第三章 行方不明者捜索 3.宮路由貴
倉成仁の住所はDead leadves地区繁華街の中心部。KLT銀行から車で十分もかからない距離だった。一階がゲームセンター、二階がパチンコ店、それより上の階がマンションとして使えるようになっている。三階から上の階段は急に幅が狭くなり、五階の最上階に倉成が住んでいる部屋があった。
原田がチャイムを鳴らすとアニメキャラクターのTシャツを着た男が寝たそうな顔をして出てきた。キャラクターはだらしないお腹のせいで横に伸びきって、原型をとどめていない。倉成仁。職業はバイト先を転々と変えて生活しているらしい。
「なんだよ、こんな朝早く」
迷惑そうに顔の幅だけドアを開けた。
「倉成さん。昨夜はどちらに居ましたか?」
サトウが警察手帳を見せながら穏やかに質問する。
「昨日はずっと家に居たよ」
倉成は表情を変えずに答えた。
「なにしてました?」
「テレビ見てたよ」
「そうですか。誰かと一緒でしたか?」
「いいや、一人だった。ちょっと待てよ、おれはなにかの事件の容疑者なのか?」
倉成がすねたように訊き返す。
「いいえ。あなたのものと思われる血液が今朝方発見されたので、所在を確認にきたのですが、ケガはしてませんね」
サトウは象のような倉成の巨体を舐め回すように見て言った。
「全然、ピンピンしてる。でも、気持ち悪いな。本当におれの血なのか?」
「まだ、はっきりとはわかりません。献血されたことはありますか?」
「半年くらい前にやったよ」
「そうですか」
「献血された血が盗まれたのか?」
「それもまだわかりません」
「せっかく献血してやったのに、無駄なことをするもんだ」
「なにかわかったら連絡をさしあげます」
「ああ、頼むよ」
「それから、この写真の人物に見覚えはありませんか?」
サトウは携帯の画面を倉成に向けた。
宮路晋吾の奥さんが、捜索願のために提示した写真がついさっき警察関係者に送信された写メだ。やつれた感じの若い男が、虚ろな目で正面を見詰めている。
「知らないな。どこにでもいる好青年のサラリーマンって雰囲気だな。どこかの店で会っていたとしても記憶から抹消してるよ」
倉成は写メから最大限のほめ言葉を引き出してから否定した。
「なにか思い出したら連絡をください」
サトウは名刺を渡した。
「わかった」
倉成とのやり取りで得たものはなく、サトウと原田の表情には落胆の色が出ていた。捜査が早くも行き詰まり、これから先の捜査方針が限られてしまった。
「行方不明になった宮路晋吾さんの奥さんに話を聞きにいくか」
「はい」
サトウの判断で車はDead leadves地区からDF地区(旧田園調布)へ向かった。DF地区は街の中心に公園があり、そこから同心円状に伸びて整備された道路が広がる。上空から見ると扇形を形成して他の地区との違いを見せつけている。主に富裕層が暮らしていることで有名な地区だが、車で走ってきた道をぐるぐる回っているだけの感覚になるので、ナビがないと自分がどこにいるのかわからなくなる。
「この家です」
原田が車を出て番地と表札を確認してから戻ってきた。
宮路家は最先端の建材を使っているらしく、ガラスのようにぴかぴかに磨かれた黒い石材で出来ていた。南側の屋根が傾いて太陽光の入射角を取り入れていることから、吹き抜けの広いリビングがあることを窺わせた。玄関までのアプローチはレンガが敷き詰められ、左側はカーポート、右側に庭があり、監視カメラも設置されている。インターホンの音色も上品に聞こえた。
「はい、なんでしょう?」
不安そうな声で女性が尋ねてくる。
「警察の者です。ご主人のことでお伺いにまいりました」
サトウがインターホン越しに答える。
「何かわかったんですか?」
「いいえ、まだなんの情報もありませんが、いろいろと聞きたいことがありまして……」
サトウは言葉を濁した。宮路家に来るまでの車中で瑠諏が“血の付着したものを舐めることが可能なら手掛かりを掴めるかもしれません“と言った。宮路晋吾が自宅で襲われて血痕が残っていれば事件の解明は早くなる。しかし、争う声が聞こえ、キャッシュカードが落ちていたことを考えると、KLT銀行の裏手が現場だった可能性が高い。宮路家から収集できるものは皆無だとサトウは思っていたが、念のために調べておく必要はある。
