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小説家になろう公式企画参加作品

繋がれた手

作者: 狼子 由

 夜寝る時ってさ、布団かけるじゃん。

 布団の中に潜ったあと何か怖くて……夜中眼が覚めても、顔出したりとか出来なくない?

 オレだけかな? 違うかな?


 まあ、オレの場合は顔だけじゃなくて、手も足も、指先だって出さないようにしてるからなぁ。


 もちろん、それにはちょっと理由があって。

 布団から手のひらを出してると、その――握られるんだよ、向こうから。


 手を。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 裏野ハイツ203号室。

 引っ越してきた日にアパート中に挨拶して回った。

 何故か隣人――202号室だけは1日中不在で、会えなかったけど。


 ボロいけど家賃は破格、1LDKでこの周辺なら、もう2〜3万は上乗せするのが相場だろう。

 とは言え、異常なほど安いってワケでもないし。

 1階も2階も、住人はみんな気さくで人当たりが良い。

 満足してたんだ。良いとこ見付けたなぁって。


 夜になって、親父から電話がかかってきた。

 この春からオレも大学生だってのに、バイトと奨学金で学費も自分で稼いでるって言うのに、いつまで経っても子ども扱いだ。

 父親ってそんなもんなのかな。

 それとも、うちは母親が早くに死んだから、その分まで心配してるつもりなんだろうか。


『どうだ、そっちは。足りないものはないか?』


 的はずれな質問を、いつもだったら無視してたかも知れない。

 ちょっとぐらい何かなくたって、その辺で買えるよ。

 今は夜中だってコンビニ開いてんだから。

 だけど、あんまり素気なくするのもどうかと思って、ただ、「うん」とだけ返した。


 親父は引っ越しを手伝おうかって言ってたけど、断った。

 だから、まあ……向こうは心配して電話かけてきたんだろうな。


 オレも、昼間、1人で荷物を運んでた間は全然大丈夫だったんだけど。

 何となく。

 夜になって静まりかえった部屋に1人で座ってると、何となく……ちょっとだけ寂しいような気持ちになったんだ。


 おかしいよな。

 2人で暮らしてた間、オレ達、そんなに喋ることもなかったのに。

 親父は仕事で帰りが遅いし、オレはオレで部活だってしてたし。

 夜に帰ってきて、メシ食って、寝るだけ。

 それだけだったはずなのに、人の気配がないって、それだけでそれなりに……寂しいことなんだな。

 もしかしたら親父も、同じように少し寂しいのかも知れない。


 オレが2才の時に母親が死んでから、15年。

 幾ら、死んだ嫁に操を立てるったって、15年は長い。

 親父だって浮いた話の1つや2つあったと思うんだ。オレが知らないだけで。

 それでも、どんなに遅くても夜は必ず家に帰ってきてくれてた。

 まあ、オレは図体でかい男だから、年頃の娘を心配するって気持ちとは全然違うとは思うんだけど。

 ……ちゃんと家族だったんだろう、オレ達。


 何かそんなことつらつら考えて、真面目に答えなきゃいけないような気になった。


「……駅からも歩いて来れるし、そっちからだってそんなに遠いワケじゃない。たまには遊びに来ても良いぜ」


 親父がこの部屋に遊びに来たとして、何を話すこともないだろう。

 共通の話題なんてない、一緒に何をするワケでもない。

 何で誘ったのかな、オレ。

 電話の向こうの親父は、オレの提案に笑いながら答えた。


「そうだな、その内行くよ」


 そうして電話が切れた時、本当に1人ぼっちになったような気になった。

 いつもならこんな気持ちの時は、友達呼んでわいわい騒ぐんだけど、何となく今夜はそんな気になれない。

 まだ早いけど、布団を敷いて、早々に眠ることにした。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 夜中に眼が覚めるって、何て言うのかな。不思議な気持ちになる。

