第三章 行方不明者捜索 2.赤い水たまり
翌日の朝、サトウと瑠諏はKLT銀行の裏手に呼ばれ、ひび割れたアスファルト面を保護するために敷かれている鉄板を見下ろしていた。
「かなりの量ですね」
「ああ」
鉄板の上には赤い水たまりが浮いていた。
僅かな歪みにたまっているだけなので深さはないが、半径一メートルくらいの水たまりは、トラックなどの大型車が傍の道路を通るたびに波紋を刻む。
鑑識課の安本が赤い液体を綿棒で採取し、ルミノールというラベルが貼った小瓶からスポイトで試薬を吸い取った。綿棒の先に試薬を垂らして、オレンジ色の保護メガネをかけて発光具合を調べる。
「血液に間違いないです」
「致死量は超えていないが……」
血液だということが判明して、サトウの表情が険しくなる。
「午後十一時半くらいに近くのコンビニで、買い物していた客が争うような声を聞いたそうです。これだけの血を流したのなら、大ケガしているでしょうね」
原田が報告と漠然とした感想を述べたあと、緑色のキャッシュカードをサトウに渡した。
「すぐそこに落ちていました。持ち主は宮路晋吾、二十八歳で会社員。今朝、奥さんから捜索願が出されたばかりです」
「KLT銀行のキャッシュカードか」
「はい。キャッシュカードを盗らないなんて、犯人の目的はお金じゃなかったんですかね?」
原田は小首をかしげる。
「あるいは被害者が事件に巻き込まれたことを知らせるために、わざと落としたのかもしれないな」
サトウは膝を折って赤い水たまりを覗く。
「とりあえず舐めてみますか」
「頼む」
瑠諏が鉄板に両手を付けて、頭を下げると舌を赤い液体へ這わせた。
サトウはその異様な光景に慣れたが、二回目の経となる原田と初めて目にする鑑識課の安本は顔をしかめた。
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瑠諏は前屈みになって舞台を覗き込む。
赤十字のマークがいたるところにプリントされた白くて衛生的なバスの中に、小さい目、ぷっくりふくらんだ鼻筋、丸い顎を携さえた太った男が乗り込む。血液カードを受付に提示して針を左腕の静脈に刺され、血液バッグに四〇〇mlを採血すると止血バンドを貼って、お礼のオレンジ・ジュースを一気に吸い上げ、紙パックを握り潰すみたいに凹ませた。
もの足りなかったのか、ズズッと残りの一滴まで飲み干してバスから出ていく。
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「こんなに無意味な舞台を見たのは初めてかな」
覚醒した瑠諏は独り言をもらした。
「どういうことだ?」
サトウがいままでにない瑠諏の反応を心配した。
「血を流す現場を見ることができませんでした。見たのは赤十字社血液銀行のバスで献血する太った男です」
「おまえの能力も空振りすることがあるんだな」
サトウは驚きを隠せない。
「ここに残された血液は私が見た太った男のモノだということは間違いないと思います」
「宮路晋吾の身長と体重は?」
サトウが尋ねると原田は慌ててメモ帳を捲る。
「身長は一七四センチで体重は六十キロくらいだそうです」
「太った男は?」
今度は瑠諏に同じ質問をした。
「年齢は二十代前半。身長は一八〇から一七〇センチで、体重はおそらく一〇〇キロを超えています。それと血液カードを見ることができました。名前は倉成仁。偽ってなければ突き止められるでしょう」
「この血が宮地さんのものじゃないとすると、献血して保管していた血を誰かがここに捨てたなんてことは考えられませんかね?」
原田の指摘した可能性はあまりにも低いと思われるが、サトウは首を捻りながら応じた。
「血液銀行の警備は厳重だ。まず持ち出すことなんて考えられないが、盗めたとして血を撒くために、そんな危険を冒すメリットがどこにある?」
「そうですね、これは単純な悪戯ではないですね」
「まずおれたちがやることは行方不明者の宮路晋吾さんを探すことが先決だ。いまのところ手掛かりは倉成仁だけだ。原田、血液銀行に倉成仁の身分照合を要求してくれ」
「はい」
原田はすぐに携帯を使って刑事課の居残り組に身分照会請求書を作成させ、電子書類を上司に送信し、決裁を求めた。
折り返し連絡があって倉成仁の住所が伝えられたのが十四分後。
「わかりました。ありがとうございます」
原田が居残り組に礼を言ったとき、三人はすでに車の中で待機していた。
「じゃ、行くか」
サトウの掛け声で原田は車をスタートさせた。