悩める騎士の独白
前話のレオナルド視点です。
騎士団本部のとある執務室に紙をめくる音とペンを走らせる音だけが繰り返し響く。
「くそ……終わらん」
手元の書類を睨みつける男は銀色の髪をかき乱した。
ナルエラ王国から無事にエレントル王国に戻って二日。到着してから休みなく働いているが、仕事が終わる気配が全くなかった。それは今回の報告書だけでなく、国内で起こった事件の後始末の手伝いや人事の入れ替え、ウィリアム様からの頼み事などやるべき事が山積みだからだ。
フッと彼女のことが頭をよぎる。今頃はティアと共に国王様との面会をしている頃だろうか。
彼女への気持ちを自覚してから、俺は彼女への対応を悩んだ。今まで通りではいけないことはわかっているのだが、いつも話しかけてくれるのは彼女からで、俺は意識して話しかけた事がない。周りが先に俺の気持ちに気づいていたという事は無意識に行動していたという訳か。なんとも情けない話だ。
だからまずは自分から積極的にいこうと決めた。人と会話をすることが面倒で避けてきた、女性なんて尚更避けてきたのだ。貴族同士の腹の探り合いの会話なんて意味がない。彼女を振り向かせるには何を話せばいいのかなんてわからない。それでも初めて共にいたいと思った女性を逃す訳にはいかない。
「これは後にするか。……そろそろ終わる頃だろう」
先程まで連日の労働で重たかった体も、椅子から立ち上がれば軽く思える。仕事以外で自ら動く事のなかった自分には初めての体験だった。ただ彼女に会うことを目的にしただけで、こんなにも心も体も軽くなるなんて。
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王宮の廊下を歩けば多くの視線を感じるが、いつもの事なので気にすることなく彼女を探す。
彼女はすぐに見つかった。触り心地の良さそうな艶のある藤色の髪を揺らし廊下を歩くリリアンを見つけるだけで肩の力が抜けるようだった。彼女の存在は自分を和ませ癒す。俺にそんな存在が現れるなど誰が思ったか。
素早く彼女の元まで近づいてから気づく。なんて声をかけようかと。このまま後を追うのは変だし、かといって彼女と話さず帰るという選択はしたくない。彼女も何かを考えているようで俺の気配に気付いていないし、どうしたものかと考えていると、突然彼女が言葉を発した。その内容に思わず言葉を返してしまい彼女を驚かせてしまった。
その後は散々だった。結局、何を話すかも理由も考えずに話しかけてしまったことで、ティアに用事があった事になってしまった。あそこでリリアンに会うために来たなんて言える経験値もなく、結局彼女を困らせただけで有耶無耶にしてしまったのだ。情けなくてため息を吐きそうになるのを必死に飲み込む。
なんとか彼女を送ると申し出る。以前もやっていた事なのに、何故かそれだけのことでも緊張してしまった。こんな事なら無意識にできていたあの頃の方がよかったのではないだろうか。
進み始めてから彼女と並んだのは初めてじゃないかと気づく。隣を歩く彼女を見れば、自分の肩ほどの身長に華奢な身体、藤色の美しい髪、空色の瞳、柔らかそうな紅の引かれた唇、白い肌。以前は平凡な顔立ちだと思っていたのに、今では可愛らしいと心から思う。昔の俺は馬鹿だったのではと考える程だ。
表情豊かな彼女の笑った顔も驚いた顔も怒った顔も愛おしい。ただ泣いた顔は見たくないと思うが、他人に見せるぐらいなら俺に見せて欲しいと望んでしまう。
自分がこれ程までに欲深いとは思わなかった。だからだろうか、彼女の全てが知りたいと思うのは。
『折角助かったんだし、後悔しないためにも当たって砕けるって決めたじゃない!』
さっきの彼女の言葉が引っかかる。俺もそこまで馬鹿ではない。当たって砕ける対象が人であることも、告白であることも何となくわかった。だからこそ聞いてしまった。
『何に当たって砕けるんだ?』
