幸せになろうね凜子ちゃん!
「……全く聞こえなくなったわ」
俺の痛みもひいて凜子ちゃんも泣き疲れたということで、俺達は何気なしに近くの喫茶店で向かい合って座っていた。俺の顔を直視することができないのか、俯きながらメロンフロートをかき混ぜる凜子ちゃん。俺の顔を直視できないのは、単純に恥ずかしさとかからなのだろうか、それとも殴られたりして顔が酷いことになっているからなのだろうか。ここに来るまでに周りの人に結構笑われてしまった、それだけ今の俺の顔は酷いことになっているのだろう。あるいは俺の被害妄想か。
「心の声とやらが?」
「ええ。まさか本当に私の妄想だったなんてね。どんだけアホなの、私」
ストローを口に含んで悔しそうに濁ったメロンフロートをボコボコと泡立てる子供みたいな凜子ちゃん。凜子ちゃんの被害妄想はようやく無くなったのだ、凜子ちゃんは呪いから解き放たれたのだ。
「そっか、よかった。とにかく凜子ちゃんが思っている程、この世界は悪意に満ちているわけじゃないよ。田宮君は罰ゲームで告白したわけじゃないし、猫神さんも凜子ちゃんのことを大切に想ってるよ、まあこれは言わなくてもわかるかな。俺が保障する。けれど……」
「けれど?」
折角被害妄想が治った凜子ちゃんにこの事実を突きつけるのは嫌だけど、凜子ちゃんなら乗り越えられる。いや、乗り越えないといけないんだ。
「善意に満ちているわけでもないよ。凜子ちゃんの両親は、凜子ちゃんをさっぱり愛していない。こればかりは被害妄想でもなんでもなく、現実」
「そう。まあ、それくらいわかるわよ、大人が思っている以上に子供は繊細ですもの。信也の両親は素晴らしい人ね、それも心を読まなくったってわかるわ。でも、私達は与えられたカードで戦うしかないのよね。ブラックジャックだって人生だって同じ」
気まずい空気が流れる。でもしょうがないよ、むしろあの両親にしては、凜子ちゃんは立派に育った方だよ。
「ま、とにかく凜子ちゃんはもう大丈夫だよ。すぐに幸せを掴むことができるよ」
「……その傍らに、あなたはいるのかしら?」
「え」
凜子ちゃんは被害妄想じゃなくなり、ちょっと家庭環境がアレな美少女として青春を謳歌しましたとさ、めでたしめでたし。そんな凜子ちゃんの門出を祝おうと思っていたのだが、凜子ちゃんの口からそんな言葉が出たもんだから殴られて真っ赤に腫れていた顔を更に赤くしてしまう。
「……私、今でもあなたの事が好きなはず。あなたに酷い事を言って、ずっと後悔しているうちに、自分の気持ちに素直になれたわ。私なんかのために、色々してくれて、さっきだって、勝ち目もないのに勇敢にも立ち向かって……私の理想の王子様。でも、同時にあなたの事を怖いと思っている、そんな心も確かに存在するみたいなの」
「だろうね。俺だって心が読める人なんて怖いよ」
「……私の心、読んでくれない? 丸裸にしてくれない? 私の本当の気持ち、自分じゃうまくわからないから」
心を読まれるというのは怖いことだろうに、凜子ちゃんはキッと俺の方を向いてそう頼んできた。凜子ちゃんの覚悟を読み取った俺は、凜子ちゃんの深層心理を読み取る。
「……凜子ちゃんの言っている通り、色んな気持ちが混ざり合ってるよ。俺を好きだって気持ちも、俺が怖いって気持ちも、変な顔だなあと笑ってる気持ちも、感情ってのは一枚岩じゃないんだ」
「そう。怖がってる気持ちがあるなら、駄目ね。私はあなたの彼女になっちゃいけないわ」
「それでも、いいんじゃないかな」
「え?」
自分は俺を一度拒絶してしまったから、怖がっているから、例え好きという気持ちがあっても駄目なんだ……凜子ちゃんはそう思っているようだが、俺は違う。色々と理由づけて、凜子ちゃんを逃がしたくないだけなのかもしれないけれど。
「その人の全てが好き、なんて人、いやしないよ。教祖様を崇拝する信者じゃあるまいしさ。好きな部分もあるし、嫌いな部分もあって当然だよ。恋人だって、夫婦だって、時には好きな部分よりも嫌いな部分の方が勝ってるケースだってある。けど、好きな部分が好きだから、人は人を愛するんじゃないのかな。俺だって、正直凜子ちゃんにムッとする事は何度もあったよ。被害妄想という事情があっても、凜子ちゃんの態度はあまりにも酷かったと思うし。けど、凜子ちゃんの猫を見た時に見せるとろけそうな表情とか、心の底に秘めた優しさとか、そういう所があるから、凜子ちゃんをどんどん好きになっていったし、被害妄想から解き放とうって気持ちになったんだ」
「……好きでいて、いいの? 私、酷い女よ? あなたを今後もきっと傷つけるわよ」
「全然平気だよ、人間お互い時には助け合ったり、時には傷つけあったり、そうやって生きていくもんだ。とにかく、俺は凜子ちゃんと付き合いたい。凜子ちゃんの良い所も悪い所も全て受け入れるつもり。凜子ちゃんが、俺を怖いって気持ちで押しつぶされてしまうなら、俺は諦めるよ。けれど、そうでないなら……」
言いたいことは言った。俺は凜子ちゃんに自分の秘密を知られて化け物と言われようと、そのくらいで今までの凜子ちゃんへの好感度を崩壊させるような男ではなかった。この数日、いや、数日ぶりに凜子ちゃんの姿を見た時にそれがわかった。こんな時にまで心を読んで凜子ちゃんの考えを知ろうだなんて思わない。照れているのか俺から目を逸らしていた凜子ちゃんだったが、立ち上がると俺の席の方にやってきて、