千鳥柄でモスグリーンのワンピースを着た細身の若い女性が俯きながらドアを開けた。名前は宮路由貴、二十四歳。目、眉、鼻、口の各パーツがどれも小さくて細く、無駄に主張していない。前髪をきれいに切り揃えたおかっぱ頭の黒髪が光沢を放ち、和人形のような清楚な雰囲気を漂わせる。彼女は大学生時代に宮路晋吾と知り合い、そのまま結婚したので職歴はなく、子供は授かっておらず、両親も住んでいない。その割に無駄なくらい家は大きい。
「サトウといいます」
警察手帳を見せて身分を証明すると由貴は家の中へ入れてくれた。
外観とは違い内装はログハウスかと見紛うほど壁と天井が木目調で床もフローリング。粘着シートで補っているのかなと思ったら、木の香りがして本物の木材を使っているようだ。
リビングに通され、三人は長椅子を勧められた。
外観から想像したとおり、斜め上から射し込む陽射しが、吹き抜けのリビングに明るさをもたらしている。
コーヒーをお盆にのせて由貴がやってくると、さすがに空気は沈む。膝丈くらいの高さのテーブルに三人分のコーヒーを置いて向かい側に座っても、彼女は下を向いたまま。喪中しているのかと思うほど黒でまとめた服装の瑠諏に、不快感どころか興味も示さない。
「今朝になって旦那さんが居ないことに気づいたんですね」
「ええ、酔って朝帰りをするタイプじゃないんです。真面目な人なんです」
「キャッシュカードを見せてあげてくれ」
サトウに指示され、原田が透明なビニール袋に入ったキャッシュカードを由貴に差し出した。
「夫はKLT銀行に口座を持っていましたから、間違いないと思います。どこに落ちていたんですか?」
カード表面の凸凹した夫の名前をなぞりながら由貴が訊く。
「KLT銀行のDead leadves地区支店です」
いろいろなことを聞かれると思ったが、キャッシュカードを愛しそうに見詰めている由貴を見て、サトウはしばらく静観することにした。
「旦那さんは料理などをしますか?」
瑠諏が沈黙を破る。
「いいえ」
由貴は首を振った。
「自分で果物を切ることもないんですか?」
瑠諏が再確認する。
「しません」
「日曜大工は?」
「まったく……」
「最近旦那さんは家の中でケガをしませんでしたか?」
「いいえ」
「ちょっとした切り傷もしてないんですか?」
瑠諏が矢継ぎ早に質問する。珍しく焦っているようにサトウには見えた。
「そこまでは……一体なにを知りたいんですか?」
「す、すいません。DNAを採取するのに血液が付着したものがないかと思いまして」
サトウが割って入り、瑠諏が質問した意図を説明した。
「DNA?洗面所にいけば晋吾さんのブラシに髪の毛がついていると思いますけど、血がついてないと駄目なんですか?」
由貴は腑に落ちない様子で眉を八の字にさせた。
「警察の手続きの関係で血液がついていたものがあれば、迅速に事を進めることができるんです」
サトウが押し切る感じで納得させ、旦那さんが大半の時間を過ごしているという二階の書斎へ案内してもらうことにした。
二階の廊下から一階のリビングが見下ろせた。階段を上っているとき、サトウは原田に耳打ちして由貴を書斎から遠ざけることを命じた。原田は一瞬困った顔をしたが、なにか名案でも浮かんだのか書斎に入る間際に大きくうなずいた。
「奥さん、念のためにブラシから髪の毛も採取しておきたいので案内してくれませんか?」
「……はい」
原田のひと言で書斎から離すことに成功したが、警察の曖昧な対応に由貴は冷めた態度で原田を連れていった。
書斎は六帖の広さがあって、床から天井すれすれまで高さのある書棚が両サイドから挟み込み、豊富な量の本を詰めていた。棚には漫画本もあったが『数式による株式相場の連動性』など硬い題名のHOW TO本から、歴史や文学などの蔵書まで揃っていた。入口から突き当たりの窓に一人分の机と椅子が置いてあり、所在が掴めない主を待っている。
瑠諏は本棚に寄り添い、本の背表紙を指でなぞると、適当に三冊抜き取ってペラペラと捲った。
「どれも新品同様で熟読している形跡はありませんね」
「大切に読んでいるんじゃないのか?」
「そうかもしれません」
瑠諏が感情のこもっていない答え方をした。
「普通に戻ったな」
「普通?」
「由貴さんに質問しているとき、なにか焦っているような気がしたぞ」
「今回の事件はあまりお役に立てそうもないので、そんな風に見えたんじゃないですかね」
瑠諏が冗談っぽく言い返す。
「それは情緒不安定だったことを認めたと解釈していいんだな?」
「どうぞ」
