ロミオ・ランバートと結界
ザック視点です。
雲ひとつない青空の下、色とりどりの花々が庭を彩っている。ベンチとテーブルが申し訳なさそうにポツンと置かれたここは、王宮敷地内にあるあまり人が来ない小さな庭だ。常に薄暗い塔の中にいる僕にとって、休憩時間は息抜きできる貴重な時間であり……
「お待たせしてしまいました?」
「いや、僕も今来たところだよ、セレーナ」
振り返れば、浅緑色の瞳を細めるように柔らかな笑顔を向ける女性、この庭の花達よりも可憐で美しい僕の最愛の人がいた。そう、この時間は僕にとってセレーナと会える大切な時間でもあるのだ。
「少し顔色が悪いけど、大丈夫?」
「えぇ。意識を戻したから、これからは落ち着けると思うわ」
「そっか。座ろう……どうぞ」
足元の草に足をとられないように、ゆっくりと手を引いてベンチへ座らせる。気丈に振舞ってはいるが、疲れているのが伝わってきて思わず手を握ると、優しく握り返された。
セレーナは先日、意識不明の状態で発見された精霊省の管理長の治療を請け負っていた。精霊省のトップが何者かに狙われたという、国家を揺るがすような事実を知らされたのは、僕が結界の歪みの調査をしているからだ。もしかしたら、何か関係があるかもしれないからということで、経過もカールから聞かされていた。しかし、この件を王宮内で知っている者は少ない。知れば混乱を招くだけでなく、他国の王女がいる今、そのようなことを外部に知られては問題だからだ。
「先ほど、ウィリアム様が面会にいらしていたから、後でカール様から何か聞かされると思うわ」
「そうか。ところで、セレーナのお義父様はまだ領地にいるの?」
「えぇ、王都から派遣された騎士達と色々調べていて忙しいみたい。お母様は少し寂しそうだわ」
そう言って顔を歪める彼女が見ていられず、そっと頭を撫でる。
「じゃあ今度、姉さん達と屋敷に遊びに行かせてもらうよ」
「本当? お母様も喜ぶわ!」
「君は?」
「もちろん嬉しいわ」
「それならいいんだ」
先程とは違い、弾けるような笑顔を見られたことに満足する。色々な問題が起こっているが、彼女のことは僕が守る。そう心に決め、庭の花に目を移す彼女の肩をそっと抱いた。
****
「今日も楽しく幸せな時間が過ごせたようだな」
「おかげさまで」
にこやかに答えると、つまらなさそうに顔を歪めたのは第二王子のカール。そんな顔をするなら聞かなければいいのに。
ここは王都の周りを囲む結界の管理をしている塔の中。機密術式も多いため、限られた者しか入る事が許されない場所だ。しかし、カールの隣にある椅子には見た事もない白髪に白髭のいかにも老人が座っていた。誰だろうかと思っていると、カールがその老人に声をかける。すると、何故か涙を堪えるように僕を見つめるではないか。僕の知り合いなのに忘れていたのか……いや、記憶にないしなぁ、と混乱している僕をカールが手招きする。
「彼がザックです」
「はじめまして……で、あっていますでしょうか? 僕はザックと申します」
「君が……ずっと待っていたよ」
「僕を……ですか?」
優しく微笑みながら頷く老人の言葉に困惑しながら、どういうことかとカールに目で問いかける。カールは心得たとばかりにニコリと笑う。
「彼はドミノン・コローネリオ男爵。現役時代はこの塔で魔術師として働き、この結界を作ったロミオ・ランバート男爵の部下としても働いていた」
「ロミオ・ランバート様の部下として!?」
自分でも驚くほどの声を上げてしまった。ロミオ・ランバート男爵は王都の結界を作った天才とも呼ばれる凄い魔術師だ。彼の組む術式、特に結界は完璧と言っていいだろう。そんな人の部下として働いていた人が目の前にいるなんて、不思議な気持ちだ。
「そう、ロミオさんには大変よくして頂いたよ。はじめまして、ザック君。君に会える事をずっと待っていたんだ」