「……!」
話し声は聞こえていないとはいえ、他のお客さんも存在すると言うのに凜子ちゃんは俺にキスをしてきたのだ。
「これが、私の答え。私、頑張る。信也をもっともっと好きになれるように、怖いなんて気持ち、完全に消せるように」
「そっか。俺も、頑張るよ。凜子ちゃんを幸せに出来る、凜子ちゃんを怖がらせないような、素敵な彼氏になって見せる」
俺も立ち上がると、凜子ちゃんを思いきり抱きしめる。心を読もうなんて思ってなかったけれど、凜子ちゃんの幸せそうな気持ちが雪崩こんでくる。凜子ちゃんにも、俺の気持ちが届いただろうか。喫茶店にいるわずかな客や店員の冷ややかな視線に祝福されながら、俺達はハッピーエンドへの第一歩を歩もうとしていた。
◆ ◆ ◆
文化祭当日。イスラム系というか、とにかくあの占い師が着ているようなローブに身を包み、練習の成果かタロットカードを捌けるようになった凜子ちゃんの側で補佐を務める俺。
「凜子ちゃん、次のお客さんは彼氏とうまくいってないみたいだ」
凜子ちゃんに占われる人の心を読んでそっと耳打ちする。
「了解……いらっしゃい! ふふ、何も言わなくてもわかってるわ……あなた、恋人と上手くいってないようね!」
「え、どうしてわかったんですか!? すごい……」
すると凜子ちゃんはドヤ顔になってお客さんの悩みを当てると、得意げにタロットカードを捌き始める。
「そんな貴女へのカードは……これよ!」
凜子ちゃんが出したカードは、ハングドマンの正位置だ。忍耐とか妥協とか、そんな感じの意味を持っているからそれに合わせて恋のアドバイスをすればいいはずなのだが、
「吊られた男……そう、つまり貴女の彼氏は本当はマゾなの。その欲求を叶えてあげれば、きっと上手くいくはずよ!」
「た、確かに薄々そうじゃないかと思ってたんです! わかりました、頑張ってみます!」
滅茶苦茶なアドバイスをする凜子ちゃん。すっかり信じ切ってしまった可哀想なお客さんを見送ると、満足げな顔で俺に微笑む。
「完璧ね」
「凜子ちゃん、いくらなんでも今のは無責任すぎだよ……俺達の関係が元に戻ろうとしてるのに、他の人の関係をぶち壊したら後味悪すぎるよ」
「う、占いなんて信じる方が悪いのよ!」
「クラスの出し物全否定!?」
今になって罪悪感が湧いてきたのか慌てだす凜子ちゃん。そんな凜子ちゃんに懺悔の時間を与えることなく、次のお客さんがやってくる。俺の能力で悩みをピタリと当てているからか、それなりに人気になっているようだ。
俺達はこうしてまた付き合うことになった。被害妄想の抜けた凜子ちゃんは、可愛くて優しくて人の心の痛みがわかる美少女。それでも凜子ちゃんの今までやってきたことを考えれば、まだまだクラスでの地位は低いけど、俺と一緒に少しずつ上げてきている。この分ならきっと来年には学園のマドンナだ。それはそれで嫌だな、俺の独占欲が。
何もかもがうまくいっているというわけではない。俺が心を読んでいるということを打ち明けてしまったのだ、たまに凜子ちゃんは心を読まれたくないのか嫌そうな顔になったり卑屈になったりすることもあるし、俺もまた、たまに自分は人間社会において受け入れられない存在なんだと被害妄想にも近い悩みを持つこともある。被害妄想が無くなっても彼女の家庭環境は悪いままだし、課題は色々ある。それでも総合で見れば、俺達はとても幸せだ。
「そろそろ交代の時間ですから、二人とも後は任せて大丈夫ですよ」
「了解。凜子ちゃん、どこ行く?」
「演劇見に行きましょう」
「わかった、それじゃ後は任せるよ、猫神さん」
「はい、二人とも楽しんできてください」
猫神さんに見送られて教室を出て、俺は凜子ちゃんの手をぎゅっと握りながら、演劇が行われる体育館へと向かう。
『あのカップル手なんて繋いであっつーい。でもどうせ高校生のカップルとかすぐ別れるんだよねー、あーかわいそ』
途中ですれ違った女子高生が俺達の事を鼻で笑っているような気がしてついつい心を読んでしまうと、あまりにも酷い内容だった。けれど、彼女の言う事も一理あるのかもしれない。俺も、凜子ちゃんも、この幸せがずっと続くと信じている。数年後には結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を築けると信じている。けれど、高校一年生で付き合ったカップルがそこまで行くことなんて稀だという事実も確かにある。いや、俺達は大丈夫だ。ただのカップルじゃない、色んなハチャメチャや障害を乗り越えて結ばれたカップルなんだからな!
「幸せになろうね、凜子ちゃん」
「何言ってるの、当たり前でしょ」
自分に言い聞かせるように凜子ちゃんにそう言いながら、繋いでいる手を子供みたいにぶるんぶるんと振る。そんな俺を見てくすくすと笑う凜子ちゃん。未来の事を考えると不安になることもあるけれど、今を大事にしよう。今を大事にし続けていれば、未来も大事に決まってる。二人で一緒に歩いて行こう。どこまでも歩いて行ける。
何となく、この世界の心を読んだ気になって、世界が俺達を祝福してるって気分になって、今度は俺がポジティブな妄想癖でもなったのかな、被害妄想よりはマシだよな、なんて思っちゃったりして、にやけている所をまた凜子ちゃんに笑われてしまったのだった。
おわり
削る形で展開を少し改訂。




