魔石を求めて
この時計塔の一階。
そこに奪われた魔石があると情報を得た哲は、はやる気持ちを抑えつつ階下への階段を降りていく。
――簡単に取り返させてくれるものかな?
金になりそうなお宝をまとめてあるという話なら、当然だれでも手が届くような環境にはないだろう。
こちらの武器はさっきの男から鹵獲した槍一本。殺す気でかかれば一人か二人くらいなら倒せそうな気もする。
「あんまりそういうのはやりたくないんだが……」
普通の感性の持ち主ならば人を殺すという行為には気が乗らない。しかしそれこそが自分が捕まって挙句に大切な魔石を奪われた原因ともいえる。
市民を敵に回す覚悟を持たずに貴族を助けようとしたからこうなったのだ。
自分はいま片方の勢力の枠組みの中に両足とも入ってしまっている。しかもそれは確実に殺されるほうの勢力である。
相手は本気だ。本当にこちらを殺す気でいる。それに対抗するには――
「やるしかないよな、もう」
何が何でも死ぬわけにはいかないのだ。こんなところで。
帰る場所があるのだ。
哲は槍を握り締め、階段を降り続けた。
そこでふと、ある階層に来た時に声を掛けられたのである。
「ま、まってくれ」
「?」
まだ最下層には着いていない。連行された時の記憶からまだ塔の中ほどのはず。
「話だけでも聞いてくれ」
「…………」
一番手前の部屋の中からの声は捕えられた貴族らしい。扉に小窓でもあるのか、二つの目がこちらを見ているのが気配でわかる。暗いので足音だけで声を掛けたのだろう。
「……俺はあのアシムとかいう奴じゃないぞ」
「…………?」
「急いでいる。じゃあな」
「まってくれ! なら、なおさら――」
「知らん」
呼び止める声を聞かずに哲は階段を降りた。
酷だがもう同じ轍は踏まないと誓ったのだ。他人を助けている暇などない。それに一人を助ければ他に捕えられているであろう連中も黙ってはいまい。騒ぎになって魔石を取り返すどころではなくなってしまう。
――すまない。
見殺しに違いない。
だが、彼らはここで死ぬ運命だったのだ。自分がこの世界に時空転移して現れなければ結局処刑されていた。だから――
『どうして、って。そりゃ目の前で一方的に殴られてる人が居たら助けるだろう』
『……その人が殴られるだけのことをしていたかもしれなくても?』
『ん……。だとしても、だ。何もせずに見過ごすわけにはいかない』
「――っ」
そんな言い訳が通るはずはなかった。
あんなことを言っておきながら、自分はたったいま見殺しにしている。それほど安い信念だったのか。
階下を急ぐ足が止まりそうになる。そして踵を返してさっきの声を掛けられた部屋の鍵を壊しにいってしまいそうだ。
「俺は……!」
揺らぐ意思を理性でねじ伏せる。
無力さを噛み締めながらさらに階を下り続け、ついに底に辿り着いた。
「…………」
それまで明かりの無かった階段から伸びる廊下に、扉の無い部屋から漏れる光が床を照らしていた。陽気な話し声も聞こえてくる。その先は出口になっていた。
――最悪だ。
魔石があるのはあの中か。そう考えると何か手を打たなければなるまい。
まずは部屋の様子を窺おうとそっと近づくと酒の匂いが鼻を突いた。
――いっそのこと酔い潰れてしまえよ。
そんなことを思いながら部屋を覗きこみ、三人の姿を捉えた。食堂らしき造りの広間で長椅子を囲んで酒を飲んでいるようだ。そして三人とも顔が腫れ物のごとく真っ赤である。
そのうちの一人のパラベラの声が聞こえる。
「――ああ、お前らも気を付けて帰ることだ。帰りに転んで怪我でもして明日の処刑が見られないなんてことにならないようにな」
「へへ、パラベラさんこそこんなところで夜を明かすってんですから。くれぐれも貴族が逃げ出したりしないようにお願いしますよ」
「うむ。まかせておけ」
「心配ないさ。パラベラさんはライフリン格闘術の教士だぞ? 丸腰のひょろい貴族なんざ束になっても敵わないよ。ねぇ?」
「だな。――ほら、お前らの怖い女房が迎えに来ないうちに帰れ。さすがの俺でも女には勝てんぞ」
「ええ、ほんじゃ失礼します」「お疲れ様でーす」
二人が出てくるのを察して階段の影に隠れた哲は好機とばかりにほくそ笑んだ。
どうやらあのパラベラは何かしらの心得があるようだが、こちらには槍がある。一人くらいなら、それに相手はへべれけと見える。
しかしまだ押し入るような真似はしない。
あくまで目的は魔石の奪還である。あの男に仕返しをすることではない。
――魔石はどこだ……?
