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KANREKI SYNDROME  作者: 秋月しろう
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短編ですが、2回に分けて投稿します。

             KANREKI SYNDROME



その変化が起こったのは、今年になってからだと思います。いえ、もしかしたら昨年の終わりくらいから徐々に進行していたのかも知れません。

初めて気づいたのは平成二十五年のお正月。手術のため入院していた夫が年末に外泊許可を得て家に戻り、久しぶりに家族がそろった元旦でした。

お正月といっても、それほど特別なことはありません。元旦の朝に、家族三人でおめでとうを言い合うだけのものです。お互い心から新しい年を祝うというのでもなく、どこかしら儀礼的な挨拶――同じ家の中でとりあえずおめでとうを言えば、私たちは家族なのだという、安易な了解のもとで交わされる挨拶――で、おせちを食べ終わると、各自はそれぞれいつもの日常的な生活に戻っていました。

私は自分の机に向かってパソコンを広げ、キーボードを叩いていたのです。何人かの友人に年賀メールを出そうとしていました。

その時、何気なくキーボードの上を動く自分の指を見たのですが、何だか自分の指ではないような、奇妙な違和感にとらわれました。心なしか左手の人差し指がいつもより艶やかに見えたのです。微かにふっくらして丸みを帯び、第一関節から爪の先へ柔らかくスッとまとまっているように見えます。

私って、こんな可愛らしい指をしていたのかしら。

いえ、指先ばかりではありません。人差し指全体がどこか少女を思わせる清潔感を保ちながら、それでも大人の女も演じられそうな味わいのあるスラリとした指に形を変えていました。

他の指はというと、それは確かに自分の指であると確信が持てる私の指でした。あまり言いたくはありませんが、少しばかり骨張った関節に、古い文庫本の頁のような皮膚がそのまま指を被っています。左手の人差し指だけが、接ぎ木をしたみたいに若々しく場違いに生えていました。

もしかしたら、この前買ったハンドクリームが、この左手の人差し指にだけ特別な効果を及ぼして、綺麗になったのかも知れない。

きっとそうだわ。

その時は、子どもみたいにそんな風に思い、それ以上気にしなかったのですが、翌日起きてみて驚きました。何と、左手の五本の指全部が、神様から聖なる息吹をかけてもらったみたいに、活き活きと若々しくなっているではありませんか。マニキュアなどしていない爪のおもても薄いピンクがかかって、桜貝色に美しく透き通っていました。

これには私も吃驚びっくりしました。次いで右手を見ると、人差し指と中指が昨日の左手人差し指と同じように生まれ変わっているのを発見しました。そして、薄い銀紙をもみくちゃにしたような手の甲も、つるんとした潤いのある皮膚に変わっていました。私は思わずその感触を確かめるように何度も頬ずりしたくらいです。

使用しているハンドクリームの効果ではないのは明らかでした。

これは何かの兆しと見てよいのでしょうか。明日になれば、他の指も残らず新しい指とさし替わっているのでしょうか。

一体どうしたのでしょう。私の身体からだに何が起こっているのでしょう。

そしてこれから何が始まろうとしているのでしょうか。期待と不安が交錯した状態で、その日は夜遅くまで落ち着きませんでした。


予想もしない、想像さえできないことが現実には起こるのだと思います。

コップの中の水が、その分子運動の動きでもって、一斉に一滴残らずコップから飛び出す可能性も完全なゼロではないと聞いたことがあります。世の中にはどうにも説明がつかない理不尽なことはいくらでも存在します。しかし、それと同じように、幸運と呼ぶべき現象が起こり得たとしても決して不思議ではありません。私はそう信じることにしました。いえ、そうとしか考えられないのです。実際、私の身体の異変とも言うべきこの変化を誰がどう説明できるというのでしょうか。


身体の変化はそれから目に見えて次々に起こりました。数日のうちには、指だけではなく、歳相応に縮緬のような細かい皺が刻まれ弛んでいた二の腕も、もちろん足の指も太腿のあたりも、女らしいふくよかで薄く脂肪の乗った張りのある皮膚に生まれ変わったのでした。

