第十話 再会
クロノス・バルメルドの一日は朝の鍛錬から始まる。
陽が昇り始めたら起床、着替えた後に義父であるジェイク・バルメルドと共に走り込み、木の剣で素振り、打ち合い稽古となる。
その後義母のユリーネ・バルメルドに可愛がられ、神に感謝を述べ家族で朝食をとる。
朝食の後は自由な時間なので本を読み勉強をし、おやつを食べた後は体力のある限り動き続け、夕食を食べて風呂に入って寝る。
と言った生活サイクルを送っていた。
宣言通り、あの神様も養子として受け入れられた日から一度も現れてはいない。
そんな生活を始めてから三ヶ月ほどした時、変化が訪れる。
「はい。今日の診察はお終いです。また来月来てください」
「ありがとうございました」
診療所に定期検診を受けに来ていた。
この世界は元いた世界みたいに、病気に関する研究が万全ではない。
特に子供は病気にかかりやすいので、こうして月一で診療所に診てもらっているのだ。
俺としても流行病になってぽっくり逝くなんてのは御免なので、しっかりと問診をしてもらうことにしている。
効くかどうか分からないけど、注射なんかも打ってもらっていた。
何の注射か俺は知らないけど。
「クロちゃんは偉いわね〜。注射しても泣かなくて」
「いやまぁ、あれぐらいじゃ別に」
正直注射なんかより、大蛇に尾を叩きつけられた方が百倍痛かったので、注射の痛みで泣いたりはしない。
診療所を出るともう陽が傾き始めていた。
そろそろ小腹が空く時間だ。
「それじゃあ帰りましょう。お腹空いたでしょ?」
「ペコペコですお義母さん」
「あらぁ、じゃあすぐ帰りましょうか。後、お義母さんじゃなくてママって」
「あぁ!今日の晩御飯は何かなぁ!?」
さすがに三ヶ月も一緒に暮らしているとユリーネのあしらい方が分かってくる。
それでも未だにあの抱き締め攻撃からは逃げられた試しがない。
おかしいよなぁ?
騎士団団長のジェイクの指導で鍛えてるはずなのに母親のユリーネから逃げられないなんて。
まぁ母は強しと言うし、俺もまだまだ鍛え方が足りないんだろう。
いつかユリーネから逃げれるように頑張ろう。
「あら、今日は市場がまだ開いてるわね」
「市場?珍しいんですか?」
「ええ、この町じゃ市場はいつも朝から開いてるけど、お昼ぐらいには閉まっちゃうから」
市場で商品を売ってるのは、近くの村山から降りてきたその村の商人らしい。
取り扱っているのは鳥や猪なんかの肉が主だ。
後は山で採れた木の実や、布に着物などが取引されている。
使われる主な通貨は金貨と銀貨、それぞれの硬貨には王家の紋章が刻まれている。
大体の買い物は銀貨で済ますことができ、金貨で買い物するのは中流階級や貴族だけだ。
ちなみにバルメルド家は名家なので貴族側に当たりめっちゃ裕福だ。
「何か欲しい物あるなら買っていく?」
「いえ、さっさと家に帰って夕ご飯を食べましょう」
掘り出し物もあるかもしれないけど、屋台はもう片付けを始めている。
おそらく、今見ても気に入った物は見つかりはしないだろう。
それならば今すぐ帰って、この空腹を満たすことの方が俺にとっては最優先だ!
ユリーネに手を引かれながら屋台の側を通り過ぎる。
屋台の片付けをしている人の中には、俺と同じぐらいの背丈で帽子を被った子供が手伝いをしたいる。
その時「あっ!」と手伝いをしていた子供の声が上がった。
陳列されていた商品の瓶が、子供の肘に押され、棚から落ちかけている!
「あっ、だめっ……!」
「ッ!」
子供が瓶に手を伸ばすが間に合わない。
俺はユリーネと繋いでいた手を解いて、地面に落下していく瓶に急いで手を伸ばした。
瓶が地面と激突するほんの僅かな隙間を残し、俺は両手で瓶を受け止めることに成功した。
「ギッリギリぃ……!」
「さすがクロちゃ〜ん!」
自分でもよく間に合ったと思うよこれ……日々の訓練の賜物だな。
ユリーネに反射神経の良さを褒められながら、少し重たい瓶を持ち上げ、屋台の棚に置き戻す。
「はい。危なかったな。気をつけなよ」
「あ、ありが──っ!」
「じゃ、これで」
「あっ……ま、待って!」
屋台を離れようとすると、帽子を被った子供に呼び止められる。
いえいえ、礼には及びませんよ。
なんて格好つけようかと思っていると、子供が被っていた帽子を脱いだ。
帽子の中に押し込まれていた紺の髪が肩まで下りる。
髪の間から長い耳がちょこんと伸びていて、幼くも凛とした顔立ちに紅い瞳の美少年だった。
俺はその子を知っていた。
見間違えるはずもない。
「クロ、久しぶり!」
「……レイリス!?レイリスだよな!うっわ、久しぶりじゃないか!」
そう、あのゲイルたち盗賊団に攫われた時、一緒に塔を脱出した美少年のレイリスだったのだ!
