金貨で得たもの
「ロナ。お前は屋敷の仕事はいいから、この人の看病を付きっきりでしてあげなさい。なにかあったらすぐに医師を呼ぶように」
「はい。……あの、旦那様。お聞きしても……」
「なにかね」
「本当にこの方が……。私にはどうしても信じられないのです」
「ああ……お前はあの時には居なかったから。私もこの目で見ていなければ同じことを言っていただろうさ」
「…………わかりました。ではこのままお目覚めになるまで様子を見ることにします」
「それがいい。礼は後からでも出来る。まずはゆっくり休んでもらってからだ。――では、まかせたよ」
一人分の足音が遠ざかり、ドアが閉まる音が聞こえた。
……それにしても頭が痛い。
ひどい頭痛だ。まるで万力で締め付けられるように鈍痛がある。
これではまるで……ああ、そうか。二日酔いだ。そういえば昨日酔いにまかせて酒を飲みまくった記憶がある。それで頭が痛いのだ。
師匠に別次元の世界に飛ばされて、それでちょっとだけ憂さ晴らしに。
……ならば。
ここはどこだ?
「――ん?」
羽毛のように軽い良く膨らんだ布団をどけ、上体を起こした。
「あれ……」
昨夜からの記憶の読み込みが追いつかない。
それは豪華、という言葉では足りなかった。きっとまだ寝惚けているのだと、何度も目を擦った。
大きくて開け放たれた窓からは朝日が差し込み、ちらほらと目に入る家具の、生クリームを絞ったような美術品とも呼べそうな装飾がそこを『金持ちの家』と認識させた。
「うわぁ……すごいなこりゃ」
右から左まで見渡すうち、彼女がそれらの雰囲気と同化していたために哲はすぐには存在に気が付かなかった。
「……あ、どうも……」
「――お、おはようございますっ……」
給仕の格好をした娘はいつ声を掛けるべきか迷っていたのか、哲が会釈をすると裏返った声を返してきた。お互いにぎこちない挨拶を交わし、哲は何となく彼女をとろくさそうな娘だと思った。
「……昨日は酒のせいで記憶がないんだ。ここはどこかな……?」
おそらく自分の立場が『お客様』であることは確からしい。苦笑いで答えを待つ。
「え……その、憶えてらっしゃらないのですか? ……どうしましょう、私の口から上手く説明できるかわかりませんが……とりあえず着替えながらでも」
そう言われて、見ればベッド横のテーブルに服が置いてあったので手を伸ばして取ろうとすると止められた。
「私がやりますから、足をベッドから下ろして座るようにしてください」
そういえば今着ている服も自分のものではなかった。着替えた憶えはない。
「本当になにも憶えてなさらないのですか?」
袖を通すのを手伝ってもらいながら哲も自信なさげに答える。
「ん……ああ。どうしてこんな状況になってるのか全然理解できないんだ。……たしか、宿の酒場で変なおっさんの愚痴に付き合った辺りまでは憶えてるんだよ…………それで……」
そう、とてつもない借金の悩みを聞かされた。
「その……変なおっさんというのは、もしかして旦那さまのことでしょうか」
「旦那さま……?」
されるがままの哲の胸元のボタンを留めていた給仕の手が止まり、彼女の顔を見る。
「……あなたさまは、このお屋敷の借金をすべて肩代わりしてくださった『魔術師さま』だと聞いておりますが……」
「え………………あ」
「……正直なところ私もその……疑うわけではありませんが……なんというか……」
「はいはい……思い出したよ。やっちまったなぁ……」
思い出した。
昨夜、字の如く酔狂で男の悩みを消し去ってやろうと金貨を大量に練成したのだ。本物のラティオ金貨を一枚だけ用意させてそれを千枚に、どころか調子に乗ってさらに千枚。
「頭が痛いのはそれか……」
馬鹿なことをしたものだ。特に負荷の大きい純金の金貨を二千枚も練成して頭痛で済んだのは高純度の魔石のおかげに違いない。
笑みを湛えた給仕が窓の外を見て言った。
「昨日は大変だったんですよ。庭に散乱した金貨を拾うのがまだ終わらなくて」
金貨一枚なら手の中で収まるが、小さな物を千枚単位でまとめて練成すると空中で花火のように飛び散る。
自分では憶えていないが、さぞや成金趣味の豪勢な花火が上がったに違いない。
くす、と静かな笑い声につられて哲も窓際に立つ。
「あれ、このお屋敷の取り立てに来ていた人達まで。待ち切れなかったんでしょうか」
窓の向こうは庭と呼ぶには広大すぎる芝の土地が広がっていた。
そこに農作業をするようにしゃがみ込んでいる姿がちらほらと。わかりやすい格好の給仕に、黒服はやはり執事だろうか? それに加えてちょっと場違いな商人風の者達がせっせと餌を探す鳩のように地面に目を凝らしていた。嬉しそうに手を掲げては恭しく袋に仕舞い込んでいる一方で、時折何事も無かったかのようにポケットに滑り込ませている給仕を見てニヤついてしまった。
「ゴールドラッシュ……ってか。ちょっと面倒なことをさせちゃって申し訳ないね」
少し考えれば楽な方法はいくらでもあったのだ。
錬金術の性質上、ある空間に収まりきらなくなるとそれ以降の練成された物は強制的に弾き出される。あの大きさの金貨ならいっぺんに百枚くらいだろうか。それなら飛び散ることなくその場にちゃりん、と落ちて回収もすぐだったろう。
「と、とんでもありません! 魔術師さまのおかげで旦那さまも、……それに私も職を失わなくて済んだのですから。本当にありがとうございます、魔術師さま」
――十億円分の金貨を無償で提供。
酔いの勢いでやった大失敗かと思いきや、彼女に感謝されて初めてこれで良かったのかもと思えた。
そのくらいたまらなく可愛らしい笑顔だったのだ。
「そういえば君さ、名前はなんていうの?」
「わ、私ですか? ……ロナといいます。魔術師さま」
「ロナ――か。俺は哲だ。魔術師さんなんてよしてくれ。まだ見習いだ」
素人に毛が生えた程度だよ、と軽く笑うとロナは不思議そうに首を傾げた。
魔術の一切無いこの世界からすれば、見習いだろうが一人前だろうが認識に大した違いはないのかもしれない。
「アキラさま、ですか。変わった響きの名前ですね」
「そう? 変かな」
「――あ、いえ、もちろん変とかそういう意味ではなくて……」
「っははは、君は面白いな」
「え? え、あの……」
「ところで。一ついいかな」
「は、はい」
「あそこの大きなお屋敷は?」
窓から見渡せる庭の向こうに一際大きな建物がある。
「あそこが本館です。ここは客人用の離れなんですよ」
「なるほどね。……あとさ、ちょっと顔を洗いたいんだけど」
触ってみると寝癖も酷かった。寝起きのだらしない姿を年かさのそう変わらない娘に晒すのもあまり気持ちの良いものではない。
「それでしたらこちらへ。……あ、その前に」
一回り小さな手のひらが額に当てられる。ひんやりと気持ちよかったがに驚いてその手を少し乱暴に払ってしまった。
「あっ……」
反射的にとはいえ、哲が謝ろうとするも給仕は笑った。
「安心しました。もう熱は下がったようですね」
「…………ああ」
この娘にはもっと大切に接しよう、とそう決めた。