ビンタしてごめんね凜子ちゃん!
「……」
「……」
凜子ちゃんをビンタしてしまった翌日、俺が教室に向かうと既に凜子ちゃんが不機嫌そうな顔で座っていた。凜子ちゃんはこちらを少し見たがすぐに目を逸らし、窓の外を見る。
昨日が昨日なだけに、挨拶もできないし、怖くて心も読めない。やっぱり駄目だよね、どんな理由があろうと女の子に手をあげるなんて。凜子ちゃんと田宮君を和解させたらきちんと改めて謝ろう。
「一体どうしたのでござるか田宮氏!? 今日は元気がないでござるな!?」
「え、ああ、うん……ちょっとね」
「悩み事ならいつでも相談しろよな。だって俺達みんな……仲間だもんげ!」
クラスの隅っこで和気藹々とオタク談義で盛り上がっている田宮君を含めたオタクグループを見る。
今のところ田宮君は昨日の件をばらすつもりはないようだ。遠藤君だったらすぐにブチギレて凜子ちゃんの悪評をばらまいたことだろう、その辺は草食系男子で助かった。
けれど田宮君が友達想いな友人に今後相談してしまう可能性は十分にある。田宮君は『どうすればいいんだろう』くらいの気持ちでも、周りの人間は『絶対に許さない!』となるだろう。オタクを敵に回すと、なんだかんだ言って怖い。さっさとケリをつけないといけないだろう。
さて、今回の問題点はまず凜子ちゃんが田宮君の告白を嘘だと思っていること。
この誤解を解き、凜子ちゃんには改めて田宮君の告白と向き合わせる必要があるのだが、激情に任せて凜子ちゃんを俺はぶってしまった。
『……アンタには私が悪人に見えたんでしょうけどね、私にはわかっちゃうんだからしょうがないじゃない』
凜子ちゃんは凜子ちゃんで俺の事を『事情も知らずに私を悪者だと思っている正義の味方気取り』と考えている。凜子ちゃんを俺が説得するのは厳しいかもしれない。となると、田宮君の方を何とか説得する必要がある。諦めずに凜子ちゃんに想いを伝えてもらうか、事情を説明して納得してもらうか……。
『告白が成功するとは思ってなかった。気持ちが伝われば、僕は皆ほど佐藤さんの事を悪くは思ってないって伝わればよかった。でも、あんなことを言われるなんて……やっぱり皆が言うとおり、佐藤さんは性格のねじ曲がりきった人なのかなぁ……』
友達と談笑しながらも田宮君の心はアンニュイ。凜子ちゃんは自分の事をあまり悪く思っていない、自分の味方になり得る貴重な人間をみすみす拒絶してしまったわけだ。
とりあえずは、どうして田宮君が凜子ちゃんに告白したのかを知ることにしよう。
残念ながら俺と田宮君には接点はないが、そこは心を読む能力。悪いとは思いつつ田宮君の脳内を探る。
『あの日、佐藤さんが猫を見つめながらすごく優しい顔になっていたのを見て、佐藤さんは根はいい人なんだって思って、ときめいちゃったけど、あれは幻想だったのかな……?』
どうやら田宮君は動物と触れ合う凜子ちゃんにきゅんときたらしい。わかるよ、その気持ち。
凜子ちゃんは恥ずかしがっているが、俺も凜子ちゃんが動物と触れ合う時に見せるあの顔を公開すれば、皆凜子ちゃんのことを大好きになると思ってるし。実はこっそり写真撮ってるんだよね。
田宮君が凜子ちゃんに幻滅しないうちに、きちんと話をしておくことにしよう。
「田宮君、少し時間いいかな」
放課後、一人で帰る田宮君の後をつけて人気が少なくなった辺りで声をかける。
「え、あの、斎藤君だよね。何か?」
「その、実は昨日たまたま見ちゃってさ」
「……! ご、ごめんなさい!」
昨日の告白劇を見ていたことを告げると何故か突然謝られる。
「いや、何で謝るのさ」
「斎藤君って佐藤さんと恋人だから、勝手に告白してきた僕の事怒ってるんですよね。知らずにすいませんでした!」
「いやいや、俺は佐藤さんと付き合ってないよ」
「そうなんですか? たまに喋ったりするところを見てたんで、てっきり……じゃあ、何で僕に昨日の話を?」
俺が思っている以上に、周りの人間は俺と凜子ちゃんをそういう関係だと思っているようだ。まんざらでもないけど、下手に本人が意識してしまった結果うまくいかないこともある。
「俺も君の言うとおりたまに席が隣だから佐藤さんと話すこともあるんだけどさ、どうも佐藤さん人間不信っぽいんだよね。だから君の告白を嘘だと思ってしまったと思うんだよね」
「なるほど……僕はどうすればいいんでしょうか。僕は佐藤さんのこと、根はいい人だと今でも思ってますけど、やっぱり誤解されたままってのは嫌なんですよね」
それとなく凜子ちゃんの被害妄想を伝えて田宮君を納得させる。とりあえずは田宮君が佐藤さんに幻滅するような危機は回避できたと思うが、同じ女を好きになった男として、誤解はやはり解いてあげたい。
「……もう一度告白してみるってのはどうだろう」
「もう一度告白、ですか? 余計に嘘だと思われるような気もしますけど……」
「あんな酷い事を言われても告白するんだったら、流石の佐藤さんも嘘じゃないってわかってくれると思うな、俺は」
「……そう、ですよね。どっちにしろ、誤解は解きたいですし。ありがとうございます、斎藤君。でもいいんですか?」
「? 何が?」
