疾風物語
火葬だよ。ファンタジーだよ。野暮なことはナッシーだよ。
昭和20年1月、一隻の駆逐艦が横須賀にてうぶ声を上げた。
小型艦建造の中心地である舞鶴ではなく横須賀。
そして、艦の建造には、なぜか一人の空技廠技術官が関っていたという。
試製駆逐艦「疾風」物語
彼女と初めてあったのは、機関室だった。
その時、僕は帝國海軍初いや世界初(あのドイツですら実用していない)の
艦艇用噴進機関の前で資料をぶちまけ、必死に機関の調整を続けていた。
世界に先駆け試作されたこの機関は、当然の如く日本の工業力では手に余る代物だった。
いや製作できたこと自体が奇跡ともいえる存在だったともいえる。
万里の海を超えて、友邦ドイツからもたらされた噴進機関。
航空機用の発動機を艦艇用機関として用いるなんて一体誰が、こんなことを思い付いたのだろう。
おかげで空技廠の技術者だったはずの僕は、艦本付技官として疾風に乗り組むこととなったのだった。
薄暗い機関室の中、油に塗れた手で資料を捲りながら、ふと人の気配を感じた僕は後ろを向いた。
僕は、声を上げそうに為るのを必死に堪えた。そこには、僕を見つめる二つの眼があった。
訂正。僕の背中越しに資料を見つめる一人の女の子が立っていた。
「き、君は一体?」
僕は上ずる声を必死に抑えた。ここは街中ではない。
曲りなりにも帝国海軍の駆逐艦の中、年頃の娘がいて良い場所ではなかった。
瓶底眼鏡、僕の視力はお世辞とも良いとは言い難い。疲れから幻覚を見ているのか?
見間違いかと、眼鏡をいそいで拭うが、やはり目の前の女の子は消えない。
「フフフ・・・」
目の前に立つ女の子が微笑んだ。
そして、あたふたとする僕を見ながらペコリと頭を下げる。
「驚かせちゃって御免なさい!まさか私の姿が見えるとは思わなくて・・・」
彼女はそう言って、もう一度頭を下げた。
だが、僕には彼女の言っていること、そして彼女の存在している理由が分からなかった。
混乱したままの僕には、呆然と彼女を見るだけで精一杯。そんな僕を見ながら、女の子はもう一度、微笑んでみせた。
僕と疾風の初めての出会い。それは驚きと微笑みの会合だった。
それから僕は何度か彼女に出会った。場所は機関室が多かったと思う。
1度目は驚き。2度目は戸惑い。3度目の会合の時に、彼女は自分が艦魂であると名乗った。
艦魂・・・古今、東西を問わず、船乗り達の間で語り継がれる一つの伝説があるという。
船はそれぞれに人格を持ち、その船の航海の安全を司っている――。
船乗りでない僕にはよく分からなかったが、艦魂とは、そういう者らしい。
人を守る艦の化身。その証拠に、彼女はよく噴進機関の調子について助言をくれた。
その助言というのも、最初は何を言っているのかよく分からなかったが、今では僕の仕事に無くては為らぬものへと変わっていた。
今では作業の効率化にすごく役にたっている。
たとえば、
「挫いたのかな・・・なんか引っ掛る感じがする」
と、彼女が漏らせばタービンブレードがいかれていた。
「最近アザ(内出血)できちゃった・・・」
といえば、パイプ類というように僕は毎日噴進機関を直し続けていた。
そんな僕の姿を、彼女はいつも嬉しそうに見続け、「ありがとう・・・」と言ってくれた。
僕はそんな彼女の笑顔が見たくて毎日寝る間を惜しんで噴進機関の整備に没頭した。
彼女の助言と、僕の努力(理由は少し不純かもしれないが・・・)の結果、
建造当初稼働率0パーセントに限りなく近かった噴進機関は序序に稼働率を上げていった。
「今日 艦長から褒められたんだ。
最近機関の調子がいいなって。これなら使えるって!これも君の助言のお蔭だよ」
「そう・・・。よかったですね」
ある日、僕は艦長に褒められたことを疾風に伝えた。
だが、彼女は言葉では喜んでくれたが、表情を翳らせた。
「どうしたんだよ。どっか調子悪いのか?」
僕は、彼女の思いをまったく理解していなかったのだ。
静かに紡がれた彼女の言葉に、僕は凍りついた。彼女に対して、先ほど自慢げに話したことを後悔する。
「私、戦うなんて嫌だな・・・。私はただ速く走りたいだけなのに・・・」
彼女はポツリとそう漏らしたのだ。「戦うのは嫌」だと。
そう機関の問題がほぼ解決した今、劣勢に立たされている日本が彼女を遊ばせておくわけがない・・・。
僕は彼女の笑顔を見たい為に機関を直した。しかし、それは彼女を戦場に送り込むことに直結する。
