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遅れてきた魔術師  作者: かがみ豆腐
第二章
10/20

悪夢の夜に

 レティクの時計塔といえば町を象徴する建造物である。

 アリシル王国の統治下になる前に建てられたそれはもとは宗教的な要素の強い存在であったが、アリシルから強制された改宗によって壁画や彫刻といった装飾は取り壊され、現在では文字通りただの時を告げるだけの塔に成り下がっている。

 その内部に前時代の名残として残る多数の倉庫。もとは儀礼に使われる道具類を補完していた場所だったが、改宗してからはからっぽの空き部屋である。

「そして今はとっ捕まえた貴族をぶち込んでおく牢獄ってわけだ。時代の移り変わりってやつは予想がつかねぇよ、な」

「…………」

 少女は何も答えない。後ろから話しかける男をふり返りもしない。ただ槍を突き付けられているので止まれと言われるまで歩くしかなかった。

「しっかし、こうやって貴族サマに軽口を叩ける日が来るのが楽しみでしょうがなかったよ。――半年だぜ? ずっと平民の俺たちは作戦会議してたってのに、お前らはまったく気付きもしなかった。そりゃそうだ、お前らはいつもいつもいつも……自分達のことばっかだ。金がなけりゃあ税を絞りゃあいい、それでも足りなかったら……また税を増やすことしか考えない。どういうオツムしてやがんだ? なあ」

 槍の穂先が軽く背中をつついた。刺さりはしないが、その鋭利な感触に体が過剰に恐怖した。

「……おっと。止まると刺さっちまうぜ」

 この男がさっきから一方的に話してくる内容はどれも初めて耳にするものばかりだった。

 ――どうして?

 自分は生まれた時から偉かった。何もしなくても困らず、好きなことばかり口に出来た。

 それは『貴族』だから。

 そういう人達以外はこの生活を支えるために懸命に働き、それが彼らにとっての幸福なのだと教えられて育った。なのに、それが間違っているかのように語るのだ。

 ――どうしたらいいの? ……私はどうなるの?