「だって斎藤君って佐藤さんの事……いや、何でもないです。それじゃ、さようなら」
最後まで言わずに田宮君は去っていく。
俺が凜子ちゃんの事を好きだってこと、ばれたのだろうか。
確かにもう一度告白だなんて、敵に塩を送るような真似を俺はしているのかもしれないけど、凜子ちゃんのためでもあるし。
それに、自信があるのかもしれない。絶対に凜子ちゃんが田宮君の気持ちをきちんと受け止めても、告白には応じないと。だとしたら俺は酷い男だよ。
翌日。
「……」
更にイライラしている凜子ちゃん。心を覗けば、
『またラブレターが下駄箱に……今度は一体誰? 横のこいつ……じゃないわよね』
再び送られたラブレターに怒り心頭。差出人は俺ではないかと疑っている。
無事に田宮君はもう一度きっちりと凜子ちゃんに気持ちを伝えようとしたようだ。
しかしまだ問題はある。
『どうせこんなの悪戯に決まってるんだから、わざわざ出向く必要ないわね。ほっときましょう、私をハメるつもりが待ちぼうけ、ざまあないわね』
凜子ちゃんが指定した場所に行こうとしないのだ。田宮君にハッパかけた手前、どうにかして凜子ちゃんを指定した場所に連れていくように誘導しないといけない。
しかし今の俺は凜子ちゃんと会話すらできそうにない。どうしたものか。
今日の掃除当番を見ると、俺と凜子ちゃんが教室掃除。となると……
「……」
「……」
じゃんけんを操作して放課後、一緒にゴミ出しをすることになった俺と凜子ちゃん。
田宮君はどうやら体育館の裏で待っているらしい。
「ちょっと、どこ行くの」
「こっちの方が近道なんだよ」
「……ふうん」
大ウソをついてゴミ袋を持ったまま、凜子ちゃんを田宮君の元へ向かわせる。
「……!」
田宮君を見つけるや否や、俺を睨み付ける凜子ちゃん。誘導されたと今頃気づいたようだ。
すぐにその場から逃げ出そうとする凜子ちゃんであったが、
「待って、佐藤さん」
意外と力強い田宮君の声に立ち止まる。
「……何よ」
「佐藤さんがどう思おうと、周りがどう思うと、僕は佐藤さんが性格のねじまがった子だなんて思ってないから。佐藤さんが猫を見てすごく優しい顔になってるのを見て、すごくいいなって思ったんだ。だからその気持ちを伝えたかった」
「……」
普段の彼からは想像もできないような態度。頼むよ凜子ちゃん、彼の気持ちを汲んでくれ!
『なるほど。罰ゲームで告白したのは事実だけど、本人もそこそこ私の外見を気に入ってたということね』
尚も罰ゲームという設定を貫き通す凜子ちゃんではあったが、彼が本当に自分に好意があるということはしっかりと伝わったようだ。
「……悪かったわね。この間はあんな事言って。でも、悪いけど私はアンタとは付き合うつもりはないわ。正直タイプじゃないし」
「うん。諦めるよ」
けれど凜子ちゃんが告白に応じるかどうかは別問題。改めてきっぱりと田宮君に断りを入れる。
好きな子の告白シーンなんて、成功しても失敗しても見るのが辛いよ。
『うん、やっぱり佐藤さんは悪い人じゃない。それがわかっただけでもよかったよ』
フラれはしたが田宮君はスッキリとした顔になり、告白劇を見ていた無粋な俺に近づくと、
「頑張ってね」
そう告げて去って行った。正直田宮君が凜子ちゃんを諦めずに友達から……とライバルになるのではないかと恐れていたが、あっさり譲られると、何だか人間としての器の差を見せつけられたような気がして辛い。
「田宮氏、何があったかは存じませんが、元気を取り戻したようでなによりですぞ!」
「まあ、ちょっとね」
「そうだ田宮! こないだ俺の家に遊びにきた時、俺の妹と会っただろ? なんかあいつお前の事気に入ったらしくてさ、メル友からでもいいから付き合ってくれねえか?」
「うん、いいよ。あの子とは話も合いそうだし」
翌日。すっかり元気を取り戻した田宮君を見て一件落着だなとほっとする。
いや、一件落着ではない。俺にはまだ仕事が残っていた。
『私が好きだなんて、物好きな人間もいるものよね……ま、私外見はそこそこだと思うけど。所詮男なんて外見でしか判断しないのかしら? どっちにしろ、私に恋人なんて無理よ。関係が深くなればなるほど、心の声を聞くのが辛くなるんだから……』
自分の被害妄想のせいで恋人も作れない凜子ちゃんの方を向くと、
「佐藤さん。この前は本当にごめん」
先日凜子ちゃんをぶってしまったことを改めて謝罪する。
「……いいわよ。アンタが私をぶった気持ちもわかるし」
「それじゃ俺が納得できない。佐藤さん、俺の頬を叩いて欲しい」
「……は?」
『うわ、こいつマゾだったんだ……』
そういう意味で言ったわけではないのだが、俺をマゾとして認識してしまった凜子ちゃん。
まあ、周りから見れば凜子ちゃんに嫌われようと被害妄想を治そうというのだからマゾなのかもしれないけど。
「こんな教室でビンタなんてできるわけないでしょ。とにかくアンタは別に悪くないんだから、この話はおしまい」
『こいつみたいな人だったら私も……いや、無理だわ。それにこいつは誰にでも優しいだけ」
俺を許した凜子ちゃんは寂しげに窓の外を眺める。少しずつ、凜子ちゃんが俺になびいているような気がした。