 静まり返った中に、妙に冴えた頭。

 世界中何もかも見通せるような、たった1人閉じ込められてるような。


 夢の中から覚醒してくるんだけど、少しずつ現実に戻るんじゃなくて、はっと、ある瞬間に気付くんだ。

 オレ、眼が覚めたんだ、って。


 自分の身体の感覚が戻ってきて、自分が布団に潜ってることに気付く。

 布団の中の生温い空気で、顔を出そうかどうしようか迷って。

 ふと、自分の右手が、掛け布団からはみ出てることに気付いた。


 あ、ヤバい――と、思った時には遅かった。

 するすると、指先から何か冷たいものが辿ってくる。

 オレのゴツい指より2回りくらい細い、それは――女の指先だった。


 ヒヤリとした感触。

 滑らかな肌が、ゆっくりと手のひらを包み込む。

 指先がオレの手首まで到達した時に、きゅ、と握られた。


 ああ、久々に来た。やっちまった。

 幼い頃から何度かあった、この手の感触。

 これだから、布団からはみ出さないようにしてるのに。


 ばくばくと鳴る心臓を、無理に抑える。息が荒くなりそうで。

 眼が覚めていることに気付かれたら、何か嫌なことが起こりそうな気がする。

 自分から布団をめくって相手を見ようなんて、考えたこともなかったよ。

 だって……顔を出した瞬間に、そこにいる誰か(・・)と眼があっちまったらどうするんだ。


 出来るだけ身じろぎしないように、静かに、静かに。

 オレはぎゅっと眼を閉じて、息を詰めた。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 いつ、眠りに落ちたのかは覚えてない。

 気が付けば朝が来ていて。

 気が付けば、部屋には誰もいなかった。

 窓から一直線に差し込む朝の光と、雀の鳴き声。

 平和な朝を感じて、何もなかったような気にさえなる。


 布団から身体をはみ出して寝ていると、誰かが触れてくるようになったのは、いつからだっただろう。

 物心ついた頃には、それが怖くて、布団を引っかぶって眠るのは、もう長年の癖になってた。


 親父とは、そんな話をしたことはない。

 うまく説明出来るとは思えなかったし。

 まあ、触れられる以上に何かをされるワケでもなかったし。


 昨夜は久々だった。

 きっと環境が代わって、寝具も新しく買い直して、自分でも知らない内に色々と緊張していたんだろう。

 思い返すに、最後の感触は中学生? 小学生の時だろうか?


 あの頃は気付かなかったけど、オレも大人になったのかな。

 2つ、気付いたことがあった。

 握ってきた手が、左手だったことと。

 薬指に硬い感触があったこと。


 ――あれは、結婚指輪を嵌めた、女の左手らしい。


 まあ、それに気付いたからって、何ということもない。

 オレが何かしてやれるワケでもないし。


 気を取り直して朝飯でも食うかと、立ち上がったところで。

 一人暮らし用に買ったばかりの炊飯器を、実家に置き忘れてきたことに気付いた。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「昨日出てったばっかりだろうが……」


