にありそうな、赤と白のストライプの煙突が三本並んでいた。真ん中の煙突の根元にグレーのワゴン車が一台停まっている。

瑠諏は自分がとても危険な状況に立たされているのではと訝った。

 電話の相手が騙して殺そうとしていたら?

 記憶を辿って自分に恨みを抱いている奴がいないか、確証を得ることなんて瑠諏には無理。体を一八〇度回転させて注意深く周りを見たが、スナイパーらしき人影はない。

プロの殺し屋がちょっと見ただけで見つかるヘマはしないか……。

警戒感を排除せず、車に近づいた。

 ワゴン車の後部座席のドアを蹴飛ばして、一人の男が出てきた。黒いサングラスを外し、夜空に浮かぶ月を一瞥してから大声で叫ぶ。

「元気そうだな!」

 気安く声をかけてきた男の第一印象はあまり良くない。スーツの裾をコートのようにヒラヒラと長めにして体系を隠そうとしているが、メタボリックを象徴するずん胴型で下腹が突き出ている。枯れた芝生を思わせる薄い髪を整髪料でツンツンに立たせて地肌を見えなくしている。見れば見るほど他人をごまかそうとする工夫がいたるところで見受けられる。 年齢は四十代くらいだろうか。丸型の顔から発せられた声は電話と一致。

「はじめまして……じゃ、ないようですね。名前を教えてもらえますか?」

 諏諏は頭を下げてから尋ねた。男の身分など訊きたいことを頭の中で整理していた。

「まるでVTRのように毎回同じことを聞くんだな」

 男は下っ腹を揺すって笑った。

「すいません、三歩あるくとニワトリのように忘れてしまうみたいです」

 瑠諏は鼻先を手でかきながら冗談まじりに応えた。

「ハッハハハ……そんなに悲観することないだろ」男は体を仰け反らせて豪快に笑い、落ち着きを取り戻してから「どうせ忘れるならジョン・ドゥでいいぞ」と名乗った。バタ臭い濃い顔なのに品が感じられないためか、西洋人とはかけ離れた自分の顔を卑下して笑いを誘う。ジョン・ドゥという名前はアメリカ本土の警察が凶悪な殺人犯を特定できない場合や死体などにも使う呼称だ。女性の場合はジェーン・ドゥとつけられる。

 瑠諏はあまり笑えなかった。

「大活躍じゃないか。警察からは賞賛の言葉しか聞かないぞ」

 ジョン・ドゥはテストで満点をとった息子をほめるように、微笑ましく瑠諏を見詰めた。

「……ありがとうございます」

 捜査状況をもらしているのは、警察組織のどのくらいの地位の幹部なのか考えると返事をかえすのに間があいた。

「次にくる質問はわかっている。誰に指示されて自分が警察と一緒に捜査させられているのか知りたいんだろ?」

 瑠諏は深く頷いた。

「教えてやってもいいが、忘れるなら無駄じゃないか?」

 ジョン・ドゥは尋ねたあと、ククッと短く笑う。

「メモします」

 瑠諏はボールペンをポケットからサッと出して袖を捲った。

「なるほど、腕に書いておけば、見たときに思い出すというわけか。でも、その知恵も無駄だな」

 瑠諏は「えっ?」と出しそうになる声を喉元で押し戻した。

「住所を記したメモ以外はおれが消してしまうからな」

「なぜ?」

 瑠諏の眉間に皺が寄る。

「捜査が円滑に行われるには、知る必要のない情報もあるってことさ」

 ジョン・ドゥはまわりくどい答え方をすると、クルッと後ろを振り向いて叫んだ。

「おい!持ってきてくれ」

 運転席から黒いスーツ姿でガッチリした体格の男が出てきて、ワゴン車から青くて底が白い一般家庭でもよく目にするクーラーボックスを運んでくる。軽そうに抱えているが、クーラーボックスのベルトのスーツ肩口への食い込み具合からすると重量はかなりありそうだ。 中身は聞かなくてもわかる。

