お披露目の夜会②
精霊省本部内にあるハイドの研究室には、優雅に紅茶を飲むハイドとソファに座りながらそわそわ落ち着かない様子のリリアンがいた。二人とも前回の夜会で着た白い衣服を身に纏っている。他国からの客が多いためか、前回と違い宝石がふんだんにあしらわれているせいで、リリアンは着るだけで時間がかかった。
「あぁ、どうしよう。緊張してきました」
「大丈夫。精霊達がついているし、僕もいるよ」
優しく笑うハイドに笑い返そうとするもリリアンは上手く笑えない。確かに前回は自国の貴族ばかりだったのに対して、今回は他国からの客が多いのだ。そんな中で失敗したらと考えて緊張するのは仕方がないか、とハイドは他人事のように思った。実は彼もビビっているなんてリリアンは気づきもしないだろう。
「今日はウィリアム様とティアの大事な日なのに、こんな状態じゃダメですよね」
「ほらほらマイナスな事ばかり考えない。私が祝ってあげる!くらいの気持ちでいこう」
「そ、そうか!私が祝う、わたしがいわう、ワタシガイワウ……」
「駄目だこりゃ」
励ますことをハイドが諦めかけた時、突然研究室の扉が開いた。『私が祝う』と、もはや呪いの言葉のように繰り返しているリリアンはその事に気付いていない。ハイドはお手上げです、と言いたげに肩を上げ、扉から入って来たレオナルドに後を任せた。
レオナルドはゆっくりとリリアンの隣に座る。突然隣に人の気配を感じたリリアンは驚いたように顔を上げ、そこにいる人物を確認するや否や大きく目を見開いた。
「レ、レオ?どうして、ここに?」
「リリーの顔が見たくなってな」
その一言でリリアンの顔は真っ赤に染まる。いつの間にか席を外したハイドを探せば、レオナルドが風に当たりに行った、と告げた。
「大丈夫か?なんか唱えていたが」
「あはは……ちょっと緊張しちゃってて、今日は私がウィリアム様とティアを祝うんだって言い聞かせてたんですけど」
「そうか……ならば俺と同じだな」
「へ?」
優しく笑うレオナルドにリリアンは呆気に取られたような表情を向ける。他の人には見せることのない甘く柔らかな笑顔のレオナルドはゆっくりとリリアンの頭を撫でた。
「俺も緊張しているのだ。夜会も苦手だし、ティアをウィリアム様の元までしっかりエスコートできるのかもな」
「……レオ」
「あんなに優雅な夜会でも、皆が緊張しているのだ。それぞれ意味合いは異なるがな。リリーが緊張するのは当たり前で、悪いことじゃない」
「はい」
「俺が側で見ている。何かあればすぐに駆けつけられる所にいる。だから大丈夫だ。お互いの役目をしっかり果たそう」
強い眼差しを向けられたリリアンは頷くと安心したように笑った。その顔を見たレオナルドがゆっくりとリリアンに近づいていく。その意味を理解したリリアンが目を閉じ、少しずつ近づいてくるレオナルドの気配に緊張していると、突然扉の開く音と「あっ」という声が研究室に響き渡った。
驚いて目を開ければ目の前に一段と眉間に皺を寄せたレオナルドがいた。その視線の先、扉の前には引きつった顔のハイドが立っている。
「ご、ごめんってレオ。まさか、その……ねぇ」
「わざとじゃないだろうな」
「違うって。そろそろ行かなきゃいけない時間だから二人を呼びに来たんだよ」
「チッ」
「あからさまに舌打ちするな!」
友人の前だからこその態度をとるレオナルドにハイドとリリアンは苦笑いをする。少し残念な気もしたリリアンだったが、二人の掛け合いを見ていつの間にか緊張も解れ、まぁいいか、と席を立った。
ホールの前に用意された控え室まで一緒に来たレオナルドはリリアンに、お互い頑張ろう、と声をかけると自分の家族のいる控え室へと向かって行った。
「あいつ、僕には声かけて行かなかった。本当にリリアンしか見てないんだから」
「いや、そんなこと……あはははは」