「え、え、え?何でこの村に?」
「お兄ちゃんが、この町でお店を出してて、そのお手伝いで」
ほぉ、じゃあこの屋台はレイリスのお兄さんが開いてるのか。
陳列棚には瓶以外に、毛皮や薪なんかが置いてある。
他の店とは少し違ったラインナップだ。
でも売れ行きはあまり良くないのか、屋台の横にも在庫がいくつかある。
「でも、また会えてよかった。クロ、貴族の家に引き取られたって聞いたから、もう会えないかと思って」
「そういや、俺助けられてからしばらく眠ってたしな」
「ボク、お兄ちゃんが迎えに来るまでクロが起きるの待ってたんだけど、一度も起きなかったから……心配で」
「ごめんごめん。何か、あの塔の一件で体を酷使し過ぎたから、その反動だってお医者さんから聞いた」
「今はもう、大丈夫なの?」
「平気平気!こんなに元気だよ。今は俺たちを助けてくれた騎士団の団長の家に養子として迎え入れられて、この村で暮らしてるんだ」
しばらくレイリスとその後の話に花を咲かせる。
あんな体験をした後にこうして再会できるととても嬉しい。
誘拐されていた子供たちは無事家族の元に帰れたとジェイクから聞いてはいたが、やはり実際にその姿を見ると安心する。
だがその様子をじっと見守っていたユリーネが、自分も会話に混じりたくてウズウズし始めていた。
「あぁ……お義母さん。この子はレイリス。俺が盗賊団に捕まっていた時に一緒だった子です。レイリス、こちらユリーネ・バルメルドさん。今の俺の母親です」
「は、初めっ、まして!レ、レイリス、です!」
「初めましてぇ〜、クロちゃんのママのユリーネです。レイリスちゃんって言うの、可愛いわね〜」
「抱きしめちゃ駄目ですよ、お義母さん」
今にもレイリスに飛びかかりそうなユリーネの袖を掴む。
「あらヤキモチ!?」と言ってくるユリーネに俺は冷ややかな視線を飛ばした。
「レイ、どうかしたのか?」
屋台の裏から背の高い男が姿を見せる。
レイリスと同じ紺の髪に紅い瞳の青年だった。
この人が彼のお兄さんなのだろう。
さすが兄弟、顔立ちもそっくりだ。
将来レイリスもこんなイケメンになるのか。
レイリスの兄は、弟と仲良く話している俺とユリーネの姿を見て警戒の目を向ける。
おそらく盗賊団に誘拐された一件で、近いてくる人を警戒するようになったのだろう。
「初めまして〜、私はユリーネ・バルメルドと申します。この子は息子のクロノスです。前の事件でレイリスちゃんとは面識があるんです」
「クロノス……あっ!そうですか、クロノス君のお母さんでしたか。でも、バルメルドって」
「はい〜。騎士団の団長のジェイク・バルメルドは私の夫ですの」
「やはりそうでしたか!その一件では、家のレイリスを助けて頂き、ありがとうございました」
「いえ〜、助けたのは主人ですから」
すげーこの母親。
サラッと俺がレイリスと同じ誘拐事件に巻き込まれたことを教え、しかもそれを助けたのが自分の夫であることを伝えて警戒心を解きやがった。
ユリーネって結構緩いところあるけど、こういう所はさすが騎士名家の奥様。
おぉ見よ、先程まであんなに警戒心を露わにしていたレイリスの兄が俺に笑顔を向けているぞ。
「兄のニールです。君が噂のクロノス君だね。レイリスから話しは聞いてるよ」
「お、お兄ちゃん!」
「レイリスを助けてくれたんだってね。本当にありがとう」
ちょっと過大評価過ぎない?
俺ただの子供だからそんな大したことしてないよ?
「いえ、俺は外に連れ出しただけなんで」
「その歳で謙虚な子だね。さすがは騎士の家の子だ」
余計褒められてしまった。
遠くから鐘の音が聞こえる。
もうすぐ日が暮れるのを知らせる教会の鐘だ。
もう少しレイリスと話をしたかったのだが、今日はこれ以上無理らしい。
「レイリス。明日もこの村に来る?」
「うん。お手伝いで朝からいるよ」
「なら、お昼過ぎにまた会いに来るよ」
一応ユリーネに「いいですよね?」と確認してみると、彼女はもちろんと頷いてくれる。
俺の提案にレイリスは少し戸惑いの表情を浮かべる。
兄を手伝う為に来ているのに、遊んでもいいのだろうか?とでも思っているのだろう。
不安そうに兄のニールを見上げるが、彼は笑顔で頷いてくれた。
お許しが出たのである。
「じゃあ、明日!遊ぼう、クロ!」
「おっけー。じゃあ明日のお昼過ぎに迎えに来るよ」
「うん!」
レイリスはとびっきりの笑顔で頷いた。
可愛い笑顔だなぁ。
これで男なのが残念だわ。
そんなことを考えながら、別れ際にレイリスと握手を交わす。
この世界に来てから、俺に初めての友達ができた。
いや、これは再会できたと言うべきなんだろうな。
レイリスとの約束を楽しみにしながら、俺はユリーネと帰路に着いた。