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遅れてきた魔術師  作者: かがみ豆腐
第一章
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異なる世界

 冷たくも気持ちの良い風が吹いていた。

 魔術師が好む芳香の香りがする部屋の空気とは違う、いい匂いだ。大気に草の香りが満ちている。

 哲はゆっくりと目を開けた。

「さて……」

 目の前の景色は緑一色。どうやら草原のど真ん中らしい。

「……どうしよう」

 とりあえず異次元とかいう世界には無事に到着したようだ。

「……やるしかない、か」

 よし、と哲は気を改めて歩き出した。

 いの一番にやらなくてはならないことはわかっている。兎にも角にも、今夜の寝床を確保しなければ。

「安定した生活が確保できないとなにもできないからな」 

 荷物は多くない。

 旅行カバンに着替えとわずかな食糧、魔石。そして師匠に借りた一眼レフが腰に引っかかっているのみだ。

 心もとなくはあるが、魔石さえあればどこにいても金が作れる。石ころでも用意できればそれだけで金銭面での心配は無い。もっとも、この世界では金ではないかもしれないが。

「早いところ人のいるところを見つけて色々調べないと」

 しばらく草の平原を歩き続けていると、ぱっと目の前が開けた。いつの間にか小高い丘の上に来ていたことに気付く。

 見渡す眼下には町があった。

ここまで伝わってくる活気は五感のどれが感じているのだろうか。遠目に見える落ち着いた色合いの建物がとても綺麗で、哲はファインダー越しに胸の高鳴りを感じていた。

「これは……時代的には中世ってやつかな? 汽車も飛行機もなさそうだ……マスケット銃くらいなら作ってるかも」

 ふと、景色の中に緑の大地を分断する白線を見つけた。どうやら草原を行きかう人の足で作られた道のようらしい。

 軽い足取りで丘を下り、哲は町へと続くそれへと合流した。

 町までの距離はそう遠くない。

 町をぐるりと囲むように市壁があるので、おそらく町の入り口には門番がいて怪しい者が通らないか見張っているのだろう。

「どうするかな……」

 この格好で大丈夫だろうか。あの町とこの世界での服装が自分のものと大きくかけ離れていればそれだけ目立って怪しい者と判断されかねない。

遠くから来ました、で誤魔化せればいいが。いきなり殺されるということもあるまい。

 それでも万が一、という事態も考えて哲は足を止めた。地面の石ころを一つ拾い、また歩きながら胸元に手を突っ込んだ。

「肩慣らしにはちょうどいい」

 首から提げた深紅の魔石を右手に握り、左手で石ころを強く握り締める。これをやっているところをこの世界の人間に見られるのは避けたいので町に入る前にやってしまうことにした。

「……魔石さんお願いします。どうかこの未熟者に奇跡を分け与え下さいませ…………」

 思い込みかもしれないが、なぜか魔石をおだてる台詞を唱えると調子が良かったりする。

「…………っ」

 右手が熱い。魔石の熱ではなく、それから発せられる波長が温感を強く刺激する。この時は感電しているように筋肉が収縮するせいで手を離すこともできず、堪えるしかない。

 左手も同様に異常が起きている。こちらは擬似的な火傷といったものではないが、感覚がひどく鈍感になる。おかしな寝かたをして腕が痺れた時の感覚に近いだろう。それが錬金術の最中はずっと続く。

 ようやくその両手の感覚が元に戻った時が錬成終了の合図である。

「……ほう」

 魔石を首の鎖に任せ、左の手にひらにちょこんと乗っているそれに注目する。

高品位の魔石による補正なのか、完成した金塊はいつもとは比べ物にならない出来栄えだった。純度、安定した形状、変換前の石ころと比べた質量など、以前の魔石を使っていたころよりも遥かに金らしい金である。

それに全然疲れも感じない。高純度の魔石というだけでここまでロスが減るとは思いもしなかった。

 新たな感動を覚えながらも、哲は入手した金をポケットに仕舞い込んで町を目指した。これで万が一の事態が起こっても対処できるだろう。

「異世界に着いて一番にしたのが賄賂を錬成とはな……」

 一人で冗談を呟いているうちに町の入り口に到着した。

 削って整えた石を積み上げた市壁の入り口には、槍を持った兵士らしき格好の者、そして帳簿を片手に談笑している男の二人が立っていた。

 どうやら門をくぐるためには二人の承認を得る必要があるのだろう。

 深呼吸をし、哲は度胸試しに近い気持ちで二人に歩み寄った。

「やあ、お兄さん! どこから来なさった、珍しい格好だな」

「……、とても遠いところから。ここを通るにはなにか許可が必要なんですかね」

 予想していた通り、言葉は通じた。

 別の次元の異世界と言えど、こちらの常識もある程度は通用する。師匠の話では異次元の世界とはもとは同じだった世界が無数に分岐した枝なのだという。

つまり、哲の世界とこちらの世界が分岐する以前には同じ世界として存在し、その頃の名残がどちらにも残っているのだそうだ。それは言葉であったり、文化の一部に見られたりと様々な形をしている。人の手足が二本ずつ、そんな当たり前すらもっと昔の分岐に遡れば違っていたのかもしれない。

