16.
玄関に置いていたコートを着て、先輩と私は外に出た。
パーティーが始まったらしく、新郎新婦を迎える歓声がここまで聞こえてくる。
先輩はお店から少し離れたところにあった道端のベンチに座り、その隣を指差した。
私は素直にそこに座る。
時刻は午後六時。パーティーは二時間の予定だ。
空はすでに暗く、星がちらほら輝いているのが見える。
空を見上げていた先輩が、その姿勢のまま話し出した。
「……俺の家な、昔は両親が共働きで、家にほとんど居なかったんだ」
現在はお母さまがお仕事を辞めているが、当時は我が家のようにご両親がとても多忙で、先輩たちを育てたのはいまは亡くなったおばあさまだったそうだ。
先輩は、中学生になるまで両親の顔をほとんど見たことがなかったという。
幼い先輩はいつしか両親の愛情に飢えて心を壊しかけた。
そんな先輩を救ったのは、お姉さんの「愛してる」の一言。
先生は、いかに父が、母が、祖母が、そして自分が先輩のことを愛しているのかを、泣きながら懸命に伝えてくれた。
先生にとっては、あくまで家族愛だったのだが――。
「初めはただのシスコンなんだろうと思ってた。ちょっと姉を好きすぎるだけなんだろうと……」
先輩がおかしいと思い始めたのは、お姉さんに初めて彼氏ができたとき。
「……胸が、ものすごく痛かった。苦しくて、アイツの顔が見られなかった……」
少女から女性へ変わっていく姉を、そういう目で見ていることに気付いたとき、先輩は自分の『恋心』を知った。
「いま思えば、依存だったんだろうな。家族の愛情に飢えていた俺が、初めてもらった直接的な愛情だったから……」
依存。そう、なのかもしれない。
「……お前のおかげで、この気持ちにやっとケリをつけられた。…………ありがとう」
先輩の声は、先ほどの瞳のように穏やかで、その声に私の目から涙が勝手に零れ落ちた。
「……なんでお前が泣くんだよ」
先輩の呆れたような声が聞こえる。
その声には、確かに優しさが溢れていた。
「……私、余計なお世話じゃなかったですか? 本当は、先輩は……」
「直生」
強く、名前を呼ばれる。
先輩に名前を呼ばれたのは、初めてだった。
「俺はお前に感謝している。お前のおかげで、俺はやっとあの人の弟になれる。本当の家族になれるんだ。それに……」
先輩はそこで言葉を区切ると、うつむいている私の顔を両手でもち上げた。
そして、私の瞳を覗き込む。
「お前は、俺の想いを肯定してくれた。気持ち悪くないと言ってくれた。こんな、異常とも言える想いを。……それだけで、俺は救われた」
先輩の言葉に、また涙が溢れた。
救いなんて、そこまで考えていたわけではないけれど、私は先輩に自分を卑下してほしくなかった。
その思いが、先輩に少しでも届いていたことが嬉しかった。
先輩は、優しく微笑んでいた。
*
止まらない私の涙をぬぐってくれていた先輩は、私が落ち着いたのを見ると、真剣な表情をした。
真っ直ぐな声で、言葉を紡ぐ。
「直生、俺はお前に感謝している。だから、敢えて言う」
「お前も、自分の想いを兄貴に伝えろ」
私には先輩の恋心を否定できない理由があった。
自分の中にも、同じものがあったからだ――。
「……いつ…………気付いたんですか……」
真っ白な頭で、何とかそれだけ口にする。
親友の絵美でさえ、気付いていないことなのに。
私は自分で自分の想いを兄弟愛にすり替えている。
違和感のないように、確かにそれと見えるように。
決して『恋心』には見えないように。
そうならないように。
誰にも気付かれないように。
先輩が、私と兄が一緒にいたところを見たのは顔合わせの日だけだ。
あのときの私の態度が不審だったのだろうか。
確かに無言だったけれど、あの場での私はあくまでおまけ扱い。
慣れない場に緊張しているのだろうくらいにしか思われなかったはずだ。
「……お前が、俺の想いを肯定してくれたとき。あのとき、お前も同じなんだなと気付いた」
……先輩は、私が思っていた以上に私の思いを受け取ってくれたらしい。
それこそ、隠しておきたい心の奥の想いまで――。
いまだ呆然とする私の頬に手を置いたまま、先輩は優しく、それでいて有無を言わせない力強さで静かに言った。
「自分の想いにケリをつけろ。大丈夫だ、俺が必ず傍にいる」




