俺は化け物じゃ……ない……よ……凜子ちゃん……
「……心が読める?」
「今、この子何言ってんだ? って思ったでしょ」
訝しむ俺に、よくあるとんちを返す凜子ちゃん。
「……うん、思ったよ。本当に心が読めるの?」
「ええ、読めちゃうの。不思議に思ったことはない? 私がやけに察しがいいなあとか」
「確かに、それは前から不思議に思ってたよ。まるで心を読んでいるようだって」
今はひとまず、凜子ちゃんに胸の内を全てさらけ出してもらうことにしよう。
だから凜子ちゃんの言っている事を信じるという設定にする。
「信じてくれたみたいね。……私が両親にちっとも愛されていないって話はしたわよね」
「うん」
「小学校高学年の頃から、そういうのに気づいちゃって。大人が思っているほど、子供は馬鹿じゃないのよね。今でもあの二人は、きちんと私を育てることができていると思っているわ。波風立てずにいなくなってくれる、厄介払いができると思っている。愚かなものよね」
「優しそうなお母さんだと思ってたんだけど、娘の凜子ちゃんがそういうならそうなんだろうね。俺の母さんも、同じような感じなのかな」
「まさか。信也のお母様もお父様も素晴らしい人間よ、私が保証するわ。羨ましくて妹になって、ここの子供になりたいくらいよ。……とにかく、親に愛されていないのに気づいて、身近な存在がゴミみたいな人間だったから、周りの人間もそういう人間ばかりなんだって思うようになってたら、聞こえるようになっちゃったのよ、心の声が」
昔を懐かしみつつも当時を思い出したのか悲しげな表情になり、少しだけ泣き始める凜子ちゃん。
俺は凜子ちゃんの言う事を完全に信じているという設定で真剣に凜子ちゃんを見つめる。
「……それで、どうだったの? 周りの人間は」
凜子ちゃんには辛い話をさせるようだが、凜子ちゃんのためにも催促しないといけない。心の中に溜まりきった濁った物を吐き出させないといけない。ひくひくと泣いている凜子ちゃんであったが、何度か深呼吸をして立ち直ったようで、話の続きをしだす。
「思っていた通り、ほとんど汚い人間ばっかりだったわ。嘘であって欲しかったけど、考えている事が自然と頭に響いてくるの。それを否定するなんてできなかった。同時に私自身、周りの人間とほとんど変わらないって思うと悲しくてね。自覚することができたからこそ、今では周りよりはマシだって思えるようになったけれど」
「そんな……」
「残念だけど、現実よ。ゴミみたいな人間に育てられた人間は大抵ゴミみたいな人間になるし、逆に信也みたいに素敵な人間に育てられると、素敵な人間になるの。親に感謝することね」
凜子ちゃんの言っていることが間違っているわけではない。親の教育というものは、思っている以上に大きい。いい加減に育てても立派に育つような天才なんて、滅多にいたりはしないのだ。そう言う意味では、心を読むなんて能力を持ちながらも、人の道を踏み外すことなく生きてこれたのは親の教育によるものが本当に大きいのだろう。
「……中学の時はね、そんな感じで周りの人の本性とか知っちゃって、周りを見下すようになって、自然と私も性格が悪いとか言われていじめとかも受けるようになって。性格悪いのはどっちだか、って強がって生きてたわ」
「……大変だったんだね」
「ええ、誰だって、私みたいに他人の心の声が聞こえてきたら、性格歪んじゃうわよ。高校も、同じように過ごすんだろうなって思ってた。でも、信也に出会った」
俺の顔をしっかりと見つめて笑顔になる凜子ちゃん。
「信也が悪い人じゃない、いい人だってことはすぐに心の声を聞いてわかったわ。けど、世界は善意で溢れている、なんて思っているようだから、いつか現実に気づいて絶望しちゃうんじゃないかって思って。勝手に、程々に現実を教えて救ってあげようとか思っちゃって。馬鹿な話よね、救ってもらったのは私なのに」
「俺が凜子ちゃんを救った?」
「ええ。……最近ね、私も精神的に滅入っているのかしら。心の声を正しく聞き取れなかったり、記憶が曖昧になったり。でも、信也が私を支えてくれたおかげで、高校生活が、少し楽しくなっていた。信也のおかげで、友達だってできた。嘘の恋人関係だった時も、なんだかんだいって楽しかったなって思って、バステトとお喋りしている内に気づいたの、信也の事が好きなんだって」
「俺も凜子ちゃんの事を一目見た時から」
