二人の立ち位置
ティア視点です。
今、ここにいるのは部屋の主の王太子ウィリアム様、側近フィルディン様、私の三人。すぐに通された執務室には、少し疲れの残る表情のウィリアム様がおり、一人で来た私に軽く驚かれると、すぐに状況を理解したようだった。
「本当にレオには苦労かけるね。」
「いえ、対処できないあの方が悪いのです。」
「あはは、それは手厳しいね。」
ウィリアム様が優しく笑う。誰にでも笑顔を貼り付けている彼が、こんなに心のある笑顔ができると知ったのはいつだろうか。
「本日は隊長に代わり報告に参りました。」
「頼むよ。」
「はっ!結界を歪めたとされる魔術師の追跡調査の結果ですが、王都に入るための証明書を持っていない事を前提に、不審な二人組を聞いて回ったところ、いくつかの町で同一人物と思われる目撃証言を得ました。」
「ほぅ。」
器用に片眉を上げ、続きを促すウィリアム様を見て、そんな顔もするのかと不思議な感覚に陥る。どことなく面白いものを見つけた子供の様な普段見せない表情に心が騒ぐ。…あなたはそんな表情もできるのね。
「ティア?」
「あっ、はい。その二人組は言葉の端々に訛りがあったようです。本国の訛りと違うため印象に残ったとか。そのため他国の者である可能性が強まりました。」
「他国からか…ズワーダ王国やパトル公国は友好関係を結び、持ちつ持たれつの関係。そう簡単に手は出してこないだろう。シュザート国はなくもないが、我が国の結界を壊せるような魔術師がいるという情報は聞いた事がないな。」
そう、今エレントル王国と陸続きになっている三ヵ国がエレントル王国を敵に回すのは高いリスクが伴う。ましてや、精霊王の力で世界でも存在力を増している国に喧嘩を売るなどという愚かな事をしないだろう。
「はい、私もそう思います。まだ足取りを追っている途中ですが、目撃情報のあった町を繋ぐとアルフォード伯爵領地に向かったのではないかと…」
「港か…あるかもしれないな。」
「はい。」
次第にウィリアム様の表情が険しくなっていく。これも他では見ることのできない王太子としての顔つきだろう。ウィリアム様直下の騎士として働いていた頃から、度々この表情を見る事が増えたのは良い事なのか悪い事なのか。
「目的がわからない以上、早急に片付けなければなるまい。ロベルト、アルフォード伯爵に調査のために騎士を領地に送ると伝えろ。きっとそこで何かが見つかるだろう。ティアは引き続き追跡調査を頼む。」
「かしこまりました。」
「はっ!」
そう言うが早いか、フィルディン様はすぐに部屋を出て行った。本当にあの方は仕事モードだと頼りになる。
「では、私もこれで失礼ーー」
「ティア、すまないが紅茶を一杯頼めるかな。」
「え?あ、はい。」
突然の呼び止めに一瞬動きが鈍くなるが、慌てて姿勢をただし返答する。そんな私を見て、ウィリアム様が表情を緩めながら深く椅子に座った。もしかしなくても、かなりお疲れなご様子である。ふっとジルベルト様の言葉を思い出す。
『さぁ、早く行って差し上げて。私達は話を聞いてあげたり、ドリアーヌ様を抑えてあげる事しかできないけれど、あなたが行けば元気も出るはずだわ。』
私は何か役に立てるのだろうか…今回、私が持ってきた報告でより疲労させた私に。話を聞く?そんなこと一騎士の私ではおこがましい。ドリアーヌ様を抑える事もできない。では何ができるだろうか。
背もたれに寄りかかり目を閉じるウィリアム様を横目に、紅茶の香りが立つように丁寧に紅茶を淹れる。静かな空間に私の動く際の音だけが広がる。この静けさが嫌ではなかった。いつもと同じ速度で時が流れているのに、二人の空間だけがゆっくりと時を刻んでいるかのようだった。
紅茶を持ち机に近づき、ウィリアム様を見る。背もたれに無造作に広がった艶のある黒髪、長い睫毛、笑っている時は柔らかな印象を受ける顔も、今は男性らしい精悍な顔つきに見える。って私、何見てるのよ!今日は私なんだか変だわ。
机の上に静かに紅茶を置く。ソーサーから手を離すタイミングで目を開けたウィリアム様の漆黒の瞳と目が合った。
「ありがとう、ティア。」
「…はい。お疲れのご様子ですが、大丈夫でしょうか。」
「まぁ、色々と問題が続いているからね。でも大丈夫、みんなが助けてくれているから。それでも、ティアに心配されるのは、なんだか嬉しいな。」
ニコッと無邪気に笑うウィリアム様は、実年齢よりも幼く見えた。本当に嬉しい、そう言っているかのように。
「私だけではなく、皆心配しておりますよ。」
「そうだね。でも、俺はティアに心配されている事が嬉しいんだ。」