戦場にでれば生還できる可能性はほとんどないだろう。
僕は其の時、はっきりと気づいたのだ。
彼女が好きだと・・・彼女を失いたくない。彼女の笑顔を失いたくない。
「・・・疾風」
僕は俯く彼女に、なんと言っていいか分からなかった。
でも、そんな僕とは裏腹に彼女は気丈だった。
「気にしないでください・・・あなたのお蔭で私は戦える。嫌だけど、今、この時も姉妹達ががんばっています。私だけ休んでいる訳にはいきませんよね?それに・・・それに私は世界最速なんですよ!敵の弾なんて当たりっこありません」
心配するなと、沈む僕に、彼女は笑顔を見せてくれた。出会った頃と変わらぬ、あの笑顔を・・・。
1945年6月 疾風の出撃が決まった。
第2艦隊。日本に残された最後の水上打撃部隊として沖縄に突入する。
それは、生還の見込みのない作戦だった。
出撃前夜、僕は艦長に呼ばれ退艦を命ざれた。
「君は降りろ。貴官の知識はまだ祖国に必要だ。俺たちの分まで日本を・・・祖国を頼む」
艦長はそう言ってくれた。
他の艦でも若年兵や傷病兵、技官は退艦を命ぜられていたのだ。
しかし、僕は疾風を下りなかった。あの日、疾風への想いに気づいた時から決めていたことだった・・・。
どこまでも疾風と共にいくと。最後のカッターを僕は、機関室の奥で見送った。
その夜、僕は最後の機関調整を行っていた。
疾風の助言のお陰で稼働率を上げているとはいえ、噴進機が気難しいのは変わりない。
僕は、背に気配を感じた。幾度もなく背に感じた暖かさ。疾風だ。
初めて出会った時と同じ。いつの間にか現れた彼女は、僕の後ろに立っている。
「なぜおりなかったんですか?死ぬかもしれないんですよ・・・」
黙っている僕に、疾風は暗く沈んで声で話しかけてきた。
「・・・好きだから。君に惚れたんだ」
僕は自分の気持ちを伝えながら、ゆっくりと疾風の方を振り返った。僕の言葉に驚いた表情を浮かべる彼女。
そんな彼女をぎこちなくを抱き寄せた。ビクリと僕の手の中で身を震わせる疾風。
乗艦してから3ヶ月。こんなに近く彼女を見たことはない。
ショートカットの髪も、気の強そうな大きな瞳も全てが近くにあった。
「馬鹿な人・・・。本当に馬鹿な人」
疾風の瞳に涙が溢れはじめていた。
彼女を泣かせたくないのに。彼女には、いつも笑っていて欲しいのに。
僕のやることは、いつも上手くいかない。
「君のことは僕が守る。機関は完璧に動かす。大丈夫 敵の弾なんて当たらない。一緒に生き残ろう。必ず・・・」
「・・・はい。必ず・・・」
僕の言葉に、疾風は涙を拭いながら微笑んだ。
あの出会った頃と同じ笑顔で・・・。
1945年4月6日夕刻 帝国海軍第2艦隊出撃。
米軍の攻撃は空から始まった。僕は機関室で、各種目盛を睨みながら噴進機を動かし続けた。
傍らには疾風がいる。初めての実戦だったが何も怖くなかった。疾風がいる、それだけで十分だった。
敵弾をかわし続ける疾風。噴進機関の叩き出す40ノットを超える速度で、右へ左へと波を切り裂き疾る。
さらには、噴進機関しかできないダッシュ力を活かし急加速、急減速とトリッキーな動きで、雲霞の如く襲い掛かる敵機を翻弄し続け、長10センチ砲に28cm対空噴進弾、命中率に難のある28mm機銃まで、全身を真っ赤に染めながら持ちうる火力の全てを敵機に叩きつけた。
「いいか!艦攻だ!艦攻を狙え!大和は爆弾では沈まん!」
艦長の檄が艦橋にとぶ。
「敵機4、距離30、方位280!高度低い!雷撃機と思われる!クソッ!あいつ等、大和を狙っている」
見張り員の悲鳴のような報告。
「機関全速!大和と敵機の間に艦をいれろ!噴進弾用意・・・撃て!」
「機関全速!」
伝声管から指令。僕は、機関室のスロットルを全開まで押し込んだ。
さっきからタービン温度が上がっているのが気になる。隣にいる疾風も汗にぬれ、必死に耐えている。
独特の高い硬質音をたて噴進機が唸りをあげる。膨大な推進力を与て、疾風は敵機の前に躍り出た。
前後部に1基ずつ装備された16連28センチ噴進砲が鎌首を上げ、轟音を発する。音と共に噴煙に染まる疾風。
放たれた32発の噴進弾。射撃電探により管制された炎の槍衾が敵編隊をとらえる。
「敵編隊全滅!」
見張り員の上げる歓喜の声。歓声が艦橋を包む。
友邦ドイツの射撃用電探をそのまま乗せている疾風は、他艦より射撃精度が高い。
「よし!いいぞ。大和にはふれさせん。次 いくぞ!」