「それは嘘よ。信也は優しい人だから、私が孤独にしているのを見かねて手を差し伸べてくれたに過ぎないわ。私ズルイ女だから、信也の事が好きだって認識した時から、信也も私を好きになって欲しいって思って。信也の心を読んで、ストーカーみたいなことをしたわ。その結果、信也は私を本当に好きになった。信也は私の手のひらで踊っていたのよ。幻滅した?」
自嘲する凜子ちゃん。自分のやったことは、恋愛のルール違反だと思っているのだろう。
「まさか。過程はどうあれ、俺が今凜子ちゃんを好きだって気持ちは、まぎれもなく真実だと思うよ」
「ええ、心を読めばわかるわ。……こんな私を好きになってくれて、ありがとう。心の声を読むなんて、気持ち悪い女だけど、私を受け入れてくれる?」
ひとしきり話し終えた後、真っ直ぐに、一点の曇りない瞳で俺をみつめる凜子ちゃん。
凜子ちゃんは告白した。自分は恋愛でズルをしたんだと。自分は心の声を読む気持ち悪い人間なんだと。
そんな自分を許して、受け入れてくれるかと俺に問うたのだ。
心を読まれているなんて知れば、普通の人間は気持ち悪がるに決まっている。
だから凜子ちゃんは今まで誰にも自分の秘密を打ち明けたことがなかった。
けれど、俺には打ち明けた。気持ち悪がられてしまう、フられてしまう、そんな覚悟までして。
それだけ凜子ちゃんは、俺を大切に思ってくれたのだ。
凜子ちゃんの表情は、すごくすっきりしていた。晴れやかだった。
凜子ちゃんは、俺が凜子ちゃんを受け入れてくれると、そう確信していた。
最初は、願望だったのだろう。けど俺の心を読んだつもりの凜子ちゃんは、その願望を自分の中で現実にしてしまった。
ここで俺が凜子ちゃんを受け入れる、心の声を聞く能力も含めて凜子ちゃんを受け入れると言ってしまえば、凜子ちゃんは自分を本当に受け入れてくれるかけがえのない人間を見つけて、それはそれで1つの幸せな結末を迎えるのかもしれない。
けど。
妄想は、打ち砕かないといけないんだ。心の声が読めるなんて妄想、凜子ちゃんに肯定させてはいけないし、そのためには俺が否定しないといけないんだ。そうじゃないと、凜子ちゃんは一生妄想に囚われ続けるんだ。それに俺だって、凜子ちゃんに言わないといけないことがあるんだ。
「……違うよ」
「へ?」
「心の声が読めるなんて、嘘だよ」
「……え?」
俺がそう言った瞬間、凜子ちゃんが信じられないといった表情になる。
凜子ちゃんの中では、俺が凜子ちゃんを受け入れて、心を読む能力も含めて一生凜子ちゃんを愛するというのは既定路線だったのだ。
「何で、どうして、何で信じてくれないの?」
混乱する凜子ちゃん。凜子ちゃんの頭の中は、俺が凜子ちゃんを妄想に囚われた頭のおかしい人間だと思っているという恐怖に支配されていた。好きな人間に自分の秘密を打ち明けたら、否定されてしまった。心を読むだけじゃ、今の凜子ちゃんがどれだけ苦しいかなんてわからない。けど、俺はもっと凜子ちゃんを苦しめる。その先に凜子ちゃんの本当の幸せがあると信じて。
「心が読めるなら、じゃんけんしようよ。心が読めるなら、高確率で勝てるよね?」
「ええ」
『そうよ、心理戦なら、信也も私の能力を信じてくれる。私を受け入れてくれるようになる』
凜子ちゃんに右手を差し出すと、凜子ちゃんは嬉々としてじゃんけんに臨む。
じゃんけんで俺に勝って勝って勝ちまくれば、俺が凜子ちゃんを信じてくれる、受け入れてくれると思っているのだろう。
「じゃーんけーん、ぽん。……俺の勝ちだね」
「……次よ」
「うん。じゃーんけーん、ぽん。また俺の勝ちだ」
「……偶然よ」
「そうだね。じゃーんけーん、ぽん。3連勝だ」
けれど、何度やっても、凜子ちゃんは俺に勝つことはできない。
今まで連続でじゃんけんなんてしたことがなかったから、一度負けたくらいじゃ凜子ちゃんは自分を疑いもしなかったのだろう。
けれど、5回、10回と負け続ければ、凜子ちゃんも認めざるを得ない。自分の能力がおかしいと。
無言でじゃんけんを繰り返す凜子ちゃんは酷く怯えていた。凜子ちゃんの今の心を読むのが嫌で、じゃんけんの手だけを読む。
「これであいこすら無し、ストレートに俺の20連勝。単純計算すると、3分の1の20乗か。とんでもない偶然だね」
「……なんで。どうして。なんで? どうして勝てないの? ねえ、なんでなんでなんで?」
限界が来たのか俺に縋りついて泣きわめく凜子ちゃん。
自分は心が読める人間だというアイデンティティが、完全に崩壊した瞬間だった。
「それはね、凜子ちゃんは本当は心が読めないからだよ」
「……え?」