ドクン…心臓が跳ねたように身体に振動が伝わってくる。いつもみたいにヘラヘラ笑いながらではなく、真っ直ぐ真剣な眼差しで私を見るウィリアム様にどう反応していいかわからなかった。そして、突然第一人称が〈俺〉に変わった事に戸惑った。返す言葉を見つけることができない。
「ウィ、ウィリアム様?」
「候補の彼女達には悪いけど、婚約者は自分で決める。国民を守ると決めた俺と共に闘い、俺が側にいて欲しい、心から大切にしたいと思う人を選ぶ。」
何故それを私に伝えるのですか。何故そんなに真っ直ぐ私を見つめるのですか。それとも…心に決めた方がいらっしゃるのですか。どれも声にはならなかった。そんなことを言ってよい雰囲気では全くないと思った。これは宣言、そう思えたのだ。
「私はウィリアム様が選ぶ事に異論を唱えるつもりはございません。ウィリアム様が決めた事ならば、守り抜いてみせます。」
私は片膝を付き、胸に拳を当てこうべを垂れた。ウィリアム様の宣言を騎士として受け止める、それが私の結論だった。すると、頭上からウィリアム様の小さな笑い声が聞こえてくる。何故笑われているのかわからなく、頭を上げると、そこには少し寂しげに笑うウィリアム様がいた。
「ティア。今は私自身に忠誠を誓ってくれているんだね。初めて騎士になった時は私にではなく国民に忠誠を誓っていたようだけど。」
「…はい、ウィリアム様は尊敬すべき方だと認識しております。」
「そうか…尊敬か。では、もし支えるべき相手ではないと思った時には、遠慮せず国民への忠誠に変えてくれて構わないよ。」
そう告げるウィリアム様を見て、何故だか心が締め付けられた。いつの間にか〈私〉に戻ったウィリアム様は、今何を思っているのだろうか。それをわからないことが、急に怖くなる。
「そのようなことは起こりません。」
「そうかい?私はティアが思っているほど素晴らしい人ではないよ。もし君を困らせるとしたら、先に謝るよ。すまないね。」
「…どういうことでしょうか?」
私の質問は王子スマイルで誤魔化された。心の隠した笑顔では何も解決する事はできず、フィルディン様が戻ってきたのを合図に、そのまま執務室を出ることとなった。
その日の夕方、自宅へ帰ると家の前に少年が立っていた。
「こんな時間にうちに用事?」
「はい!時間指定されていたんで…ティアさんはいらっしゃいますか?」
「私よ。」
「ちょうどよかった!ではこれ、お届けものです!」
そう言って少年から手渡されたのは綺麗な花束だった。
「サインお願いします!」
「え、えぇ。」
「ありがとうございましたぁ!」
颯爽と走り去る少年を見送り、もう一度手元の花束に視線を戻す。ピンクに白、紫と色とりどりの花束。こんな綺麗な花束を一体誰が?
すると、花の間に小さなカードが入っていた。カードを開くと…
『想いをのせて ーーーーー ウィリアム』
ウィリアムって…ウィリアム様から!?そんなはずないだろう。だが、私の知るウィリアムは一人だけ。どうして私に?先程の執務室での会話を思い出す。私を困らせることってこれの事だったの?
ウィリアム様の想いってどういうこと。瞬く間に混乱の波に飲み込まれていく。何とか深呼吸をして混乱する自分を落ち着かせ、冷静に花束を見つめる。
「これはペチュニアの花束?あれ、奥に一本違うのが…赤いアネモネよね、これ。……それって。」
全身が熱くなっていくのがわかる。頭がくらくらしてきた。どうしてこんなことを、そう慌てる自分と、冷静に状況を見て、ウィリアム様の想いをしっかり理解している自分がいた。
たくさんのペチュニアに埋もれるように一輪の赤いアネモネ。この花言葉は…
《ペチュニアーーあなたと一緒なら心がやわらぐ》
《赤いアネモネーー君を愛す》
「ついに言ってしまった…」
そう言って情けなく机に項垂れるのは、俺の主であり王太子ウィリアム。
「しっかりしろよ、花束も届くし、もう後戻りはできない。それに、王女が婚約者になる事はないだろうから、大臣に勝手に婚約者を決められる前に伝えなくてはいけない、と言ったのはウィルだろう。」
「そうだが…花束を見てどう思うだろうか。」
いつも作戦を実行する時は、異常な程の自信家であるウィルがこうも弱気とわ。これから面白いものが見れそうだな。
「俺がちょっと覗いてきてあげようか。」
「やめろ。面白ろ半分のお前が見たら、ティアが穢れる。」
おいおい、一応心配して言ってやったのに…まぁ、面白そうとは思ったが。
心配で仕事が手につかないウィリアムに、ロベルトが困り果てる状況は1日続いた。