「敵機8、距離50・・・」
疾風は大和に寄り添う様にして敵機を狩り続け、第2艦隊は傷つきながらも沖縄に向けて進み続けた。
僕はいけると思っていた。
だが、現実は甘くなかった。唐突に訪れた破局。
「機関全速」
幾度目かもわからない命令に、僕はスロットルを押し込む。
「あっ」
疾風の悲鳴が聞こえたと思ったら、僕は彼女に床に押し倒されていた。
機関室を襲う熱と衝撃。黒煙が押し寄せてくる。噴進機が爆発したのだ。
戦闘という過酷な扱いに、日本という未熟な工業国により製作された機関は耐えることはできなかった。
疾風の助言により奇跡的な高稼働率を出していた噴進機関。それは本来ありえない夢なのだ。
レシプロエンジンさえ満足に製作することのできない国で、世界初の噴進機関搭載艦が稼動しているという奇跡。
そして夢は必ず終わりを迎える。奇跡の終焉を迎えつつある機関室の中、僕は激痛の走る体を何とか立たせ疾風を探した。
「疾風・・・」
そこには両足を血まみれにした彼女が横たわっていた。
「疾風!大丈夫か!おいしっかりしろ!」
僕は、慌てて疾風を抱き起こす。
「すいません。私・・・走れなくなっちゃいました・・・」
彼女は虚ろな目で僕を見た。そして、僕を安心させる様に笑顔を浮かべた。
「ごめん。僕が・・・僕がもっと早く異常に気づいていれば・・・」
その様子に僕は、涙を堪えることができなかった。
「あなたのせいじゃない・・・」
彼女は優しかった。あの日と同じ笑顔を浮かべ僕を慰めてくれる。
疾風の両手が僕の頬を包む。
「ありがとう・・・。あなたのおかげで私はここまで走ることができ・・・・」
ガフッと咳き込み、疾風の言葉がとぎれる。
「もうしゃべるな。いいんだ。もういいんだ。疾風」
僕は、強く彼女を抱きしめた。夢の終焉。僕達の航海は終った。
彼女と最後まで逝く。僕は彼女を抱きしめる手に力を込めた。
しかし・・・疾風は抱きしめる僕を拒絶するように両手で押す。
どこに、そんな力が残っていたのか。彼女は僕の手の中から、ゆっくりと離れていった。
「ごめんなさい。最後に私の我が侭をきいてください」
僕から離れながら疾風は静かに微笑んだ。
そして、僕は彼女の両手が光始めていることに、その時、初めて気付く。
「・・・さようなら。あなたは生きて・・・」
疾風の光はドンドン強くなり、僕の体までもが光はじめていた。
「おいっ!やめろ!」
疾風は僕を逃がすつもりなのだと分かった。
「君と一緒に居たいんだ!僕は君を愛している!」
僕は、慌てて疾風の手を握ろうとした。ここで放したら二度と会えない。
彼女の笑顔が遠くなる。僕は必死に手を伸ばした。
疾風の唇が動くのが見える。彼女が残した最後の言葉。
僕の手は彼女に届かなかった。光に包まれた僕は気付いたら沈む疾風の外に放り出されていた。
あの日、僕は一人、海上を漂っていたところを米海軍の潜水艦に救助され捕虜となった。
あとで聞いた話だが、第2艦隊はいい所までいったらしい。大和を筆頭に残存艦隊は航空攻撃に耐え切り、沖縄近海で念願の艦隊決戦を行い勇戦敢闘。そして伝説を残して散っていった。世界最大最強戦艦大和。彼女にも艦魂がいたのだろうか・・・。
戦艦として最高の死に場所を得た大和。日本海軍のプライドを守る為だけに行われた菊水作戦。
疾風はどうだろうか・・・。あの日、戦うのは嫌とこぼした彼女はどうだったのだろうか。
世界初のガスタービン艦として生をうけ、短い生涯を駆けぬけた彼女。
最後は機関破損というあげない最後を迎えた疾風。僕には分からない。
彼女が幸せだったかどうかなんて・・・。
でも、これだけは胸を張っていえる。僕は彼女の笑顔をいつまでも忘れない。
エピローグ
司会者:
「疾風」については、戦後の混乱により関連資料の多くが紛失し、現在ではその存在さえ疑問視されていますが・・・。
技官 :
私個人の意見としても当時の技術力で、ガスタービン艦を建造できたかと問われたら「否」と答えるしかないですな。しかし、私は現実に彼女、いや失礼。「疾風」の機関室で勤務し、噴進機関を動かし続けた。あの独特の機関音を今でも、はっきりと覚えています。
「疾風」は確かに存在し、米国や独逸でもなく、わが国が世界に先駆けガスタービン艦を走らせたことは紛れもない事実なのです。私はその栄誉ある艦と共に戦えたことを誇りに思っています。
「NHK特集:奇跡のガスタービン艦、疾風」より