「受け取るわけにはいきません」

 瑠諏はボールペンをポケットに仕舞いまがら断固拒否をした。

「どんな心境の変化があったのか知らんが、その言葉は初めて聞く」

「それを受け取ってしまうと、宮路由貴と同類ということになってしまいますから」

「宮路由貴?ああ、今回おまえが捕まえた殺人鬼のことか」

 ジョン・ドゥは視線を斜め上に逸らし、芝居がかった台詞口調で言った。

「そうです」

「おまえが望んでやっている取引なんだけどな」

 黒いスーツ姿の男がジョン・ドゥの前にクーラーボックスを置いた。

「わかりました。でも、いりません」

「決意は固いか?」

「ええ」

「無理だな。おまえは必ず受け取る」

「見くびらないでください」

 瑠諏は軽やかに地面を蹴り、風がビュンと鳴る俊敏さでジョン・ドゥの首に腕を巻きつけた。黒いスーツ姿の男が殺気立ち、銃を構える。

「やめろ!人間のおまえが敵う相手じゃない!」

 ジョン・ドゥは一喝して黒いスーツ姿の男の行動を抑制した。

「ありがとうございます」

 瑠諏は静かに礼を言った。

「おれの血を吸ってなにもかも知ろうって魂胆だな」

「魂胆じゃありません。私には知る権利があります」

「そうかもしれないが、やめたほうが身のためだ」

 ジョン・ドゥは抵抗する気がないのか両腕をだらりと下げた。

「なぜです?」

「二つばかり理由がある」

「教えてくれるとありがたいです」

 瑠諏は首に巻きつけている腕にやや力を入れて絞めた。黒いスーツ姿の男が再び銃を構えた。

「心配するな。おまえは車に戻れ」

 言われた直後は葛藤するように奥歯を噛み締めた黒いスーツ姿の男は後ろ髪を引かれる思いで離れていく。

「いいだろう。まず、おれも吸血鬼であること、それとおまえはおれに絶対に敵わないということだ」

 こいつが吸血鬼?

 ジョン・ドゥの自信満々な態度は、はったりなのか判断するのが難しい。

「しょうがないですね、血は受け取りましょう。でも、あとから捨てます。ですからこの取引を誰が後ろで糸を引いているのか教えてください」

 瑠諏は自分なりの妥協案を提示した。事件を解決した報酬とはいえ、人間の貴重な血液を裏でコソコソ取り引きする根性が許せないし、自分自身にも腹が立っていた。こんなことをしていたらそのうち誰かにバレる。そうなると吸血鬼は人間社会から迫害を受けることになりかねない。

「おまえだけが特をする無茶苦茶な取引が成立するわけないだろ」

 ジョン・ドゥは呆れたように妥協案を蹴った。

「そうかもしれませんね。でも従ってもらわないと困ります」

「困らねぇよ。どうせおまえの“オツム(あたま)”だと忘れるだろうからな」

 ジョン・ドゥのひと言は瑠瑠のこめかみの静脈を沸騰させた。記憶を失ってしまう自分は、人間からも吸血鬼からも都合の良い道具として扱われ、存在を否定されている。脳細胞はコントロールを失い、心臓へ流れる血液の温度が上がって感情の冷静な部分が崩壊した。

 瑠諏は無意識のうちにジョン・ドゥの首筋へ飛びついた。

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 瑠諏は劇場の最前列の真ん中に座らされ、他に客がいないお決まりの風景におさまっている。ただし、天井に描かれているフレスコ画の天使の笑顔がいつもより控えめのような気がした。

 瑠諏を待っていたかのようにゆっくりと幕が上がる。現れた舞台を見て瑠諏は身構えた。 背景は映画のスクリーンのような白いシーツ。舞台の中央に粗末な作りの木製の椅子が一脚だけ。そして、その椅子にはジョン・ドゥがどっかり腰を下ろしている。

「意外に短気だな」

ジョン・ドゥが首を擦りながらだるそうに話しかけてきた。

初めての経験に瑠諏は言葉が出ない。舞台の出演者にこれまで声をかけられたことなんてなかった。繰り広げられる舞台は記憶の中のもの。座席にいる自分はあくまで傍観者に過ぎない。と、思っていた。覆された現実に瑠諏は沈黙する。