「凜子ちゃんは本当は心が読めない。凜子ちゃんは周りの人間は悪い人ばかりだっていう、被害妄想に囚われて、幻聴を聞いているだけなんだよ。長瀬さんは援助交際なんてしていないし佃君を金ヅル扱いしているわけでもない、田宮君は罰ゲームで告白したわけじゃないんだよ」
「嘘。嘘よ、何で信也にそんなことわかるの」
さっきのじゃんけんで薄々は理解しているはずだが、それでも認めたがらない凜子ちゃん。
自分の能力が嘘であるというインパクトで、もう1つの不審な点に気づいていないようなので、それを指摘してやる。
「仮に凜子ちゃんが心を読めないとして、じゃんけんに20連敗もするのはおかしいと思わない?」
「それは……そうよ、それでも半分くらいは勝つはずだわ。なのに」
「そうだね。偶然にしては出来過ぎている。天文学的な確率じゃあないのかもしれないけどね。何なら、後何回かじゃんけんやってみる? 結果は一緒だよ。何なら、次は毎回凜子ちゃんに勝たせてあげようか」
「……信也、じゃんけんのプロ?」
「あはは、じゃんけんのプロか。面白い事言うね。そうだね、人間相手なら、ほとんどの確率で勝てるだろうね」
じゃんけんのプロだなんて言葉を使って、薄々は感づいている癖に認めようとしない凜子ちゃん。
追い打ちをかけるように、凜子ちゃんを指差す。
「……凜子ちゃん、今日勝負下着履いてきたんだね」
「……え?」
「俺に大事な話をするのもあるし、俺が凜子ちゃんを受け入れてくれたら、そのまま俺に身体を委ねるつもりだったんだね。そんなに俺を好きでいてくれて嬉しいけど、自分は大切にしなよ」
「……何で、そんなこと」
「中学二年の10月、イライラしてた凜子ちゃんはついつい出来心で本屋で少女漫画を万引きしちゃったけど、後になって反省して漫画を戻そうとするも、店内に入った瞬間ブザーが鳴って慌てて逃げちゃって、結局レジ横の募金箱にそっとお金を入れた……か。面白いね、凜子ちゃんは」
「……! ちょ、どうしてそんな昔の話を知ってるのよ、誰にも言ったことがないのに」
凜子ちゃんの秘密を暴露しても、凜子ちゃんは認めたがらない。
俺の口から直接言わないと駄目らしい。
「そりゃ勿論……俺が……俺が……」
怖い。本当は気づいていた。俺がこれを口にすれば、どうなってしまうかを。
未来予知はできないけれど、凜子ちゃんの心を読めるから、凜子ちゃんがこの後どんな反応をするかなんて、わかっちゃうんだ。だから言いたくない。
「俺が、心を読めるからだよ。凜子ちゃんと違って、本当にね」
それでも、俺はこの事実を伝えないといけない。凜子ちゃんと同じだ。本当に好きな人だからこそ。自分の秘密を晒さないといけないんだ。
「……本当、なの?」
「うん。自然と聞こえるわけじゃないよ、心を読もうって念じた時に読めるんだ。同じクラスになった凜子ちゃんの心を読んだら、凜子ちゃんが自分には心を読む能力があるっていう妄想に囚われているって気づいてね。そんな凜子ちゃんを、救いたかったんだ。ごめんね、いつもいつも凜子ちゃんの心を読んで。俺は凜子ちゃんの心のストーカーだよ。ズルをしたのは、実は俺の方なんだ。ごめんね、幻滅した?」
凜子ちゃんにこんな自分を受け入れてくれるかと聞く勇気が出なかったけど、聞かなくて正解。
だってほら、凜子ちゃんはこんなに怯えてガタガタ震えながら俺から後ずさって、
「……そう、全部嘘だったのね。私を可哀想な女だって思って、私を救おうとして、茶番みたいな恋愛までして」
俺を蔑むような、怖がるような目で見て、
「違うよ、俺は本当に凜子ちゃんの事が」
「近寄らないで!」
「……」
「私の心を読む? 今まで気づかないうちに、私はアンタに心をずっと読まれてたってこと? ニヤニヤと私が道化となっているのを眺めながら、私を救おうだなんて自分に酔いながら私を弄んだってこと?」
「違う、俺は!」
「黙ってよ、この……この……化け物!」
「ちょっと信也、彼女さん泣きながら家を飛び出して行ったわよ!? アンタまさか、無理矢理エッチなことをしようとしたんじゃないでしょうね」
ベッドに横たわっていると、部屋に母親があがりこんでくる。
「ははは、獣と成り下がった方が、まだマシか。獣じゃない、化け物さ、俺は」
「何意味わかんないこと言ってんの、まだ間に合うかもしれないからすぐに追いかけ」
「黙れよクソババア。俺の事なんて、何1つ理解しちゃいねえ。俺は誰にも理解されねえんだよ、うっ、うう、うううあああああああああああ!」
遅れてきた反抗期なのか母親に暴言を吐くと、俺はただひたすらにベッドで泣きわめいた。