「着いたぜ、ここだ」

 とある部屋の扉の前。もう階段を幾つ上ったかはわからない。男が汚い上着のポケットから取り出した錠前は自分を閉じ込めるための物なのだろう。

「……ん、あれ。――チッ、鍵が壊れてやがる。……パラベラさんに貰って来るか。おら、行くぞ」

 再び歩かされ着いたのは塔の最上階だった。窓があればレティクの町の全容が見渡せるほどの高さがある。

 どうやらこの階層の部屋は一つだけで、時計塔の大時計の機関部をいじるための場所らしい。

 その扉の前で止まると微かに中から話し声が聞こえた。男が扉を三回叩き、呼び掛ける。

「パラベラさん、アシムです」

「どうした」

 野太い男の声が返ってきた後、足音が近づいてくるのがわかった。

 朽ちた木の扉がゆっくりと開くと体格の良い壮年の男が現れ、こちらを見て言った。

「これはこれは。お嬢様がこんなところに何の用で?」

 わざとらしさと卑しさの滲み出る笑みを強く睨み返すも、男は興味なさそうにアシムと名乗った青年に用件を問うた。

「鍵がもうないんです……最後の一個が壊れてて。どうしたらいいですか」

「そうか……一人一部屋はよくなかったな。ならばここでよかろう。――あいつは貴族でもないようだ」

 パラベラが後ろを指し示すとアシムが覗き込み、口を開いた。

「何者なんです?」

「どうやらただの通りすがりらしい。ここでなければ正義漢だったろうに。貴族を庇った奴を放っておくわけにもいかん。……それにこんなものも持っていた」

 大きな赤と黄色の宝石がそれぞれ据えられたペンダントにアシムが感嘆の声を漏らす。

「うわぁ……貴族から貰ったとか、ですかね」

「そんなところだろうな。町を立て直す資金のいい足しになる。それと――ほらアシム、駄賃だ。御苦労だったな」

「あ、すいません」

 銀貨一枚をポケットに滑り込ませるとアシムは部屋に入るように促してきた。

「それじゃあコイツ、頼みます。何か用事があればまた呼んでください、このアシム、なんでもやりますから」

 上機嫌で階段を降りて行った青年にパラベラは「現金な奴だ」と呟き、槍ではなくその大きな手のひらで背中を押してきた。

「あまりお嬢様向けのいい部屋ではないがな。明日までの辛抱だ」

 その言葉に明日になると何が起こるのか、なんとなくわかった気がした。

 後ろで扉が閉まり、ようやく緊張が解けた少女はへたりと膝を着いた。

「う、…………くっ、えぐ……っ」

 嫌だ。死にたくない。流したくない涙が余計に惨めな気持ちにさせる。

 ――だれか助けて……。


「お嬢ちゃん」


「!」

 そういえば誰かが中に居るようなのを忘れていた。

 顔を上げて薄暗い部屋の奥に目を凝らすと、椅子に座っている人の姿があった。

 いや、手と足を縄で縛られて拘束されているのだ。

「手を貸して貰えないかな。ちょっとこれを解いて欲しいんだ」

 顔の見えない暗がりの中からの声に、少女は勇気を振り絞って問いかけた。声が震える。

「……あなたはだれ?」

「俺は……そうさな。魔法使いのお兄さんさ」

「魔法使い?」

 子供だから馬鹿にされているのだろうか。魔法なんてありえないことくらい知っている。

「ああ。だから助けてくれ」

「……あなたを助けて私に何があるの?」

「ん?」

「その縄を解いて、そうしたら私をここから出してくれる? 魔法使いならできるはずよ」

「こりゃ参ったな……」

 目が慣れてくるとその青年が困ったような笑いを浮かべているのが感じ取れた。そして、

「君を慰めることなら出来るけど」

「馬鹿にしないで」

「そういうわけじゃないさ。ただ、ちょっと今は魔法が使えなくてね。だから困ってる」

「魔法が使えない魔法使いなんて、魔法使いじゃないわ」

 自分は何を真面目な顔をして言っているのか。魔法使いなんて言葉を口にすること自体が幼稚な気さえしてくる。

「……はは。それもそうだ」

 なのに、この青年は嫌みの無い素直な感想を返してきた。これまでに会ったことのない種類の人間らしい。どうも調子が狂ってしまう。

「……じゃあ、質問に答えたら解いてあげるわ」

「なんでもどうぞ」

「どうして捕まっているの? 貴族でもないようだけど」

 すると青年は逡巡する間を置いた後、やはりといったふうに答えた。

「さあね。俺はただ袋叩きにされていた人を助けようとしたらこうなったんだ。それがよくなかったらしい」

 暴徒と化した町民に襲われていた貴族。それを助けるために必要な術は持っていたが、代わりに町民を傷つけるジレンマに哲は隙を作ってしまった。背後からの一撃に気を失い、それからの記憶はこの部屋の中からになる。

「……貴族を助けようとしたの? どうして?」

 貴族は平民に疎まれる存在なのだとさっき学んだ。しかしこの青年はそれを助けようとしたらしい。

「どうして、って。そりゃ目の前で一方的に殴られてる人が居たら助けるだろう」

「……その人が殴られるだけのことをしていたかもしれなくても?」

「ん……。だとしても、だ。何もせずに見過ごすわけにはいかない」

 青年の言葉がこの不安を照らしてくれるただ一つの明かりのように思えた。この人なら助けてくれるかもしれない、と。

「じゃあ……私のことも守ってくれるの……?」

「それは君がこの縄を解いてくれたら、な」

 それを聞いた瞬間、少女はこう考えた。


 ――縄を解けば助かる。死なずに済む。


 明日になれば殺されるという死への絶望が、幼い精神に異常なまでに短絡的な思考を働かせていた。

「わかったわ……」

 少女がふらふらとおぼつかない足取りで哲に近づく。そしてその顔がはっきりと見える距離まで来たとき、哲はそれに気が付いた。

「本当に、助けてくれるのね……?」

 戦慄してしまった。

 頼られている、とかそんなものではない。自分を見るそれは明らかに常人の眼つきではなかった。

「お、お前……大丈夫か?」

「死にたくないの……お願い……助けて……ね?」

 椅子に縛り付ける縄の結び目が一つずつ解けていく。緩んだ縄が床に垂れる音を聞くたび、先ほどまでは無かった不安が募っていく。

 ――正気じゃない。

 彼女はおそらく自分が何らかの方法でここから逃がしてくれると信じ切っているのだろう。

 そんな約束をした記憶はないが、どうやら『守る』と言ったのをそう解釈してしまったのかもしれない。

 こんな状況だ。哲はまだ何とかして脱出しようと画策しているので落ち着いていられるが、一度絶望の底まで堕ちてしまった心にはもう蜘蛛の糸にでもすがり付くことしか出来ないのだ。