 日曜の昼間、突然入ってきたオレを見て、さすがに親父は呆れた顔をする。

 だけど、何となく口元が緩んでいるから、嬉しそうにも見える。

 オレは黙って頷いておいた。

 返事をする必要もない話だ。


「まあ、あれだ。良ければ晩飯くらい食っていけ」


 再び、黙って頷いた。

 食費が浮くのはありがたいことだ。


 2人で囲んだ食卓、沈黙の内に箸だけを動かしていると、ふと。

 茶碗を持ち上げる親父の左手が目に入った。


 薬指に、指輪。


「……親父さ」

「ふん?」


 自分でも意識せずに、言葉が漏れた。

 親父の黒い瞳に、オレ自身の影が映ってる。

 親父にはあんま似てない、母親似だって言われる色の薄い髪と、二重まぶたのオレの顔が。


「親父さ、昔から結婚指輪、嵌めっぱなしだったっけ?」


 何を言うか迷って、結局は直球で目の前の――指輪のことを聞いた。

 親父は黙って目をそらして、茶碗をつつきながら答える。


「……外したこたねぇよ。お前の母親が片方持ってったまんまだ」

「そうか」


 親父の付けてる指輪はものすごくシンプルで、模様も装飾もない。あまりの飾り気のなさで、遠目にはただの輪っかなんじゃないかってくらいに見えた。


 いつも嵌めっぱなしだったから、違和感もなくて、オレも気付かなかったんだろう。

 浮いた話があったに違いないと思ってたけど……もしかすると、そんなのはなかったのかも。

 親父の心には、今もいるのかもしれない。

 現在進行形で、オレの母親が。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 夕飯を終えた時には、随分夜も更けていた。

 布団も洋服も置いていったものがあるんだから泊まってけ、と言われて、慣れた自分の部屋に今夜はお世話になることにした。


 布団に潜りながら、ふと。

 置いていった机の上に、死んだ母親の写真を置きっぱなしにしてたことに気付いた。


 肩に届く長さの髪は、オレにもそのまま遺伝してる柔らかそうな猫っ毛。

 表情の豊かな人だった、と夕飯の後、親父はぼそりと言い残した。

 情の深い人だった、って。


 明日、部屋に戻る時には、買った炊飯器だけじゃなくて、この写真立ても持って行こう。

 何となくそんなことを考えて、布団の中に潜り込んだ。

 右手だけ、わざと布団からはみ出させて。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 気付けば、手のひらを包み込む柔らかい感触。

 親指の先に当たる、硬いもの。


 指を動かして金属をなぞると、表面はつるつるとしていて、まるでただの輪っかみたいだ。

 胸が、どくん、と鳴った。


 幼い頃から、何故この女は、自分の元に訪れるのだろうかと思ってた。

 いつも同じ手。

 柔らかくて細い、女性の。


 きゅ、と手に力が入って、優しく握られた。


 2才で母を亡くしたオレの記憶には、ない。

 母親と、手を繋いだ思い出は。


 だけど。

 もしかすると。

 この手は。


 昨晩とは違う理由で、ばくばくと鳴る心臓を息を吐きながら抑える。

 ゆっくりと、布団の端に手をかけて、その向こう、右腕の先を覗こうと。


 オレと手を繋いでるこの人は。

 もしかすると。

 直接は一度も呼んだことのない、その言葉。


 ――母さん――?


 布団の隙間から見える、真っ暗な部屋。

 床に伸びてるオレの右手。

 その右手を上から包むように握る、女の白い左手。

 そして。


 その左手の甲に自分の頬をつけて、向こうからも布団の中を覗き込んでくる。

 長い長い黒髪と、生気のない無表情な女の、一重で切れ長な真っ黒い2つの瞳。


 目が合った瞬間に、背筋が怖気だった。


 全く何の記憶にもない、その顔。

 母親どころか、親戚でも友達でも――オレの知ってる人じゃない!

 あんた、いったい誰なんだ――!?



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 気が付けば、朝だった。


 その日の内にオレはアイマスクを買って、寝る時には必ず付けてから寝るようにした。

 おかげであれから……あの女と顔を合わせたことはない。


 だけど、時々。夜中にふと目が覚めた時。

 夢の中から現実に引き戻され、自分の身体全部が布団の中にあることに安堵する。

 だって、意識がはっきりしてきた途端に、布団の外にオレ以外の誰かの息遣いがあると気付いてしまうから。


 あいつはまだオレと手を繋ごうと、待ってるらしい。

 布団から、オレの右手がはみ出る、その瞬間を。

お読み頂き、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] はっきりしない方が怖いですね! 最後に誰なんだ!と思ってしまいした。
[一言] 面白い!こういうどんでん返し大好きです! もちろんゾクッとさせてもらいました^^
[良い点] してやられました。してやられましたとも。 予想がつきそうでつきませんでした。あれは、お化けのストーカーということでいいんでしょうか……まだぞわぞわしています。 [一言] わくわくと拝読いた…
2016/07/19 21:21 退会済み
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