緊張は解れたが、不貞腐れるハイドを励ます羽目になるリリアンであった。
****
レオナルドが戻って来たことで会場であるホールへと足を踏み入れたヴェルモート侯爵家はすぐに多くの視線を集めた。それぞれ会話を楽しみ、鮮やかな食事や美しい装飾を愛でていた者達も皆が入り口に目を向ける。それもそのはず、ヴェルモート侯爵家は今一番話題に上がる家であり、皆容姿が大変整っているからである。
当主であるソロンは五十歳近くにも関わらず、老いを感じさせない鍛え上げられた身体と勇ましい顔立ち、その隣に立つ妻シェリーネはレオナルドと同じ銀色の髪に優しげな眼差しの紫の瞳、子供二人を産んだとは思えないプロポーションの持ち主だ。
その背後には王宮の中でも人気の高い騎士であり侯爵家次男レオナルドと時期王妃となる妖艶で美しいティアがいるのだ。こんなにも目立つ集団はいないだろう。
その視線の中には、憧れや尊敬、美しさに見惚れている者の目だけではなく、悔しそうに顔を歪める第二王子派だった貴族の目や値踏みするかのような他国の貴族の目もある。
「本当にわかりやすくて嫌になるな」
「そう言わないでください、隊長。いえ、お兄様」
「お兄様はやめろと言っただろう。お前と俺は同い年なんだから。名前で呼べ、もう兄弟だ」
「その方が大変ですよ」
笑顔で仲良く話しているように見えるが、まさか周りも呼び方について言い合っているとは思うまい。それ程までに仮面をかぶるのが得意な二人であった。
挨拶を交わす両親の後ろで相槌のような簡単な挨拶を続けていると、ホール内に音楽が鳴り響く。一斉に頭を垂れるエレントル王国の貴族と拍手を送る他国の王族や貴族の前に国王夫婦と王太子ウィリアム、第二王子カールが現れた。
一瞬ウィリアムを見た者の中でざわめきが起こったが、ウィリアムが優しげな笑顔を向ければ消えるようにざわめきがなくなる。それが怯えからくるものなのかはわからない。
「皆様、本日はエレントル王国へお越し下さり誠にありがとうございます」
国王が威厳ある声で話し始めると、辺りが一気に静まる。
ティアは思わず身体をビクつかせると、レオナルドの視線を感じゆっくりと息を吐き出し肩の力を抜いた。大丈夫か、というレオナルドの問いかけにもしっかり頷き返す。
「本日お越しいただいたのは、隣にいる王太子ウィリアムの婚約者を発表し、お披露目するためです」
その言葉を受け、ウィリアムが一歩前へ進み出て優雅に礼をした。いたるところで令嬢の息を漏らす声が聞こえてくる。
国王の言葉をロベルトの父でもある宰相フィルディン公爵が引き継いだ。
「ヴェルモート侯爵家ご息女、ティア・ヴェルモート嬢。壇上へお上りください」
行くぞ、と小さくレオナルドが声をかけると、エスコートを受けながらゆっくりとティアは歩き出した。
背筋を伸ばし、凛と前を見て歩くティアは真っ直ぐウィリアムを見つめ歩く。その姿は美しく見る者全てを惹きつけた。もちろん祝福していない鋭い視線も混じっているが、ティアは気にすることなく愛する人の元へと向かった。
レオナルドからウィリアムへと引き渡され、ティアはウィリアムの腕をとる。
「ありがとう、レオ」
「頑張れよ、二人とも」
友人として激励したレオナルドに嬉しそうに笑ったウィリアムはティアへと視線を移し熱のこもった瞳で見つめる。その寄り添う姿は愛し合う男女そのもので、誰もが美しい絵画を見ている思いであった。
その後、ウィリアムの報告と感謝の言葉が述べられ、婚約発表は終わったのである。
「それでは皆様、今宵の夜会をお楽しみ下さい。まずは歓迎の意味を込めて……」
国王はそれはもう一番楽しみにしているかのような満面の笑みで声を張り上げる。本当に気に入っているのだな、と思いつつ、リリアンの近くにいられるようにレオナルドは壇上のすぐ下から人混みの中へと進んで行った。
こうして長い夜は幕を開ける。