 最後の縄が解け、哲は椅子から立ち上がることが出来た。そしてふり向いて少女の顔を見る。

「解いたわよ……。ねぇ」

 早くそっちの約束を果たしてくれと言わんばかりに期待を篭めた視線を浴びる。今の少女には自分がちゃんと見えているのかも怪しかった。

 なるべく刺激させないよう、口調に気を付けて言う。

「……よく聞いてくれ。俺は君の味方だ。だから、君をここから出してやりたいと思う」

「ええ、だから早く」

「……それでだ。君をここから逃がそうとすると、そこのドアの鍵を何とかして開けるか、それかそこの時計の機関室から外に――」

「早くしてって言ってるでしょっ!?」

 ヒステリックな叫び声に思わず足を引いてしまった。

「……でれないの……? ……ねぇ、出れないの!?」

「いや、だから――」

「嘘つき! わたし――死にたくないからあなたを助けてあげたのに! あなたを助けたら私を助けるって言ったのに! 嘘つき嘘つき嘘つきっ!」

 手が付けられない。

 これ以上騒いでさっきの男たちが戻ってくると厄介だ。哲は少女を力づくででも取り押さえようと決めた、直後。

 再び哲の顔が青ざめた。

「おい……」

「殺されるくらいなら……こっちのほうがいいわ」

 自らの喉元に向けた短刀は護身用かそれとも自害するために懐に入れていた物なのか判別は出来ない。が、そんなことを考えている暇は無かった。

「離してよ……嘘つき!」

「馬鹿かお前は……っ」

 いくら相手が子供にしか見えない年齢の少女だとしても両手に握り締めた刃物を奪うことは容易ではない。僅かでも手が滑れば命の危険すらあり得る。

 一か八か、哲は賭けに出た。

 短刀を奪おうと少女の手を掴んでいた右手を離し、代わりに剥き出しの刃部を握り締めた。

 渾身の力を篭め、引かず押さず。ただ鋭い感触の伝わってくる刃を握ったまま動かなくした。

 それがどういう意味であるのかは錯乱した少女にも理解できたようだ。

「……できないと思ってるの? やっぱり馬鹿にしてるわね」

 鋭利な薄い刃物は擦れた時に切れ味を発揮する。握っただけでは肉は切れないが、その分少しでも刃が動けば軽傷では済まない。

「やってみな」

 もはや哲も冷静ではなかった。やれるものならやってみろ、と少女を睨み付ける。

「――――っ」

 少女が確かに刃を握り拳から抜こうと力んだ。

 いくら力が強くても指で鋼の刃は止められない。強く握るほど指の肉が深く削げる。

「…………っ」

 だが、いつまで経っても短刀は抜けなかった。少しだけ足元に血が滴っていたが、気にするほどではない。

「……う、うっ、……っく――うあぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 少女の手が短刀から離れ、涙に崩れた顔が哲を見上げたまま大泣きを始めた。

自分を傷つけようとするのを止めてくれる相手を傷つけるという行為は、もとの痛みとは比べ物にならない。

この少女にはできなかった。 

「脅かして悪かったよ。ごめんな」

 空いた左手で少女の体を寄せて胸に顔を埋めさせた。泣き声で人が集まるのを恐れたことと、もう一つはこうしてやるのが一番な気がしたからだ。

「ここから逃げる方法は必ずある。諦めるな」

「……っ、…………っ」

 鼻を啜る音の響く中、小さく頭が頷いたのが返事だった。

 右手に掴んだままの短刀をズボンのポケットに滑り込ませ、手のひらの血を拭うとその頭を抱きしめたのだった。


まだ続くよー!

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