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プロローグ

 それほど遠くない未来のお話。

財政破綻した日本はアメリカの五十一番目の州となった。人口が六千万人を切り、財政の建て直しが困難になっても一定の生活レベルを引き下げることを拒んだ日本人はアイデンティティー(存在証明)を捨てた。

 そんな日本州に、人間の姿をした吸血鬼が突如として現れた。

 確認された数は四十以上。吸血鬼に弱点などなかった。照りつける陽射しの下を平然と歩き、十字架を突き出すと首をかしげて見詰める。

日本州全域に戒厳令が発令された。

吸血鬼と人間の戦いが本格的にはじまろうとした矢先、血液中に潜む得体の知れないウィルスの影響(州政府報道官発表)で人間の数が激減し、残り少ない血液をめぐって吸血鬼が仲間同士で争う事態に発展した。

 ウィルスにより大きな犠牲をこうむることになった人類と吸血鬼の代表者が手を結び、法を厳守し、お互いを傷つけない取り決めを交わした。

吸血鬼は日本州で二つの恩恵(おんけい)を得られることになった。州政府立会いのもと、血液銀行から毎月5バッグ(1バッグ400ml)の血液が支給され、住居もDead leadvesデッド・リーヴズ地区(旧秋葉原)限定ではあるが合法的に許可された。 尚、犯罪行為をした吸血鬼には人間と同等の厳正なる処罰が与えられる。

 州というカテゴリーに落ち着いた日本だが、いまだにアメリカの国旗には五十一個目の☆がつけられていない。一部の極端で保守的な思想を持つ者から反発はあるものの、すでに赤と白のストライプに心が染まっている元日本人から不満の声は上がらない。

 吸血鬼も人間社会へ溶け込むのにそんなに時間はかからなかった。

なぜなら陰の結びつきも強固なものになりつつあったからだ。

                ★

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                ★

 堅牢な貨物用コンテナを間仕切壁のように並べ、迷路のようになっている敷地内は子供たちがかくれんぼや秘密基地として利用するには絶好の場所。 ただし、夜になると野良猫の贅沢な寝床として活用する以外に使い道はないと思われた。

 男がその敷地内を訪れると、それまで顔を出していた月が風で流されてきた雲によってすっぽり隠されてしまった。

川を挟んだ対岸にはオレンジ色の2基のクレーンが、ライトに照らされながら巨大な船体を急ピッチで組み立てているが、境界線でもあるかのように男が踏み入れた敷地には、ぱたりと賑やかさが失せていた。

 一画に息を潜めて建っている古びた倉庫の前に高扱そうなスーツを着た男がドアをふさぐようにして立っていた。

「来ました」

 スーツを着た男が無線機に語りかけ、スピーカーから無愛想な声で『入れろ』とだけ指示されるとキィーと耳障りな音をさせてドアを引く。

 スーツを着た男は中に入らずドアを閉めた。

 三十二坪の平屋建て。むき出しの鉄骨が三角屋根を支え、床は緑色の防塵塗装でツルツル。靴の底がキュッ、キュッと擦れる音が響くほど意外にも清掃が行き届いていた。

「こんなところに呼び出すなんて、もうちょっとマシなところはなかったのか?」

 倉庫の真ん中で待つ腰の曲がった老人に、男は冗談まじりに軽く毒を吐く。

「まぁ、そう言うな。少し前まで政府の備蓄米を保管していた由緒正しい倉庫だぞ」

 老人が愛しそうにタバコを吸うと伸びきった灰が重力に負けて床に落ちた。

「備蓄米?フフ……おれたちは食べ物でもなければ動物園の見世物でもない」

「わかっておる」

「いいや、わかってない。おれたちは人間を次ぎのレベルへ引き上げてやれるのに最近の扱いは目に余る」

「レベル?」

「得体の知れない伝染病が蔓延してバタバタ人間が死んでいく中、おれたちに噛まれた人間は感染せずに生き延びているじゃないか」

「血を吸う化け物になるオマケつきじゃろ」

 老人の目が卑しく光る。

「人を襲わないという契約を交わしてから、吸血鬼の犯罪は起こっていない」

 男は迎賓館で行われた調印式の出来事を持ち出した。

「ところがその契約を破るものが現れた。血を吸うために人間を殺している(やから)がな」

「証拠はあるのか?」

 男が歯を見せて笑った。

「いずれ証拠を突き出してやる」

「楽しみにしている」

「まわりくどいことをしなくても一気に片をつけてもいいんじゃぞ」

 老人が目尻から放射状に伸びる皺と同じくらい、目を細くして訊く。

「脅しか?」

「誠意を見せてくれれば、少しくらい先延ばししてもいいのじゃが……」

「どんな誠意だ?」

「なんでも血を舐めると、その血を流した人物の過去の場面が見える吸血鬼がいると聞いた」

「ああ」

 男はとぼけるように生返事でかえした。

「犯罪が増えていちいち鑑識の結果を待っていたら埒が明かない。その能力を持つ吸血鬼を貸してくれんかの?」

 頼みながらも老人の目の奥には傲慢さがともっている。

「吸血鬼に容疑がかかっている事件を担当することになったら、仲間のためにその吸血鬼が嘘をつくかもしれないぞ」

 男が探るような目付きで忠告をする。

「君を信頼しておる」

 話し合いの先に光が見えたからだろうか、老人は短くなって煙が出なくなったタバコを手から滑り落とした。

「ありがたいね」

 男は鼻で笑った。

「話しは少し変わるが、君たちの生みの親は誰なんだ?どこにおる?」

「いま、その質問はナンセンスだ。なにをたくらんでいる?」

 男は血のように眼を赤くさせ、乱杭歯をむき出し、老人に歩み寄った。

「そんな脅しはワシには通用せんぞ」

 老人は一歩も引かず、表情も冷静だ。

「急に生みの親を知りたくなった理由はなんだ?」

「質問に答えんか!」

 老人が首筋の血管を浮き上がらせて怒鳴る。

「それはできない相談だ。というより不可能な相談だ」

「はぐらかすな」

「本当だ。おれもよく知らないんだ」

「嘘をつけ!」

「さっき君を信頼していると言ったばかりだろ。それにいずれ歴史が証明してくれることになる」

「まぁ、いい」

 老人は興奮した自分を恥じるように下を向く。

「そんなに知りたければ、おれたちの仲間になれよ」

 男は乱杭歯から粘り気のある涎を垂らした。

「遠慮する」

 老人がヤニだらけの黄ばんだ歯を見せて断ると、男は目の色と乱杭歯を元の鞘に戻した。

「ケッ、喰えない男だ」

「老いぼれの肉は硬くてまずいぞ」

お互い冗談半分の言い争いをしたあと、男は「またな」と言って倉庫から出て行った。

 間もなくすると倉庫の隅から闇と同化していた一人の女が老人のところまで歩いてきた。これから就職の面接に向かう大学生のような白いブラウスに紺色のスーツを着ている。

「大丈夫ですか?」

 女は黒縁メガネを神経質に中指で上げて知的な視線を送る。

「問題ない」

「吸血鬼をあまり怒らせないでください」

「非公式での話し合はいつもこんな感じじゃ」

「しかし…」

「案ずるな。こういう危険を冒すのは白々しいあやつらの態度が改まるまでじゃよ」

 倉庫には老人の卑屈な笑いが響いた。


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