脱出劇
「……アキラ!」
「悪いな、遅くなった」
哲が戻るなり駆け寄ってきたアリスの顔にはわかりやすい安堵が浮かんでいた。やはり悪党と二人きりは心細かったのだろう。椅子に縛っておいたアシムはまだ目を覚ましてないらしい。
「用事は済んだのね?」
「ああ。もう心配はない」
魔石を取り戻したおかげで魔術も使えるようになった。これでもうかなり安泰だと言っていい。
「じゃあ早く、逃げましょう」
「いやまて」
部屋の扉から出ようとしたアリスを呼び止める。こちらではまずいのだ。
「あのおっさんが相当タフなのか――俺が戻り始めてすぐに大声が聞こえたんだ」
魔石を掴み、右手を扉にかざすと錬金術を始めた。
「…………!?」
魔術を初めて目にするアリスは説明を求めているようだったが、それを無視して哲は扉を溶かして開かないようにした。
「追っ手が来てる。それで、この奥の文字盤からも外に出られるっておっさんが漏らしていたから、そっちから逃げよう」
階下から微かに慌ただしい足音が聞こえ始めた。恐らくはパラベラの呼んだ応援か。少なくとも味方ではないのは間違いない。
「でも、逃げられるの?」
アリスはランプの光の届かない部屋の奥に歩いていく哲に問いかけた。
「……その前に邪魔者を片付けておかないといけない」
哲が向けてきたのはおそらく自分の知る銃と同じ道具なのだろうとアリスは悟った。
それが今、こちらに向けられた。
「アキラ……?」
「アリス。……すまない」
パン、と乾いた破裂音が小さな閃光と共にアリスに届いた。
「…………っ!」
ぎゅっと目を瞑っていると背後でどさりと音がし、振り向く。
「……器用な奴だ。いつからかは知らないが、縄を解いていたらしい。危なかった」
倒れたアシムにはもう目もくれず、付いて来いと言った。
「ちゃんと聞こえるか? 耳の近くを狙ったからもしかしたら鼓膜が傷ついてるかもしれない」
「え、ええ……何ともないわ」
「そうか。けど髪がちょっと焦げてるな……ごめん」
扉とは反対側の部屋の奥には大時計の機関部が剥き出しになっている。ゆっくりと回転する幾多の巨大な歯車の間を縫うようにして哲はその先の扉の前に立った。
「さて、どうかな……」
簡素な閂を外し、扉をそっと押し開けた。
「――――っ!」
ごう、と冷たい風が体を捕まえて引き摺り出そうとしたかのようだった。
「アキラっ!」
アリスの小さな手を掴み、ぎりぎりで踏ん張ることが出来た。彼女がいなければ……。
「…………、ありがとう」
気を落ち着けてから今度は姿勢を低くして扉の外を見渡してみる。
広がる景色は星も見えない漆黒。民家の明かりなども全く無く、まだ夜明けは遠い。
辛うじて見つけた外の足場には低い手すりがあるだけで、地上への階段や梯子などは一切ない。
「結構な高さだな……」
暗くて見えない地上は本当にそこにあるのかすらも疑わしいほどだった。
「これじゃ逃げられないわ……」
そしてタイミング悪く、部屋の入り口の扉を激しく叩く音が響き渡った。
「開けろっ! 逃げられると思うな!」
「ひ……っ」
怖がりなアリスに再び絶望の色が滲む。今にも泣き出しそうな顔がこちらを見た。
藁をも掴む気持ちなのだろう。藁ではないが、頼られているのが素直に嬉しかった。
「大丈夫だよ」
その頭を撫で、片腕で軽く抱きしめてやる。彼女の不安が和らげば何でもよかった。
絶対に助けるという使命感からか、不思議と一切恐怖は感じない。
「魔法使いのお兄さんに任しときな」
外側の足場に手を着き、どのような錬金術を施すかを頭に浮かべる。
すると手から伸びるその範囲が光を持ち始め、魔石がそのエネルギーを体から吸い出していく。今回は既存の物質を変化させるだけなので体力の消耗は微々たるものだ。
「まだか……相当な高さだな」
手から足場へ、足場から地上へと続く光の帯がまだ地上に届かない。
「……よし!」
ようやくすべての範囲に哲の精神力を元にした魔力が行きわたり、錬成を実行させた。
錬金術の成否を五感で感じ取ることは難しい。
物質を錬成して見た目が完璧でも、時間が経つと崩壊する、という話は珍しくもない。こればかりは勘の領域なのだ。
確かな手応えに術の完了を信じて魔石から手を離し、哲はアリスをふり返った。
「高いところは平気か?」
「…………」
芳しくない表情が返ってくる。
「手元だけを見て。落ち着いて降りればいい」
アリスのかなり無理をした頷きを褒め、二人はその梯子を下り始めたのだった。