一週間もすると、胸や腰回りにも変化が見られました。乳房などは、二つの果実が豊かに実ったように誇らしく盛り上がり、その頂点には愛らしい小さなお菓子のグミのような淡い色をした乳首がまだ処女のような恥じらいを添えて乗っかっておりました。腰回りはちょうどギターのようなくびれが出来、思わず自分でそのラインに沿って手を滑らせてしまうほどでした。

ただ、顔だけがこれまでと同じで、ちっとも変化が見られません。しかし、あと何日も経たないうちにきっと変化が現れるに違いない。私はそう確信しました。


夫はお正月を過ぎるとまた病院へ戻りましたので、私の見違えるような変わり様には気づいていません。いいえ、仮に気づいていたとしても、だんまりを決め込み、私の様子を盗み見するだけだと思います。夫はそういう人なのです。私を愛していないという訳でもないと思いますが、ある時期から無関心を装いながら私に関心を寄せるという多少屈折的なやり方で私に接するようになっていました。ですから、たとえ私の変化に気づいていても決してそれをあからさまに口に出すことはないのです。

息子も、今後の自分のことで頭が一杯なのでしょう、顔に何の変化もない私をそれほど意識していないみたいでした。そして、ちょっと思い詰めたようにして、そのまま数日間の旅行に出かけて行きました。息子にもこの変化を知らせることは止めようと思いました。

結局、私ひとりが、日々、自分の変貌を秘め事のように楽しんでいたのです。


そして、やはり数日後、私は予期していたようにメタモルフォーゼを遂げたのです。鏡の中の私の顔は、何と二十歳台の輝きを放っていました。目元にあった幾筋かの深い皺は消え去り、肌がぴんと張り詰めて、お化粧もしていないのに、頬には薄く頬紅を施したような赤みさえ漂っていました。唇もプディングみたいな艶のある光沢を放ち、ぷるんとして、スプーンで掬えそうなくらい柔らかでした。もちろん小鼻の横の黒ずみなんてあるはずもないのです。

私はひとりでもう一度、自分の身体を隅々まで念入りに点検しました。姿見に映る私。それは、頭髪の一筋から、足先の小指の爪に至るまで、これまでの私は一切合財キャンセルされ、一新されていました。完璧でした。

心が弾みます。何かしらワクワクします。一歩踏み出すとそのまま空を駈けることもできそうです。さすがの夫も何と言うだろうか。息子はこんな母親を見てどう思うだろうか。そして、あの人は……。そんなことばかり考えていました。


しばらくして、家族が再びそろいました。夫が退院してきたのです。示し合わせたように同時に息子が玄関に立ったのはまったくの偶然でした。二人はそれぞれに重大な任務を終えた兵士のような面持ちで、少し疲れた様子を見せながら、ただいまとドアを開けました。私はおかえりなさいと言いつつ、自分の姿を誇示するように彼らを迎え、二人の反応を待ちました。

しかし、二人とも私の変化に気づいた様子はありません。あまりにも疲れ切って、私の姿を見る余力もないのかも知れないと思いました。夫は相変わらず無口で、私には無関心を装ったまま、話しかけようともせず、テレビの画面ばかり見ていました。息子も旅先で買ってきたお土産のお饅頭とストラップを渡すと、それきり自分の部屋に閉じこもりました。

こんなに大きく変わっているのに、なぜ二人は驚かないのだろう。とても不思議でした。

私を振り向きもしない夫にも息子にも少し腹が立ち、そして悲しくなりました。

何時になっても二人の反応がないので、

ねぇ、私ちょっと若返ったと思わない?

思い切って自分から切り出しました。

息子は、じっと私を見て、うん、そういえばそんな気がすると答えました。夫は、別に……と言ったきりです。どうして、二人とも口裏を合わせたみたいに私の変化を無視するのでしょう。不思議で不思議でたまりません。

もう一度訊いてみても、二人の態度は同じようなものでした。夫は、何だ、またお前に新しいファンでもできたのか、と何とも憎らしげに言い放ちました。

そんなのじゃない。


一体どうしてなのでしょう。自分だけが変わったと感じているだけで、自分以外の人にはそれが見えないということなのでしょうか。私にはそうとしか考えられませんでした。

でも、自分ではこれまでとはまったく違った自分を心身ともに感じているのです。奇跡は起こっているのです。コップに入った水が、一斉に飛び出してしまうほどの奇跡なのです。この奇跡にどうして気づいてくれないのでしょう。


つづく

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