 とにかく、この世界は文明の発展の度合いさえ除くと哲の居た世界と酷似しており、わりと近い時代に分岐した兄弟のようなものなのだろう。

「許可? ――ああ、そんなものはどこも同じさ。通行料さえ貰えれば、ね」

「通行料……」

「ん? どうしたい、まさか持ち合わせがないのかい? ここは二十ガリルだよ。安いほうだと思うけどねぇ」

 なあ? と兵士と頷き合い、男は困った顔をした。

「払って貰えないと通せないんだよぉ……悪いねえ。ここの御領主様はそういうところは厳しいから」

 金はあるにはあるが、いきなり金塊を手渡すのも目立ち過ぎて好ましくない。

 迷った挙句、哲は鞄から財布を取り出した。

「これじゃあ……駄目かな」

 哲が差し出した五百円玉を見た二人の反応はそれは面白い物だった。

「なんだこりゃ……どこの金貨だ? しっかし、そのわりには混ぜ物が多そうな色だなぁ」

「いや確かにそうだけどよ、こんな美しい硬貨を俺は見たことないぞ。王国発行の金貨だってこんな良い出来じゃあない」

 ニッケル黄銅の五百円玉がどうやら二人には低純度の金貨に見えているらしい。

 この時代の技術だと硬貨とは金か銀、銅くらいでしか作られないのかもしれない。

「それで通れないかな」

「あ、ああ。構わないとも。ただ……お釣りを渡す必要があるようだ」

 と言って渡されたのは男の財布の中身全部だった。

「お、多すぎるんじゃ……」

「それくらいの価値はあるのだろう。二十ガリルは私が払っておくよ」

 通行料はまだしも、大人の財布の中身となれば少しくらい期待できそうな金額である。五百円玉ではとても釣り合うとは思えない。

 純度の低い偽造金貨はご法度だが、材質そのものではなくこの世界では不可能な加工技術にそれだけの価値があるという理由で哲は納得することにした。

 門番に礼を言い、ついでに教えてもらったのは渡された各硬貨の相場だった。

 ガリルという五百円玉ほどの大きさの銅貨が一枚で小麦のパンが一個買えるらしい。大体こちらの百円より若干高いくらいだろうか。五ガリルと十ガリルがそれぞれ銅貨で存在するようだ。

 それより一回り小さなラリオン銀貨は今の価値で五十ガリル。五千円程度だという。あとはウィンチェ金貨がこの辺りでの主要な硬貨だそうだ。信用が高く流通数が多いこれらならどこへ持って行っても通用すると言われた。もちろんただの門番が金貨を持っていることはなかったので実物を見るのはまだ先になりそうだ。

