第十一話 森の騒乱(6)
第十一話 森の騒乱(6)
子供達にとって、この日が命を懸けた戦いを初めて行った日である
相手は大型の甲殻獣、鋭い牙と爪、固い甲殻を背中に纏ったこの獣は子供達には荷が重過ぎるほどの敵。
今日一日駆る立場であった子供達だが、しかしこの凶暴な獣の前では結局狩られるものに過ぎないのだった。そして、あまり戦闘経験の無い大人が加わったところで、無駄に犠牲者を増やすに過ぎなかった。
長く続くこの戦い。
それでも負傷者はおれど、死者がいない。
それは奇跡のようで、必然たる結果だ。
そう、彼女にとっては。
風が舞う。
夏を迎えつつあるこの山には、未だ落ち葉は積もっていない。
それでもわずかに落ちた新緑の葉を巻き込んで、美しく優雅にその少女は舞う。
風が剣を鋭くする。風が動きを鋭くする。風が感覚を鋭くする。
何よりも彼女の目はどこまでもどこまでも深く深く黒に近い紅の赤さを内包しながら鋭利に輝く。
子供達が彼らのリーダーたる少女の殺気のこもった魔力を感じたとき、それは致命的ともいえる隙、刹那ともいえる一瞬を生み出した。
それは甲殻獣達にとって、小さな命を刈り取るに十分な一瞬で、普通は実際にその通りになるはずだ。だが、そうなることはなかった。
もはや甲殻獣達にとって、敵は取るに足らない子供達ではなく、膨大な殺気と魔力を纏った彼女なのだから。
そして、その彼女、エルルゥ・クロノコルデンスは剣を振るう。
トニー・ケーニッヒ。
彼は、エルルゥの親友の一人。
そして、子供達の中ではエルルゥに続く強さの、その年齢に見合わない剣術と魔法の実力を持つ、若き戦士である。
エルルゥとはむらの子供達の中で、もっとも長い間付き合いがある。もちろんエルルゥの妹二人を除いてではあるが。
彼は人をよく見ている。
エルルゥが秘密を持っていることも。
その年齢に反してあまりにも不自然すぎる実力を持つことも。
大人びすぎていることも。
それでいて、彼女が村を本当に愛していることも全て見抜いている。
それでもトニーは今日この日までエルルゥの実力を理解できていなかった。
(なんだこれ・・・・)
彼女と戦って勝てるなどと、そんな傲慢な気持ちを持っていたわけではない。
(これが、俺と同じ年の、しかも女が、出せる実力だって言うのか)
彼女の実力を見くびっていたわけではない。
(なんで、こんなに・・・壁が高いんだ・・・)
突然、爪と牙の矛先を変えた敵の親玉。
理由はわかっている。わかりすぎているほどに。
それは圧力。殺気と魔力の圧力。自分では出せない濃密度の、足がすくむほどの圧力。
甲殻獣は、一撃ではその腕すらも切り落とせないだろう。
ましてやその親玉。
その固さはあまりにも無慈悲。
背中にいたっては、並みの剣では刃こぼれするほどに容赦のない固さ。
ルクスと二人掛りで互角に持ち込めても、相手に致命的な一撃を加えることはできない。
だからこその絶望的な戦い。
それが
(簡単に塗り替えるほどの、圧倒的な、強さ)
甲殻獣達はもう子供達に目を向けていない。
そして、一人の少女に敵意を向けた。
意に介さず、少女は剣を振り回す。
一つ振るたびに獣の首が飛ぶ。遅れるように血が噴出し、体が思い出したかのように倒れる。倒れる死体に草の音が鳴る頃には次の首が宙を舞っている。
エルルゥは、村の誰も到達していない風の上級魔法を身に纏っているおかげで、不可思議な動きをする。
重力からの開放。
エルルゥは、宙に浮きながら体を回転させながら、敵に突っ込む。
トニーは、この不可思議な光景を、壊れた操り人形のようだ、と夢心地に見つめる。
獣達は一瞬ずつに数を減らす。
やがて
自分達の相手をしていた甲殻獣の親玉が少女に襲い掛かる。
その鋭利にとがった爪を突っ込んでくるエルルゥに突く。
同時にエルルゥの大剣が爪に向かって薙がれる。
トニーはふとエルルゥの表情が見えた。
狂気と鬼気に満ちた表情。
思わずぞっとしながら、次に続く場面に目を奪われる。
「裂けろおおおおおおおおおおおお!!」
鋭い雄たけびを挙げて、エルルゥ。
剣が爪と衝突した鋭い響きの後に、それを裂き、背中同様に固い皮すらも裂き行き、獣の親玉が痛みに悲鳴を上げる前に剣は振りぬかれていた。
脈動する心臓も、命を支える肺も、体を支えていた背中の支柱の骨も全てを二つに裂き、剣は一つの命を終わらせた。
その身を二つに分け、大地に堕ちていく。
風の上級魔法は、その大きいだけのありふれた剣を、究極の一太刀に変える。
風は重力から開放するだけではない。
剣にかまいたちの如き鋭利さと、体を回転させることによって生じる遠心力、更には速度による力の加重、数多の力を風によって引き起こし、名工の一太刀と同様の一撃を生み出した。
だが、結局はありふれた剣。
親玉の命と共に役割を終えて、砕ける音がして、満足げに折れた。
魔法で強化されても、耐えれる衝撃を超えていたのだ。
エルルゥはそんな剣を紅に満ちた目で一瞥して投げ捨てる。
魔力を失った剣から風が名残惜しげに宙に散っていく。
(僕はあの剣が酷くうらやましい)
(多くの命を奪ったのだろうけど、それは多くの命を救うためだ)
(実際、僕達はエルルゥによって、あの剣によって、救われた)
(あの剣は結果的に壊れてしまったけれど、しかし、僕達を守れて満足してその役割を終えたんだろうな)
(敵を殺すためではなく、大切なものを守るために)
(うらやましい)
(僕もあの剣のように、人々を守るための勇者になりたい)
(この身を賭して、大切な人を守れるような、そんな勇者になりたい)
(もっと力がほしい)
それは、少年の秘めた思い。
どこかの絵本に書かれていた、御伽噺のような決意。
いつか花開くときが来るのだろうか。
閃光、衝撃、爆音。
順番にやってきたそれらは、子供達の意識をすぐさまそちらに向けた。
残りわずかになった甲殻獣の首に新しく出した双剣をめり込ませていたエルルゥも同様だった。
子供達は呆然とそこに目を向ける。
エルルゥは狂気と鬼気に満ちた感情の中で、わずかに残った理性的な部分は、この爆発に関しての推察を行っていた。
(あの方向はネオが来た方向、戦っているのね)
(しかし、あの威力の爆発は上級魔法クラス、一体誰が行ったの?)
(ネイもルゥも使えない。他の二人も同様。)
(まさか女王兎か。配下と共に?そこまでの知能があるのかしら?)
(有り得ない。たかが兎に?仮にそうだとしたら・・・)
(魔族が近づいているの?それも滅多に見れないような大物が)
(それこそ有り得ないか。こんな魔界の入り口から離れた辺境の村に来る理由がない)
(とりあえず、早く向かわないと)
嫌な予感を抑えきれないエルルゥ。
再び襲い掛かってくる甲殻獣の首を飛ばしながら、エルルゥは思考を中止した。