「あの、それはどういうことでしょうか?」
「これを預かっていたからだよ」
そう言うと一冊の本を渡された。元々は赤色なのだろう表紙がくすんでいて古さが伝わってくる。中を見ようとするが、開かなかった。なにか術式が組まれているようだ。
「これはロミオさんにいつか自分の親族の魔術師が現れたなら渡してほしいと頼まれていたのだよ。なかなか現れず、孫に頼もうかと考えていたところに、カール様から声がかけられたのだ」
「そうなのですか? 確かに僕はひ孫にあたります。長い間大切に保管して頂き、ありがとうございます」
そう、僕はロミオ・ランバート男爵のひ孫なのだ。ロミオ・ランバート男爵は母方の祖父にあたる。もともと平民だった曾祖父は、その魔術師の才能を認められ、一代のみ段位を与えられた。その後、祖母が産まれたが、仕事一筋の曾祖父とは疎遠となり、一般の人と結婚、母が産まれた。その事を知ったのは、母が僕を守るために盗賊に殺され、僕の魔力が暴走してしまった後だった。
しかし、それで納得もしたのだ。魔力量の普通な両親から何故魔力の高い僕が産まれたのか、結界を張るのが得意なのか、魔力を練るのが得意なのか、全て答えは曾祖父に繋がるのである。だから、この塔で結界術式の魔力を感じた時、似ていると思ったのだ、僕の魔力に。
「それは血で開く術式になっている。一滴垂らせば中を見ることができるはずだ」
「わかりました。やってみます」
軽く指先を傷つけ、血を垂らす。すると先程とは違い、普通の本と変わらず開くことができた。中にはびっしりと文字が書かれていた。これは読むのに時間がかかりそうだ。
「内容は言わなくていいよ。私は君に渡すために預かったのだから」
「ありがとうございます。大切に読みます」
「そうするといい」
その後、当時の話を少しして、コローネリオ男爵は帰っていった。長い時間かけて使命を果たすことができた彼は、満足気だった。
見送った後、塔内にある個室へと案内される。まだ何かあるのか。どうせなら、さっさと仕事をこなして曾祖父の本を読みたいのだが。
「先ほど兄上から報告がおりてきた。先日襲われたニコール・エルキンソン伯爵の件だが、何も覚えていないそうだ」
「覚えていない?」
ドサッと力無く椅子に座り、こちらを見上げるカールは難しい顔をしていた。それもそうか。意識を取り戻した、何かわかるかもしれないと聞きに行って、この結果なのだから。
「襲われたのも覚えていない。すっぽり記憶がないのだ」
「それは……ショックによる記憶喪失ですか?」
「いや。兄上は闇魔術により、覚えていないと思わされているかもしれないと言っていた」
「敵には貴重な闇魔術を使える者がいると? それはまた厄介な」
闇魔術が使える者は大抵、魔法省で登録されている。ということは、その中に関係者がいるのか、申請していないのか。
「ウィリアム様がそうおっしゃると言うことは……闇魔術をかけてわかったということ?」
「一応見てみたそうだ。そこで、他者の介入を見つけたという訳だ」
「では、目的はわからず、敵の狙いもわからないまま……」
「そうなるな」
精霊省のトップを狙うということは、精霊使いを狙っているのか。何もわからない今、姉さんの事も心配だ。僕も力になりたいが、まずは結界の件を解決しなくては。そう思っていると、ノックもなく扉が突然開かれる。
「カール様!」
「どうした? なにかーー」
「結界が破られました!」
「なんだと!?」
突然の報告に一瞬身体が固まる。結界が破られるだって? そんなことーー
「ザック! 何してる! 緊急事態だ!!」
カールの自分を叱咤する声で我にかえる。慌ててカールの後を追いかける。カールは走りながら部下に指示を出していた。その背中を見ながら、何かが起こる、その嫌な予感をひしひしと感じていた。
誤字訂正(6.30)




