雨降って地固まるよ凜子ちゃん!
「……」
5時間目の体育を終えて6時間目の数学の授業、教室に漂う不穏な空気。
その原因は、勿論我らが凜子ちゃんにあった。
凜子ちゃんと仲直りをしようと思っていた猫神さんを、あろうことか泥棒猫だの言ってガチビンタ。
一気に女子からのヘイトを稼いでしまった。
なんだかんだ言っても猫神さんは女子グループに仲間だって思われていたのかもしれない。
もしくは、元々気に食わなかったから、今回の事件をダシにしようとしていたのかもしれない。
『何があったかわからないけど、どうせ佐藤さんに問題があるよね。猫神さん大人しいし、悪いこととかするわけないし。女の子ビンタするとか最低』
『佐藤さんって何考えてるかわかんないし、ウチらにも被害が行く可能性あるよね』
クラスの女子の凜子ちゃんへの不信感を読み取ってただでさえ頭を悩ませる数学の授業が偏頭痛モノに。
『ぐぬぬ……小さくて愛らしい猫神殿を殴るとは、許せんでござる!』
女子だけかと思ったらあのござる口調のオタク、隠れ猫神さんファンだったのかよ。
『ふん、事情も知らない癖に私を悪者にして。あーあ、便利ですねえ弱者アピールは』
凜子ちゃんは反省の色無し。流石の俺もこれだけ敵を増やしてしまって凜子ちゃんを守りきれる気がしない。いっそのこと、凜子ちゃんには一度痛い目にあってもらうべきなのかもしれない。
ビンタされた後がまだ少し残っている猫神さんを見る。流石の猫神さんも、もう凜子ちゃんに幻滅してしまったのだろうと、心を読むのも億劫になってしまう。
「それじゃ、また明日ね」
『はーあ、また中学の時みたいになるのかしら。ま、馴れっこだし、今はこいつがいるし、平気平気』
「……うん、また明日」
放課後になって凜子ちゃんと別れる。何が平気だ、こっちの身にもなってくれよ凜子ちゃん。凜子ちゃんを悪く言われる苦しさと、凜子ちゃんを守りきれない悔しさが襲いかかるかもしれないんだぞ、流石の俺も凜子ちゃん並に病むかもしれないよ。
反対方向に去って行く凜子ちゃんを見送る。凜子ちゃんを守るためなら鬼にもなって、凛子ちゃんを敵視するクラスメイト全員の秘密を読んで脅すくらいするのが、惚れた男の仕事なのだろうかと悩んでいると、
「あ、斎藤、さん」
同じく帰ろうとしていた猫神さんと鉢合わせ。
「猫神さん、その、さっきはごめん。俺のせいで。俺がもっとよく注意しておけばよかったんだ、だから佐藤さんを憎まないでくれ」
先手を打って、俺が悪い、凛子ちゃんは悪くないという流れにしようとするが、
「違うんです、私が悪いんです。佐藤さんが私に嫉妬したんですよね? 私なんかのせいで」
『私のせいで、周りの皆が佐藤さんの事悪く言うし、何とかして誤解を解かないと……』
猫神さんも自分が悪いと言い始める。凜子ちゃんは被害妄想だが、猫神さんは加害妄想の節がある。やっぱりお似合いなのだろう。どちらにせよ、猫神さんが凜子ちゃんを完全に嫌ってはいないようで少し安心。
「いやいや、猫神さんは悪くないよ、俺が悪いんだよ」
「私が悪いんです」
二人して悪い悪いの大合唱。日本人らしい精神ともいえる。どう考えたって8割凜子ちゃんが悪いのに、当の本人は全然反省していないのがまたアレだが。
「とにかく、斎藤さんは佐藤さんを守ってあげてください。後は私がなんとかします」
「なんとかって……」
「します!」
「は、はい」
自信の無さそうな子かと思ったら、ここに来て謎の自信に満ち溢れたオーラが出てきて気圧されてしまう。凜子ちゃんといい、俺は女に尻にしかれるタイプなのだろうか。
ともあれ翌日になり、不穏な空気に悩みながらもいつも通り過ごして放課後、教室掃除のゴミ出しを凜子ちゃんと二人でする。
「そうだ、あの女の本性をばらしましょうよ、あの女を尾行するの、ボロが出るに違いないわ」
「ボロなんて出ないよ。佐藤さんが余計痛い目見るだけだよ」
「……まだあの女の肩を持つの? ごっことは言え、アンタ私の恋人でしょ?」
「そうだけどね……」
俺を菩薩か何かだと勘違いして、自らストーカーに成り果てようとする凜子ちゃん。いい加減凜子ちゃんを叱るべきなのだろうか。『そんな事言うんだったら、俺佐藤さんの事嫌いになっちゃうよ』とでも言えばいいのだろうか? ゴミ出しをして教室に二人で戻ろうとすると、
「もうさー、いっぺん佐藤さん〆ようよ」
「わかる。調子乗ってるよね」
「……」
『ふん、醜い算段ね』
教室の中から女子達のそんな会話が聞こえてきてしまい、二人して閉じたドアの前で立ち止まる。
今の凜子ちゃんが、一番醜いぜ! とまではいかないが、流石の俺も最近の凜子ちゃんの態度は目に余る。人の心に慣れていたはずの俺が、凜子ちゃんの負の面に触れすぎて愛想を尽かしてしまったのだとしたら、とんでもない悲劇だ。
「猫神さんもそう思うよね? 私達友達だもんね? 昨日叩かれたのも、佐藤さんが悪いのよね?」
