第八話 森の騒乱(3)
第八話 森の騒乱(3)
戦魔法:「浅ましき者達への手招き」(やみのかおり) 解除
エルルゥはそう心の中でつぶやいた。
この魔法は魔物や魔獣を引き寄せる古代魔法である。
強力な使い手が使えば魔人ですらもおびき寄せるといわれていた。
エルルゥが使ったのは、出力を最低限まで抑えたここら一帯の弱い魔物を大量におびき寄せる程度の魔法だ。
本来は、戦争中の敵国の領土などに強力な魔物をおびき寄せ兵力を削るために作られた魔法だった。
魔物が脅威でなくなってからは兵士達の訓練のための討伐用の魔法となっていたのだが。
ただし、それは古代の頃の話。
今、それを行えば子供達はすぐに全滅する。
出力を最低限に抑える必要があった。
エルルゥは甲殻獣を誘き寄せてしまったことに違和感を持っている。
この地域にあまりいない甲殻獣はエルルゥが元々予定していた魔獣の強さを遥かに逸脱していた。
もちろん、一匹くらいなら可能性があるだろう。
ところが事態はその可能性を凌駕している。
現在、エルルゥの目の前には甲殻獣が十体居る。群れだ。
トニーとルクスが戦っていた甲殻獣が咆哮することで仲間を呼び寄せたのだった。
この辺りに居る甲殻獣は群れを作るほど繁殖していない。
その程度のことはエルルゥが事前に調べている。
この群れはおそらく北から移動してきたものだと予想していた。
だが、理由がわからなかった。
一体何故。
南に食料を求めてきたというのもありえない。
魔獣は魔力があれば、死ぬことはない。
植物の魔力、瘴気に包まれていない動物、人間などを食せば十分である。
北の魔の山には魔の神竜が居るので、動植物に宿る魔力が他の地域より恵まれている。
魔力に事欠くことはない。
少なくともこの村よりは快適であるはずなのだ。
理由は不明のままだった。
朝の嫌な予感はこれか、とエルルゥは心の中で愚痴る。
そして、同時に後方にも兎族の群れらしき反応が感じられた。その際、少し強力そうな魔力の存在も確認する。
女王付じゃなければいいんだけど
そう思って、回りの仲間たちに命令を与え始める。
「大人一人子供二人の三人一組になって一匹ずつ冷静に!甲殻獣は背中が重たい分、足を狙って攻撃すれば起き上がれなくなる。そうすれば簡単に勝てるわ!無理と思わないで!一人も死なせないから安心して戦いなさい!!」
この命令に従い、子供達、そして同行した大人数人は即席のパーティを組む。
いくつか子供だけのパーティがあるが、そこはエルルゥが魔法で補佐する。
十体の甲殻獣達はそれぞればらばらに動き出す。群れのリーダーらしき一回り体の大きな甲殻獣はトニーとルクスが相手をしていた。
ルクスはこの群れを見た瞬間、唐突に動きにキレを発するようになった。
まだ動きにむらがあるのは仕方ないものの甲殻獣に確実に思い一撃を加えていた。
トニーは逆に冷静になったかのようにルクスの動きを見るようになった。
その成長は戦いの中で非情に効果を発揮して、ルクスの動きを阻害せずむしろ助けるように魔法を放ち更にはルクスが見せた隙をトニーが補助した。
そして、ルクスとのコンビネーションを確立させることができたのだった。
トニーとルクスは大人達とエルルゥが発した緊張感を即座に読み取り、一瞬で遥かな成長を遂げたのである。
逆境で強い成長を遂げる。
この二人は実に素晴らしい素質を持っていた。
英雄の素質を。
子供達と甲殻獣の群れ、その衝突が始まる前に見事その時戦っていた甲殻獣をしとめたのだった。
「・・・」
「・・・」
エルルゥの前では、トニーとルクスがさっきの甲殻獣よりも遥かに強いであろう群れのリーダーが戦闘を行っている。
無駄口を叩き合っていた二人はもう居ない。
しかし、目でコンタクトを取りながら互角にリーダーと戦っている。
リーダーはその体の大きさと毛皮の硬さ、そして力の強さを除いて他の甲殻獣となんら変わりのない戦い方をしていた。
甲殻獣にも魔法を使う種類がいるのだが、この群れには見えなかった。
この群れはどうやらあまり強くないようだ。
とはいっても、エルルゥはこの群れに勝てる可能性は少ないと感じていた。
子供達は疲弊しきっている。
大人達はあまり疲れていないとはいえ、さすがに相手が悪かった。
風を感じた。
「エル」
後ろにはネオロン。ネオが立っていた。
無表情、しかしその表情には焦りが見える。
「これは、いったい」
目の前で起きている戦闘のことだろう。
エルルゥは頭を横に振る。
「見ての通り、魔獣よ。だから、援軍は無理だよ」
ネオの目がわずかに見開く。
口がこわばっている。
「後ろで沸いてるのは兎族でしょ。ネイはなんて言っていたの?女王付き?」
「うん」
硬く頷く。
状況は徐々に悪くなりつつある。
エルルゥの中にも少し焦りが生まれつつあった。
それは、エルルゥの中の本能の疼きがいよいよはちきれそうになっているというのもあった。
「ネイに言って。援軍は今は無理、時間を稼げ、そしてルゥもネイも禁止を解くって。急いで」
ネオは意味を理解していない顔をしながらも首肯する。
そして、体に魔力をまとって走り去っていた。
戦場の様子はすでにぎりぎりだった。
すでに皆体中に傷を負っていた。
甲殻獣も傷は負っているが浅いようだった。
確実に押されている。
おそらくしばらくしたら、死者が出始めるだろう。
ルクスとトニーも呼吸に乱れが目立ち始めていた。
エルルゥは、もう抑えるつもりは無かった。
欲望を発散するために、
生かすために、
殺すために、
守るために、
その楔を解き放つ。
―
後方では、ネオの話に衝撃を受けていた。
「にゃー。お姉ちゃんは兎族に気づいていたのかにゃ。道理で報告が早いわけだにゃー。」
「ど、どうしますの。このままじゃ全滅ですわよ」
「うん」
みぃちゃんはもう涙目だ。声も震えている。
それに促されてか、ネオも無表情を崩して少し顔をゆがめている。諦めかけている。
「二人共落ち着いてください。ネオさん、お姉ちゃんは禁止を解くって言ってたんですよね。
「うん」
「なら、安心ですね。言われなくても破るつもりでしたが、お姉ちゃんの許可があるなら遠慮する必要はないです。ネイ、作戦はもうあるんだよね」
「うん。お姉ちゃんの期待にも答えないといけないしね。少し本気を出しますか」
ネイはマイペースだ。そして、自分のスタイルというものを大切にする。
本気を出すとき、彼女は一切の癖を、常識を、構えを放棄するスタイルをとる。
ネイは笑って言う。
「作戦を説明するよ。ルゥレイもネオロンもミイコもゆっくり理解していってね」
彼女のその笑みは、天使の如く無邪気なものだった。