二人はそんな会話をしながらも、目を皿のようにして手掛かりになるものを探した。
ゴゾゴソ……と瑠諏がパンダンというヤシに似た葉を編みこんだゴミ箱をあさりはじめ、しばらくすると、手の動きが止まった。瑠諏は幅十九ミリ、長さ七十二ミリの絆創膏をゴミ箱から取り出した。傷口を当てる白いパットの部分が茶褐色に染まっている。
「やったな」
サトウは静かに歓喜した。
「意外と新鮮ですよ」
瑠諏は鼻を動かす。
「奥さんに見られないうちに早く」
「では、行ってきます」
瑠諏はペロリと絆創膏を舐めた。
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舞台は狭いワンルームマンション。卑猥な写真が堂々と表紙を飾る雑誌を散らばせ、ゴミなのか生活に必要なものなのか区別できないものが入り乱れ、部屋には足の踏み場がない。ただし、デスクトップのパソコンが置いてある机だけはきれいに片付けられていた。
太った男が窮屈そうに体を揺すりながらトイレから出てきた。
倉成仁……。
瑠諏は顎に手をあてがって舞台の続きを見詰める。
倉成はパソコンのキーボードをカタカタ叩きながらネットにアクセスして無修正のHな画像を見ている。しばらくするとチャイムが鳴り、倉成はドアスコープを覗いて確認すると相手を部屋に入れた。
「遅いぞ」
倉成が顔を見るなり不満をもらした相手は宮路晋吾。彼は暗い表情で中へ入る。
「お金は用意できたか?」
倉成がピアノ線くらいに目を細めて訊く。
「もう少し待ってくれ」
宮路は頭を下げて懇願した。
「またかよ!」
罵った倉成は転がっていたゴミを蹴飛ばす。
「すまない」
宮路の謝り方からすると、よほどの弱みを握られているらしい。
「あんたが職場から血液バッグを盗んでいることをバラしてもいいんだぜ」
「一〇〇万ドルなんて大金がすぐに集められるわけがない」
宮路は控えめに拒否をする。
「二十代であれだけの家をDF地区に建てられるんだから、一〇〇万ドルなんてはした金だろ」
「親から援助してもらったんだ」
「だったらまた親に援助してもらいな」
「頼む!あと一週間待ってくれ!」
「無理だな。血液銀行の監視カメラの映像やデータベースに侵入するとき、手助けしてくれた仲間にお金のことを約束してあるんだよ」
「そんな……」
「ところで盗んだ血液はどうしてるんだ?お金に変えてるのか?」
「いや、それは……」
宮路は答えづらそうに言葉を詰まらせる。
「定期的に一ヶ月に四バッグずつデータを改ざんしながら拝借してるだろ。監視カメラの映像と照合したから、なにもかもお見通しだぞ」
「君には関係ない」
「教えてくれたら五〇万ドルにまけてやってもいいけどな」
倉成の脅迫に近い誘惑の言葉で、宮路は悩むような表情をしたあと、重々しく口を開いた。
「吸血鬼に渡している」
宮路が少女のようなか細い声で答えた。
「吸血鬼に?人類に対してとんでもない裏切り行為だぜ、ハハハ。これでまたひとつ強請る材料が増えた」
倉成は愉快そうに高笑いをした。
「約束が違う」
「心配するな、簡単な取引さ。おれの血液を回収してくれ。登録番号を追跡したら、まだ使われている形跡がない。取り戻してくれたら五〇万でいいぜ。おれは吸血鬼に飲まれるために献血したんじゃないからな」
「わかった」
宮路は渋々OKした。
取引が成立して帰ろうとすると、宮路が転がっていたビール瓶で足を滑らせ、運悪く缶詰のギザギザの蓋で足の裏を切った。
「あんた、お祓いしてもらったほうがいいぞ」
倉成はポイッと絆創膏を投げ、宮路はヒラヒラと舞い落ちる寸前で掴んだ。
幕が下りるとともに瑠諏も瞼を閉じた。
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瑠諏は真っ赤な目の輝きがおさまってからも、しばらく考えふけっていた。サトウはなかなか声をかけられる雰囲気じゃないのを察して、黙って口を開くのを待つ。
「今回私が見た舞台を忠実にお話ししますので、感想はのちほど。まず、宮路晋吾は倉成仁に強請られていました」
瑠諏は懇切丁寧にサトウに説明をはじめた。そして、宮路が足の裏を切った場面のところで舞台が幕を閉じたことを苦々しい表情で話す。
「まさか、血液銀行の職員だったとは……」
「職員の名簿は警察にも開示されないんですか?」
「なにかと狙われる存在だからな」