部屋の扉は完全に接合されているのでパラベラ達が入ってくることはまず無いと考えていい。心配なのは、この文字盤から梯子を使って塔を下りている現状を発見されることである。とはいっても梯子は錬金術という反則的な方法で用意したものなのでそんな予想をされる可能性もほぼ無い。なのでかなり余裕を持って脱出できるはず……だったのだが。
「おーいアリス、もうちょっと早く降りられないかー?」
「わ、……わかってるわよーっ!」
梯子を下り始めてから五分ほど経った。先に哲が下りてそれに続く形でアリスが居るのだが、どうもペースが遅すぎる。一分で二メートルほどしか進んでいない。
そして今もなお上の部屋ではパラベラ達が扉をこじ開けようと頑張っているのだと考えると、どうも時間をかけ過ぎるのは不安に思う。扉が開かなくても木の扉なら破壊することは可能だ。
そんな心配事を忘れさせるような叫び声に近い怒声が頭上から降ってきた。
「それよりこっちを見ないでって言ってるでしょう!?」
さっき上を見てアリスがこの時代特有の珍しい下着を着用しているのが目に映り、率直な感想を述べたことが彼女のヒステリーの起因だった。
「あんなヒラヒラのスカート穿いてるほうが悪いだろうに……脱げとも言えないしなぁ」
彼女が風に煽られて落ちないことを祈りながら、何メートルか降りてはそれにアリスが追いついてくるのを待つ、を繰り返していた。
「しっかし……まだ下が見えないとは」
確か十階建ての建造物が三十メートルの高さだったか。階段を往復した際にはもっとあったかもしれない。
「まだ十メートルちょいしか下りれてないけど……大丈夫だろうな」
ふと文字盤の足場を見上げた哲の視線が凍りつく。
扉は突破されたらしい。
足場から顔を出してパラベラが下を覗いていたのだ。
「いたぞ! あそこだ!」
こんなことなら扉を鋼鉄製にでもしておくんだったと悔やみながら哲は梯子を駆け上った。
すぐにアリスと重なる位置まで来ると、自分に捕まるように言い聞かせた。
「どうするの!?」
手近に利用できる物が無いと諦め、哲は何もない中空に右手をかざして無から有への消耗の激しい錬成を開始した。
あっという間に視界を覆うほどの鮮やかなオレンジ色の物体が現出し、そのままゆっくりと下に落下していく。
「今のは……?」
「救助隊が使うやつ……と言ってもわからないか」
上を見るとパラベラの姿が消えていた。梯子を追ってこないのは懸命だ。
「先回りするつもりだろうな。このまま降りていたら間に合わない」
「ど、どうするの……?」
深呼吸を二回、三回……。
「――こうするんだよっ!」
アリスの体をしっかりと抱き、哲は塔の壁を思い切り蹴った。
「き――っきゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
救助クッションはかなり大きめに錬成したので普通に落ちれば狙いが外れることは無い、はずだ。
そう言い聞かせ、闇の底へとアリスを上にして自分は背中から落ちる体勢を取った。
「………………っ」
――まだか。
着地までの数秒が異常に長く感じる。
小さな体を強く抱き締め、ただ待った。
――バフン!
叩きつけられるような衝撃が走ったが、どうやらちゃんとクッションの上には落ちれたらしい。体にケガはない。ただ頭がくらくらとして思考がまとまらない。
「アキラ……大丈夫?」
「ああ……平気か?」
「私は大丈夫」
ここで頭の揺れが収まるまでじっとしているわけにもいかない。パラベラ達が塔を下りてくる前にここを離れなければ。
「逃げるぞ……――うおっ」
「きゃっ」
足に力が入らずにクッションから転げ落ち、その上にアリスも転がり落ちてきた。
「苦しい……どいてくれ」
「あ……ごめんなさい」
それはアリスが哲を押し倒しているように見えなくも無かった。
二人とも同じことを考え、時が止まった気さえした。
「……ケガは無い……?」
暗闇の中にあった少女のあどけない顔を、雲の切れ間から青白い月光が照らし出した。その澄んだ眼差しに高貴な血の品格を確かに感じ、見惚れてしまう。
「アキラ?」
そんな価値の計れないひと時を闇の向こうからの怒号が引き裂いた。
「明かりを持ってこい! 俺達のほうが早いはずだ、逃がすな!」
「……行こう、こっちだ」
我に返った哲はアリスをどかせて立ち上がると、その手を引きながら反対側のさらなる闇の中へと走り出した。
やっぱり主人公だけが日本名だと違和感あるなー……。