「なんとか町に入れたな……とりあえず服でも買ってみるか」

 石畳の敷かれた目抜き通りはなかなかの人通りで、遠方からの人間も多いのか行きかう人々の格好は様々だが、それでも哲の服装は浮いていた。

 物珍しそうな視線を感じつつも服屋らしき看板を置いた店を見つけ、出てきたのは哲よりも年下の丁稚だった。

「こんにちは、旦那様。どういったものをお探しでしょうか?」

 中学生の後半くらいか? こちらでは反抗期が始まって面倒臭くなる年頃のその少年からは微塵の嫌味も感じなかった。思わず哲が戸惑ってしまう。

「あー……。この町で目立たない服、というか。遠くから来て勝手がわからなくてね。適当に見繕ってほしいんだ」

「でしたら――」

「こちらなど如何でしょう」

 店の奥から出てきた年配の主人が丁稚の言葉を穏やかに遮った。やはりこちらの世界の持ち物は何かと上客に見える要素があるのだろう。

「ふむ……」

「見た目は確かに地味な物が多いですが、その分作りはしっかりしてますからね。そしてこれに合わせるならこちらの――」

「……ならそれにしようかな。いくらで?」

「上下で七十五ガリルですね」

 五十ガリルに相当するラリオン銀貨一枚と十ガリルを二枚、一ガリルを五枚出すのにかなり手間取った。

「この辺に質屋か両替をやっているところは?」

「質屋でしたら近くに知り合いがやっているところがありますよ。そこの通りを左に出てですね……」

 どうやら行けばわかるそうなので大まかにだけ道を聞き、哲が足を運ぶとそこは随分とみすぼらしい佇まいであった。

 日の当たりの良くない立地なことも相まってか、どことなく陰気で薄暗い印象を憶えながらも哲はその中へと入ってみる。

「すいませーん……」

 しばらく反応がないので哲が帰ろうとした矢先、カウンターの奥から足音がしてふりむいた。

「御用を承ります……」

 染みの多い垂れ下がった頬の店主は、いかにもといった辛気臭い風貌で哲を見ていた。

「これを買い取ってもらいたいんですが……」

 ポケットから例の金塊を取り出してカウンターの上に置くと、店主がぎょろりと目を剥いてそれを手に取った。

「………………」

 様々な角度から舐めるように観察し、手の上で投げて重さを確かめ、最後に金槌で軽く叩いてから小さく言った。

「……金ですね」

「ええ」

「……これをどこで?」

「それは言わなければ買い取ってもらえないのかな?」

「……いえ、結構です」

 おおよそ百グラムの金塊。こちらの相場的には約三十万円ほど。

 それに対して店主がカウンターに出したのは、

「……ウィンチェ金貨で三枚。いかがでしょう」

 ウィンチェ金貨はラリオン銀貨の十枚分と聞いている。つまり一枚五万円。十五万円との目利きだ。

「うーむ……」

 ほぼ半分の差額は大きいが、産出量が違えば価値も変わる。世界そのものが違うのだからあってもおかしくない誤差だ。

「じゃあ、それで」

 ぼったくられている可能性もあるが、その時は高い授業料を払ったと思えばいい。なにより、もとから労せず手にした泡銭なのだから。

 三枚の金貨を受け取り、哲は質屋を後にした。

「……軍資金はこんなもんで足りるよな。あとは適当に宿でも探して……」

 異国の町の文化はどこを回っても飽きないものだった。それは哲の知る文明の恩恵に満ちた便利な世界ではないが、どこにも不便を感じさせない人々の活気がとても気持ち良かった。

 通りに沿って立ち並ぶ露店を端から見て回り、美味そうなものがあれば飲み、食い、面白そうな道具があれば使いもしないのに買ってしまったりもした。

「だいぶ暗くなってきたな。宿を早いところ見つけないと。野宿は勘弁だ」

 幸いなことに宿屋はすぐに見つかった。三階建ての建物で、一階は酒場になっているという変わった作りだった。ちなみに二階の宿賃が三階より安いのは一階の喧騒が響いて寝不足になる客が絶えないからだそうだ。

「じゃあ三階で」

「申し訳ありません。ただいま二階の部屋しか空いてないのです」

「……じゃあそれで」

 酒場で酔いつぶれても自室までの距離が近くて良いと流行りの宿屋だったらしい。宿泊客は多く特に一階はほとんどの席が埋まっており、せっかくなので哲もカウンター席に座って度数の低い果実酒を注文していた。

 すでに隣で酔い潰れていた初老の男を気にしながら甘すぎる酒を飲み、軽く体が火照ってきたころに退散するつもりだった。

 だが。

 絡まれてしまった。

「なあ……聞いてくれ若い人よ」

 ずっとうつ伏せだったのでてっきり酔いが回って眠りこけているとばかり。

 横目に見ればむしろ酔っぱらいの赤ら顔ではなく、涙の跡が残った汚い顔だった。

「………………」

 小さな樽のコップを傾けながら哲は前を向いたまま返事をしない。酒のせいで気分はそこまで悪くもなかったので語るなら勝手にしろという態度だ。

「騙されたんだ……情けない。私の不甲斐ないせいで、代々の土地と名誉を失ってしまう……こんなバカなことがどうして。ああ、馬鹿だったんだ私は。美味い話があるからと土地を担保になんかして……あの時の私を殴り飛ばしてやりたい。農園なんて手をださなければよかったのに。おかげで何もかも失おうとしている。曾祖父の時代から続いてきた……名家だったんだ、こんな恥晒し者が自分で言うのもおかしいが……」

 果実酒のお代わりを頼み、哲は言った。

「失ってしまう、ってことはまだ手元にあるのか」

 けふ、と一息吐いて男の顔を見る。するとその言葉の意味を理解してから苦々しく語り始めた。

「明日には他人のものだ……もうどうしようもない」

「ふぅん……」

 とある考えが頭に浮かぶ。普段なら冗談ではないと一笑に付すような。

しかし、今夜ばかりは酒の酔いが回っておかしくなっていたのかもしれない。

「……いくら必要だって?」

 どうせこの世界では何をしても構わないと師匠に言われている。たとえ錬金術を駆使して世界を征服したとしても、あちらの世界から誰かがそれを止めに来たりすることはない。

「……ラティオ金貨で一千枚」

 ごとん、とカウンターの奥から主人が洗い終わって水気を拭いていたコップを落とす音が聞こえた。

「ラティオ……? ウィンチェ金貨だと何枚になる」

「それだと………………二万、だな」

 思わず哲も笑いが漏れた。

「それは……すごいな」

 五万円相当が二万枚で十億円ともなると笑うしかない規模である。

 哲の住んでいた狭い島国だと土地が馬鹿みたいな値を張るが、大陸で普通に家を建てれば十億は夢が広がる値段だ。

「――それが明日までに用意できなかったら家と財産を一切合財取られるって? 酷い話じゃないか」

「本当に……私はバカだ……」

 また辛気臭い愚痴を聞くのが嫌になり、哲はついにこれを口にした。

「なあアンタ、魔法は信じるかい?」

「……え?」

 ちょうど持って来られた果実酒を一気に空け、哲は席を立ち上がった。


 女っ気が無いのでどうもさみしい気分になります。

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