まさか吸血鬼に狙われるのを防ぐためだと直接的な表現は使えず、サトウは曖昧な答え方をしたが、意を決した。
「宮路晋吾はお金の工面がつかなくなって自ら行方をくらました可能性も出てきたな。そしておまえにはつらいことかもしれんが、州政府が配っている血液ではものたりない欲張りな吸血鬼が宮路を脅していたとなれば大問題だ」
結局は思ったことを素直に口にした。瑠諏がどんな反応をするのか試したかった。
「例え追っている犯人が吸血鬼だとしても私のやるべき仕事に変わりはありません。法を守れない吸血鬼は警察へ突き出してやります」
「その言葉を聞いて安心した」
瑠諏の揺るぎない決意を聞いて、サトウの顔は自然と笑顔になった。
「もう一度倉成に話しを聞きにいきますか?」
「そうだな。拉致してるかもしれないしな」
サトウは宮路晋吾がすでに殺されているという負の考えを排除した。
「彼も宮路を必死に探しているかもしれませんから、少なくとも探さなくていい場所は訊き出せるでしょう」
「脅されている吸血鬼に拉致されている可能性もあるな……瑠諏、おまえは人間と吸血鬼の区別はつかないのか?」
「私にはそちらの嗅覚は全然ありません。私たちが習性で好む黒い服でも着ていれば話は別ですけど」
瑠諏が申し訳なさそうに答える。
「気がかりなことがあるんだ」
サトウが考え深げな表情に変わる。
「なんです?」
「奥さんはおまえを見ても怖がりもしなければ興味も示さなかった。ということは身近に吸血鬼の存在を常に感じているのではないかと思ってるんだが……」
「吸血鬼を見慣れているってことですか?」
「そうだ」
「その可能性はないとはいえませんね」
「吸血鬼と関わりがあるのか訊かないといけないな」
サトウは腕組みして嫌な役を引き受ける覚悟をした。
「旦那さんを心配している姿は嘘とは思いたくないですね。そもそも彼女は旦那さんが血液銀行に勤めていることを知っているんですかね?」
「いや、いまも知らないと思う。血液銀行に勤めていることは秘密なはずだから平凡なサラリーマンとしか認識していないだろ」
「もし彼女がそのことを知っていたら?」
「怪しいよな。でも、まさかな……」
サトウが両手を広げて肩をすくめると、由貴と原田が書斎にやってきた。
「ブラシから毛は採取できたか?」
「はい」
サトウの取り繕った質問に、原田は最小限の返事で無難に答えた。
「奥さんに訊きたいことがあります」
「なんでしょう?」
「吸血鬼にお知り合いはいますか?」
「えっ?なんでですか?私があんな化け物たちと知り合いだなんて誰かが言い触らしているんですか?不愉快だわ」
由貴が不快感を露にした。さっきまでのおしとやかさが影を潜める。
「化け物?彼らたちも人間と同じで、悩み、苦しみ、そして笑う生き物なんですよ」
瑠諏との付き合いがなければ、一生出ることがなかった台詞がサトウの口から放たれた。
「でも、血を吸いますよ」
由貴は苦笑いをして食い下がる。
「すいません。話しがずれてしまいました」
被害者の妻を責めてもしょうがなく、サトウは大人の対応に切り替える。
「夫が行方不明になったことと吸血鬼がなにか関係があるんですか?」
「いえ、まだわかりません」
「ひょっとしてそちらの方は吸血鬼?」
由貴が微笑んで尋ねる。
「はい、そうです」
瑠諏が正直に答えた。
「ごめんなさい。まさか警察に協力する吸血鬼がいるなんて知らなかったもので」
由貴は謝ったが顔は笑っていた。
「瑠諏ビンといいます。自己紹介が遅れて申し訳ありません」
瑠諏が頭を下げる。
「とてもわかりやすい格好をなさっているのね」
「ええ、私が吸血鬼だということを間接的に教えてあげないと、心臓麻痺を起こしてしまう人がいますから」
「面白い冗談。よくお喋りになるのね」
「吸血鬼が無口だというのは迷信です」
二人は波長を合わせるように笑った。
その後、倉成が宮路家に押し掛けてお金をせびり、危害を加える可能性もあるので原田に外で見張りをさせることにした。
「いつまでですか?」
原田は不満そうに尋ねた。
「おれが連絡するまで宮路家から離れるな」
「は、はい」
不服そうな返事をする原田から、瑠諏はブラシについていた毛を受け取った。サトウは芝居で受け取ったと思っていたが、倉成のマンションに向かう車中で瑠諏は髪の毛の先から毛根部分まで丁寧に舐めた。
「どうだ?」と、サトウが尋ねると瑠諏は渋い顔をして言った。
「無精な舞台しか見れませんでした。頼りは倉成仁だけです」