女子特有の、同意を求めて結束を深める行為。猫神さんはそれに抗うことができず、凜子ちゃんから離れてしまった。
「……いえ、佐藤さんは皆さんが思ってるほど、悪い人じゃありませんよ」
けど、その日から猫神さんはずっと後悔していたらしい。その結果、堂々と凜子ちゃんの味方をした。
「……え? 何猫神さん、あの女の肩を持つわけ?」
『何で猫神さんが、あの女の味方をするの? 昨日あんなに酷いことされたのに』
「……え?」
『何であの女が、私の味方をするの?』
驚いたのは教室内の女子だけではなく、凜子ちゃんも同様に動揺する。
ずっと悪人だと勝手に心を読んだつもりで断定していた人間の自分を庇うようなセリフに、凜子ちゃんは混乱していた。
「昨日叩かれたのは、私が佐藤さんのことを裏切ったからなんです。叩かれて当然のことをしたんです、私は。だから昨日の事をダシにして、佐藤さんを責めるのはやめてください、本当に責められるべきなのは私なんです」
「……何それ?」
女子の一人が不機嫌そうな声色になる。大人しいと思っていた、自分達に反抗しないと思っていた猫神さんの反抗が気に食わないのだろう。女の友情なんてそんなものか……と少しがっかりするが、今はそれどころじゃない。
「……???」
『違う、嘘よ。だって心の中ではあの女、私を陥れようと……あれ? おかしいわ、心の声が前と違う。どうして? 私を陥れようとしてたはずじゃ』
完全に記憶が無茶苦茶になっている凜子ちゃん。気を失って倒れないように凜子ちゃんを支えていると、
「私、佐藤さんと仲直りしないといけないんです。皆が文句を言おうと、私は佐藤さんともお喋りしたいし、仲良くしたいんです。それじゃあ、今までありがとうございました」
『うん、もう決めた。今のグループも悪いわけじゃな無かったけど、それでもやっぱり話の合う友達と一緒にいた方が、絶対楽しいに決まってる』
猫神さんが、女子グループから抜けてでも凜子ちゃんと仲良くするという旨の表明を出す。
下手すれば彼女達が自分の敵になってしまうかもしれないのに、臆することなく。
今まで誰も知らなかった猫神さんの強い意志に女子は唖然としたのか一言も喋れない。
そのうち猫神さんが俺達に気づくことなく、教室を出ていってしまった。
「……」
「大丈夫? 佐藤さん」
「追わなきゃ」
「へ?」
「私、追わなきゃ。謝らなきゃ」
『私、とんでもない勘違いしてたみたい。どうして? 心が読めるのに、最近の私おかしいわ。ううん、それより早く謝らないと』
冷静になった凜子ちゃんは、そう言ってダッシュで俺の下を離れて猫神さんを追いかけていく。
凜子ちゃんが走り出す前にこっそりストラップを凜子ちゃんがいつも携帯電話を入れているポケットにねじ込むと、後は俺がいなくても大丈夫だろうと教室のドアを開く。
「カバンカバン……っと。まあ、佐藤さん確かに口は悪いけど、そこまで皆に迷惑かけてないと思うな。君達の気持ちもわかるけど、大目に見てくれないかな」
カバンを手にしながら、一応女子に牽制をしておく。俺は別にスクールカースト高い方ではないけど、やっぱり男子一人いるかいないかでは違うだろう。今頃凜子ちゃんと猫神さんは無事に仲直りしているだろうな、これで今の関係もひとまずおしまいかなと、清々しい名残惜しさと共に帰路につくのだった。
翌日。
「私最近ハムスター飼おうかと思ってるんですけど、やっぱり猫も飼ってますし危ないですよね」
「ああ、ハムスターいいわねえ……あ、おはよう」
学校へつくと、仲良さそうにお喋りをしている凜子ちゃんと猫神さん。
結局今回俺はほとんど何もしてなかったな、凜子ちゃんが猫神さんに愛されていた、ただそれだけだ。
結果的に猫神さんのクラス内での立ち位置が危うくなった気がして申し訳なく思うが、本人はそれで満足しているんだ、俺がとやかく言う事でもないのだろう。
それにしても凜子ちゃんも都合がいいって言うか、ちょろいっていうか。でも、お喋りしている凜子ちゃん幸せそうだから別にいいか。
『その、今まで悪かったわね。恋人ごっこに付き合わせて。その、私友達ができたから。この関係は無かったことにしましょ。それと、何か私アンタのことを聖者か何かだと誤解してたみたい。困るわよね、過度な期待を寄せられても。アンタも、猫神さんも、周りの連中よりはいい人だけど』
1時間目の授業中、隣の席の凜子ちゃんからメールが届く。フラれちゃったなあ。
でも、この別れは、前に進むための別れなんだ。
『これでよし。うん、もうこの男に頼らなくても大丈夫。まあ、猫神さんばかりに頼るわけにもいかないけど、猫神さんは本当に話が合うし、いい人だし。あれ? でもこの男も話が合うし、いい人だし……???』
早速俺の事を意識して混乱し始める凜子ちゃん。そう、心に余裕を持った状態で、有りのままの俺を見てくれればいい。




