彼女の兄と私
放課後。アンリは野暮用があるというので、私は一人で裏門前の楓広場で彼女を待っていた。
広場の中央には大きな楓の木が一本生えており、その木を囲むようにしてベンチが設置されている。
そこで昨日買ったばかりの文庫本をカバンから取り出そうとしていた時だった。
裏門近くに立っていた警備員がこちらに向かって歩いてくるのが分かった。
何だ? と身構えそうになったが、その人物に心当たりがあった。
たぶん、アンリの兄だ。ここの警備員をやっていると聞いていたし、何より雰囲気が似ている、気がする。
何だろう、何の用かな……家でウサの話を兄貴によくするんだ、と言っていたから、向こうもきっと私のことを知っているんだろう。
アンリのことだから変な紹介していないだろうか。
大丈夫、いいことしか言ってないよ~とか本人は言ってたけど。
「よぉ、お前がウサ耳村からやって来たとかいう電波女だろ?」
おい、さっそく話が違うぞ! どういうことだ。
よりにもよって人が気にしていることを。今までどれだけそのことをイジられてきたか。アンリめ!
「違います、宇佐見 みむら、という名前なんです、おそらく安藤さんのお兄さん」
「誰がお兄さんだ、馴れ馴れしいぞ」
何だこの人、兄妹そろっておかしいのか?
妹があんなだから、てっきり兄貴の方はしっかりした人かと思っていたが、認識が甘かったようだ。
これまでのわずかな会話だけで、ここで警備員をしている理由も含め、何もかもを理解するのには十分だった。
この人は極度のシスコンだ。
そして私はマークされているのだ、彼女と仲のよい友達だというだけで。
「こっちは名乗ったんだから、そっちも名乗ったらどうですか」
「確かに自己紹介がまだだったな。俺は安藤 晴。クーちゃん……曇の兄だ。妹のためなら何でもできる、スーパーお兄ちゃんだ」
うーわ。この人……うーわぁ。アンリよりヤバイかもしれない。
「で? どんなご用件でしょうか」
一刻も早く話を終わらせてこの場から立ち去りたい。
「お前、最近クーちゃんとの距離が近すぎるぞ! クーちゃんの顔見知りの中の一人ポジションまでなら許してやるから、程よい距離感を心掛けろ」
なーんか腹立つな。
しかしあんたの妹のおかげで、変人の言うことに耳を貸しても埒が明かないことは学習済みである。
「あんまり過干渉だと妹にウザがられるぞ、安藤兄」
「俺たちは相思相愛だからいいんだ。クーちゃん、子供の頃の夢はお兄様のお嫁さん☆なんだぞ」
「妄想だろ? 実際は兄貴って呼ばれてんじゃん」
「お年頃になって照れているだけだ、また元に戻る」
「それに、クーちゃんは俺の手料理が大好きだしな」
「! まさか、アンリのお弁当……」
「そのまさかだよ」
その顔に浮かべられた邪悪な笑みを苦々しい思いで見据える。
アンリのお弁当はいつ見てもよくできていて、私もいつかこんな風にできるようになりたいな、と憧れていたほどなのだ。
てっきり母親に作ってもらっているのかと思っていたのに。
彼女のお弁当を誉めそやした過去の自分をなかったことにしたい。
「俺の作った料理でクーちゃんの体は構成されているんだ、全て俺のものだ」
「何かもうホント気持ち悪いです」
「それよりアンリってなんだ」
「私が考えた呼び名だけど。安藤 曇だから略してアンリだ」
「チッ、クーちゃんが喜びそうなアダ名つけやがってぇ……」
ちょうどその時、手を大きく振りながらアンリが走ってくるのに気づいた。
「おーい、ウサー! あっ! 兄貴!」
「クーちゃん!」
「驚いたな、ウサと兄貴が一緒にいるなんて」
「安藤兄とはさっき初めて会ったばかりだよ……」
会ったというか絡まれたというか。
「それにしては楽し気な雰囲気だっ……」
「「は?」」
「ほら息ピッタリじゃないか。……あっ! 恋が始まる予感……!?」
「「そんなわけない!」」
「とにかく! そんなやつ、俺は認めませんよ、クーちゃん!」
「仕方ないなあ、兄貴は私のこと大好きだもんな!……それより仕事はいいのか? また家でな! よし、ウサ帰ろう」
「! クーちゃん! ウサ耳女め、タンスの角に足の小指ぶつけてうずくまって苦しめ!」
「あんたは紙で指切って風呂に入るとき地味に痛がれ!」
「やっぱり二人とも楽しそうだなあ……」
というアンリの呟きは聞かなかったことにした。