甘い我儘
ティア視点です。
「ティア」
「ウィリアム、様」
風で黒髪を揺らしながら優しげに微笑むウィリアム様が近づいてくる。先程の王妃様との話も相まって、私はどんな表情をすべきか迷った。騎士として彼の側にいる、と伝えてから二人きりになる機会もなく、どうしたらいいのかわからない。
そんな私に気付いているのかウィリアム様は「庭でも散歩しよう」と誘ってきた。断わる理由も見当たらず、小さく頷くだけで彼の後を付いていくように歩き出す。
庭の花を愛でる余裕もなく、ゆっくりと庭を見ながら歩く彼の後ろ姿をただ見つめる。一騎士ではこんなことは許されないだろうが、今だけは彼と歩く時間を満喫させてほしい、と誰ともわからぬ相手に懇願する。それほどに彼の存在を感じられるだけで幸せだった。私は騎士ではなくただの女になってしまったんだと痛感する。
「国内で起こった件だが」
「あ、はい」
突然、振り返る事なく話し出したウィリアム様は国内での事件の概要を話し始めた。
国内で動いていたのはバラティエ公爵家と数名の貴族であった。リリアンが精霊王を呼んだ事は精霊省の大臣には伝えており、管理長にも保護管理者として伝えられていたそうだ。しかし、魔法大臣を勤めるバラティエ公爵は管理長が何かを知っていると突き止め、襲い、闇魔術で情報を吐かせると共に記憶を思い出せないようにした。そこで聞き出したのがリリアンの件だった。
そこからはナルエラ王国で語った内容と変わらない。バラティエ公爵は地位や権力、金にとらわれた男だ。魔術師である第二王子カール様を王太子に推薦し、魔術師の権力を上げようとするも失敗。今回、ウィリアム様に娘ドリアーヌを近づけたものの相手にされず、それならば一度国を壊し立て直す際に甘い汁を吸おうとしたのだろう。己の欲のためだけに娘まで使った愚かな男だ。
今は捕まり、余罪を調べられ、国王の裁きを待っている状態だという。ちなみに、ドリアーヌ様は何も知らず王妃の座を狙っていたというから似た者親子か。
「結果的に私のせいでリリアンを危険に晒す事となった。本当にすまないと思っている」
「いいえ。ウィリアム様が謝られる事ではありません。どうか頭をお上げください」
庭を歩き始めてから初めて振り返ったウィリアム様は、私に頭を下げた。顔を上げたウィリアム様は少し困った顔をし、スッと庭へと視線を戻す。ただそれだけなのに寂しく思ったのは、やっと彼の顔が見れたと思ったからだろう。
「私の願いは国民が幸せに暮らす事であり、苦しいと訴えられる、それを汲み取ってやれる国にする事だ」
「はい」
「だが、こんな美しい花壇にする為に犠牲となったものがあるように、住みよい国にするためにも犠牲を伴うだろう。その犠牲さえも救ってやりたいなどと願うのは傲慢な事かもしれん」
色とりどりの花壇に近づき花を見つめるウィリアム様の表情を伺い知ることはできない。それでもその声には決意と懺悔が含まれているようだった。
「理想のために厳しい決断をすべき時も耐えねばならない時もあるだろう。今までもそうしてきたし、これからもそうせねばならないと私は思っている」
「はい」
「それが例え己自身の事であっても今まで我慢してきた……それが国の為になるのならばと」
わかっています。黒い瞳を持つということだけで周りの者に蔑まれ、王子として立っているために我慢してやるべき事だけをやってきた彼の努力は、今、多くの臣下に伝わっているのですから。
「だから、ティアが国のため、私のために騎士としていたいと言われた時、我慢したのだ。それがティアの望みであり、国のためになるのならと」
花を見つめるために下を向いていたウィリアム様が顔を上げ、私を真っ直ぐ見つめてくる。その真剣な眼差しに胸が苦しくなる。今回は私が彼に我慢させてしまった、苦しめてしまったと思うだけで息がつまりそうだ。
本当は彼を苦しめることも傷つけることもしたくなかった。隣にいたかった、貴方の想いに飛びつきたかったと私が今伝えたら、身勝手な女だと思われるでしょうか。好き…愛していると伝えてもよかったのでしょうか。こんな愛もちゃんとわかっていない女が、貴方に愛を誓って重荷となってもよかったのでしょうか。
伝えたくても伝えられない、そんな思いが溢れ出す。王妃様が認めてくれたからと彼に飛び込めるほど、私は恋に溺れる女にはなれなかった。いや、怖かった。彼の反応が怖いのだ。
「ティア、君にお願いがある」
「……なんでしょうか」
「私の我儘を一つ聞いてほしい」
「はい」
貴方の願いならば、なんでも叶えましょう。それが例え苦しく悲しい事でも、我慢ばかりしてきた貴方の我儘ならば叶えてみせます。
「俺の妻となり、ずっと隣にいてほしい」
「……え?」
妻、ずっと隣に? 国のために我慢したと言ったのに。それが貴方の我儘なのですか?
「王太子としてではなく、愛する人を求める男としての願いを叶えてくれないか」
「しかし、それは……」
「ティア、国も俺のことも考えず、君の素直な気持ちだけで答えを聞かせて欲しい。俺の我儘を聞き入れてはくれないか?」
優しく笑う彼の姿が次第にぼやけていく。私の素直な気持ちを伝えて貴方は困らないのですか?いいのですか?それなら、私の気持ちは……
「愛しているんだ、ティア」
ゆっくりとウィリアム様が私の目元に手を添える。流れ落ちる涙を受け止める彼の手の温かさが伝わってくる。彼の温かな想いが流れてくる。
「私も愛しております、ウィリアム様」
私は崩れた表情をできるだけ笑顔にし、彼の漆黒の瞳を覗き込む。そこには紛れもなく恋する幸せそうな女性の笑顔が映っていた。
「ありがとう、ティア。君が隣にいてくれるだけで、俺はなんでも乗り越えられるよ……我慢しなくて、本当によかった」
包むように抱きしめられた初めての彼の腕の中は、とても安心できて、誰かの1番の存在になれることの幸せを噛みしめるように背中に腕を回した。
お父様、お母様……多くの命を守る立派な騎士は卒業してもよいですか? 私は大切な愛する人のためだけに生きたいと思います。どうかそんな娘を見守っていてください。
花々が咲き誇る庭の中で、己の暗い過去を二人で乗り越えるように、愛する男女が結ばれた。
姿は見えずとも多くの精霊たちに見守られながら。