「自分だけが特別な存在だと思うなよ。おれはこの舞台の支配者だ」

「この舞台?支配者?」

 瑠諏の視線はジョン・ドゥをするどく捉える。

「おれは舞台を自由自在に操れる。おまえの思考をブロックすれば舞台から追い出すこともできるし、その逆も可能だ」

「それはすごい」

 瑠諏は目を大きく見開いて驚きの表情をわざとつくった。

「見た目で判断するなよ。この醜い体は人間のそれなりの地位に辿り着くための第一段階だったんだ」

「意味がわかりませんね」

 瑠諏は腕を組む。

「おれは人間でも吸血鬼でも体中の血を大量に吸うと、その体を手に入れることができる」

「その醜い体の持ち主は殺したんですか?」

「人間たちと手を結ぶ前のことだ。時効だ」

「時効なんて法律はとっくに破棄されましたよ」

「それは知らなかった」

 ジョン・ドゥが白々しくとぼける。

「だれから授かった力なんです?」

「おれたちの親だよ」

「親?」

「そうだ」

「会ったことがあるんですか?」

 瑠諏が目に力を入れて尋ねる。

「当然だろ」

「会わせてください」

「無理だな。おまえにはまだ早い」

「私が会ったら都合の悪いことでもあるんですか?」

「未熟者を親に会わせたら、粗相をする恐れがあるからな」

 瑠諏には新聞を読みながらバス停で待っている紳士の足に飼い犬がマーキングしてしまうというような例えに聞こえた。気に食わない。すべてが気に食わない。

「私になにをさせたいんですか?」

 瑠諏の口調は自然ときつくなる。

「いまさらそんな質問をするのかよ」

 ジョン・ドゥは困ったもんだ、と言いたげにため息をつく。

「人間様と仲良くするためのひとつの道具さ。わかるか?おまえさんは道具なんだよ」

 道具……。

「これからは協力しません」

「拒否権の行使など認められないぜ」

 そう言ってジョン・ドゥは頬を不快に歪める。

「では、交渉は不成立ということで……」

 瑠諏は目を閉じ、舞台を見るのをやめようとした。しかし、瑠諏の意識はまだ劇場の中に存在した。座席に座っている感覚に変化はない。目を開けるとジョン・ドゥのさらに卑屈な笑みが待ち構えていた。

「考えたことはないか?ずっとこの世界に閉じ込められていたら、自分の体はどうなるんだろうってな」

「えっ?」

「この劇場から出られなければ、現実世界のおまえの体は植物状態の吸血鬼として人間社会の貴重な標本となるか、おれが海に沈めて魚のエサになるかのどちらかだ」

「脅すんですか?」

 冷静に尋ねた瑠諏だったが、表情は険しい。

「おまえが反抗的な態度をとるからだろ」

「操り人形のようにこき使われるのは願い下げです」

「今日はやけに素直じゃないな」

「ここから出してもらえますか?」

「自由を掴みたかったら自分の力で取るんだな」

 ジョン・ドゥが人差し指を突きたて、クイッ、クイッと指招きで挑発する。

 瑠諏の脳にはジョン・ドゥに対する怒りだけが充満した。フワ~と浮くようにジャンプして舞台へ上がる。

「おなたの言いなりにはならない」

 瑠諏はジワリジワリと距離を詰める。

「気合いだけはほめてやる」

 闘う前からのジョン・ドゥの勝ち誇った顔は瑠諏の頭の中をさらに加熱させた。ずば抜けた瞬発力で水平に飛び、椅子に座ったままのジョン・ドゥに襲い掛かる。

「ぐわっ!」

 声帯を押し潰されたように呻いたのは瑠諏。恐ろしく伸びてきた片腕に喉を鷲掴みされた。ジョン・ドゥの指には鉤状の爪が明瞭な武器として備えてあった。爪が皮ふにめり込み、血が滲む。鉄製の鋲が付いた首輪で固定された気分だった。身動きできす、宙に浮いた足をバタバタさせる。

「ここはおれが支配している世界だと言ったろ。変幻自在になんでもできる。おまえの首をへし折ることなんか朝飯前だ」

 ポキポキッと嫌な音がした。首筋の関節をスムーズに動かす潤滑油の気泡が破裂した。

「あがっ……」

 瑠諏は呼吸を整えることも難しくなった。

 ジョン・ドゥが椅子から立ち上がり、腕を上へ上へとあげていく。

「天国に近づいたか」

 せせら笑うジョン・ドゥの声を微かに耳にとらえた瑠諏は、自分の無知さを思い知った。血を吸うことで芽生える映像の中で、自ら舞台に上がり、闘った経験がないのに挑発にのってしまったことを。しかも今回はジョン・ドゥに支配されている世界で立場は圧倒的に不利だったことを。

「おまえと闘う必要性はないと思ったが……争うのは必ずしも善と悪とは限らないというわけか」

ジョン・ドゥが同情するような顔をした。

 仲間意識からくる心情なのかは知る由もないが、瑠諏はいましかないとすべての力を下半身へ集中させた。浮いていた両足でジョン・ドゥの脇腹を挟み、体をねじりながら倒した。

「おっと」

 ジョン・ドゥは体を床で回転させ、距離を取り、すぐに立ち上がる。

「若気の至りでは許されんぞ」

 重量感のある声でジョン・ドゥが凄む。

「手加減するからさ」

 瑠諏は口の端から流れる血を手で拭ってから微笑んだ。

「ガキが!」

 ジョン・ドゥが敵意むき出しで感情を吐き出す。すると、天井に描かれている天使たちがフレスコ画からスッと立体化して飛んでくる。まっしぐらに瑠諏の背後に回って小さくてぷっくりとした白い手と足で掴む。羽をパタパタと動かす貧弱な力なのにもかかわらず苦もなく羽交い絞めにした。

「おれの想像力に不可能はない」

 ジョン・ドゥは陰険な目つきをして瑠諏に近づいた。

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