もう一度こっそり部屋の中を覗き込んで視線を走らせていると、部屋の隅に大きな麻の袋が積まれているのを見つけた。他にそれらしき物が見当たらないので恐らくあれが金になりそうなブツとやらなのだろう。あの中とすると探し出すのは面倒である。――と、その時。
「ぐあああ……飲み過ぎたか……」
天井を仰いで大きな欠伸をしたパラベラの首元に視線が釘付けになる。
――あんなところに!
どういうわけかパラベラの首に掛かっているペンダントこそ哲の求める魔石だった。
――どうする……。本当にやるしかないのか。
哲が覚悟を決めようと深呼吸を始めた時、眠そうな声と共にパラベラが机に突っ伏した。数秒して豚の鳴き声に似たイビキが響いてくる。
ドクン、と胸がひと際大きく脈を打った。
――今しかない……!
衣擦れの音が出ないように部屋の中へと足を踏み入れる。
パラベラは幸いにも向こう側に顔を向けて伏せている。途中で起きたとしてもこちらの槍のほうが早い。
一歩、一歩と慎重に歩を詰めていく。これだけ意識して歩いたのは就職活動での面接が終わり部屋を退室する時以来だろうか。そんなことが頭に過ぎる。
そしてこれ以上ない幸運。僥倖、とも言うべきか。
魔石がパラベラの顔とは反対、つまりこちら側の見える位置にあるのだ。これならパラベラに触れることなく魔石に手が届く。そうすればペンダントの鎖を錬金術で切り離して回収もできる。
たった数メートルの距離を亀よりも遅く進み抜き、ついに手を伸ばせば魔石に触れられるところまできた。
唾を飲む音にさえ注意しながら、哲はゆっくりと手を伸ばした。パチパチと暖炉で薪が燃える音が異常に耳触りに変わる。
指先が魔石に触れ、掴む。
と同時に糸で吊り上げられた人形のようにすっと起きたパラベラの顔がこちらを向いた。
「アシムをどうした」
酔いの醒めた双眸が分厚い瞼の隙間からこちらを見据える。
「お嬢様と遊んでるよ」
まったく動じない哲にパラベラも以外だったらしい。
「驚かないのか?」
「イビキが途中で止まってたからな」
それを聞いてくく、と笑うとパラベラはこう言った。
「それでも取りに来るとは。馬鹿なのか自信があるのか。教えてもらおうか」
椅子から立ち上がったパラベラが哲を見下ろす。
「その前に。ひとつだけあんたの言葉を聞きたい」
「ん?」
「あんたは俺を殺す気があるかい?」
妙な質問に少しだけ怪訝な表情をした後、にんまり口元を歪めた。
「もちろんだとも。俺の癪に障ることをした人間は皆死んでしまえばいい」
「そうか」
カラン、と左手に持っていた槍を床に落とした。
「?」
「それだけ聞けば十分だ」
そして右手に握り込んだ魔石にこの男への復讐心と憤りのすべてを篭めた気力の波を注ぎ込んだ。
「なっ!?」
空の左手に光と熱が宿っていく。それは次第に確かな形を持ち、ものの五秒たらずで無から有へと現出された。
「よーく聞け。俺も大っ嫌いなんだ。俺の癪に障る奴はよ」
左手に握られた銀色の拳銃。バイクと同じくして緊急時のための魔術のレシピである。
――パン、パンパンパン!
咆哮のごとく銃撃がパラベラの腹部へと撃ちこまれた。
「ぬ……う……っ」
どさりと倒れたパラベラから黄色い帰還用の魔石も取り返し、去り際にふり返る。
「弱装のゴム弾だ。死にゃあしねーよ。お前みたいなクソ野郎なんかで俺の人生に殺人なんて作ってたまるか」
そう吐き捨て、再び時計塔の頂上で待つアリスのもとへと走り出したのだった。
日にちが変わってしまった……