リリアンが命の危険に陥った時に誰を想ったのか。告げなくては後悔する程想う相手は誰なのか。胸の奥が疼き出す。誰だ、何奴が彼女の心にいる。
こんなに近くにいるのに、彼女のことがわからない。それが嫌だった。
今すぐに彼女をさらってしまいたい。そう思う程に彼女を求めている自分に気づくと、驚き呆れてしまった。俺はどれだけ独占欲が強く、彼女の幸せを願えない小さな男だったのかと。
「あ、あの! ヴェルモートさん!」
リリアンが突然声をかけてくる。こちらを見た彼女と目が合っただけで嬉しく思う俺は重症だろう。しかし、会話が続くことはなかった。フローリア様がやって来たからだ。
三人で話をしていると急にリリアンが去っていった。以前にもあったなと思い出し、まさか彼女は俺とフローリア様の仲を勘違いしているのではという考えにたどり着く。リリアンの名前を呼んでも反応しないのが決定打だった。
正直俺はフローリア様への対応にも悩んでいた。エレントル王国としてはダイアン王国は重要な貿易相手。そして、フローリア様自体、自由なところはあるが人が良く、好感の持てる相手だったのだ。だから無下に扱う事もできず、ヴェルモート侯爵家次男として無難な対応しかしてこなかった。
だが、それがいけなかったのかもしれない。フローリア様が俺に好意を向けている事に気づきながら、はっきりと意思表示をしてこなかったのだから。
フローリア様の滞在があと二日となり、俺ははっきりさせなくてはいけないと考えていた。恋愛感情を理解した今、それがフローリア様を傷つけるとしても、これ以上有耶無耶に先延ばししてはいけないと思ったのだ。
「フローリア様ーー」
「少し見ない間に雰囲気が柔らかくなりましたわね、レオナルド様」
「……そ、そうでしょうか?」
「えぇ」
俺を見つめるフローリア様は柔らかく微笑んだ。いつものように色々な話をしてくる様子もなく、黙って俺を見つめる。全てを見透かすような薄緑色の大きな瞳から目をそらせることはしなかった。今はしてはいけないと思ったからだ。
「私は今、変わろうとしております。今のままでは大切なものを手放さなければいけなくなると思っております」
「そのようですね……その大切なものはわたくしではなさそうですね」
「申し訳ありません」
少しでも誠意が伝わればと頭を下げる。
「謝ることはありません。わたくしに気持ちがあるように、レオナルド様にもお気持ちがありますもの。お仕事中でもわたくしの我儘に付き合って下さったこと、感謝しておりますわ」
「フローリア様……」
「ふふふ、レオナルド様が大切なのはリリアンさんでしょう?先ほどの彼女へ向ける貴女様の表情ですぐにわかってしまいましたわ」
「はい」
「頑張って下さいませ。彼女、わたくし達のことを勘違いしておりますわよ? それではわたくしはこれで失礼致しますわ」
「はい、ありがとうございます」
フローリア様はニコリと笑ったまま、侍女を引き連れて去っていった。そんな彼女の姿が見えなくなるまで見送ると、リリアンを追うために走り出す。
勘違いされたままにはしたくない。去ったということは彼女の想い人が俺である可能性はないだろう。それでも、はい、そうですかと身を引くつもりはない。
例え想いを受け入れられないとしても、何もしないで彼女を他の男に渡すものか。
今まで走ったことのない王宮の廊下、それでも早くリリアンの姿を見たいと規則も気にせず走る。
そして見つけてしまった。リリアンがあの男に触れられているところを。
カッと頭に血がのぼった。こんな王宮の中で彼女に何をしていると。彼女に触れるなと。勝手な思いなのは重々承知している。それでも身体を止めることはできなかった。
鍛え上げた身体能力全てを使い、凄まじい速さで近づくと、思い切り男の腕を掴む。呻き声を上げた男を気にすることなくリリアンを見れば、彼女は泣いていた。もうそれだけで十分だった。
「貴様、こんなところで何をしている」
彼女を泣かせるとは只では置かない。俺の理性は弾け飛ぶ寸前だった。




