06話 mobの知らぬ間に、世界は動き出す
王都の大通りを、金属の轟音を響かせながら自動車が走り抜けていった。
わずか数年前までは馬車だけが行き交っていたこの道路も、今では様々な機械が往来する。空には、試験飛行中の飛行船がゆっくりと浮かんでいる。
シドニーは王宮の一室で、最新の発明品を前に満足げな表情を浮かべていた。
「これで、さらに通信速度が上がるはずです」
彼の前に置かれた装置から、カタカタという音とともに紙テープが伸びていく。電信機の改良版だ。
「素晴らしい」王は目を輝かせながら言った。
「君の発明のおかげで、我が国は日に日に強くなっている」
シドニーは謙遜しつつも、誇らしげな様子だった。しかし、その表情にはどこか影があった。
街に出ると、至る所で変化の波を感じることができた。
かつてエルフの魔法に頼っていた仕事の多くが、今では機械に取って代わられている。建設現場では蒸気式の巻上機が重い資材を持ち上げ、農場では耕運機が土を耕している。
そんな中、街角で目にしたのは、「人間こそ至高なり」と書かれたポスターだった。その脇には、尖った耳を持つ影が描かれ、×印が重ねられている。
シドニーは眉をひそめた。彼の発明した印刷技術が、こんな形で利用されるとは思ってもみなかった。
その日の夕刻、シドニーは王都大聖堂を訪れた。かつては国教の中心地だったこの場所も、今では新たな動きの発信源となっていた。
大聖堂の一室で、彼を待っていたのは「真理の光」を名乗る国教新宗派の指導者だった。
その男は、伝統的な聖職者の装いとは異なる、より簡素で力強い印象の衣装を身につけていた。
「シドニー様、ようこそおいでくださいました」
指導者は深々と頭を下げた。
「あなたの発明こそが、我々人間を真の救済へと導く鍵なのです」
シドニーは困惑の表情を浮かべた。
「私の発明は、人間とエルフの共存をより良いものにするためのものです。エルフへの恐れを和らげ、お互いを理解し合うためのものなのです」
「いいえ」指導者は穏やかながらも強い口調で言った。
「エルフたちは魔物なのです。人間こそが神に選ばれし唯一の存在。あなたの発明が、我々にその力を与えてくれました」
シドニーは愕然とした。
「そんな...それは完全な誤解です。私の意図とは正反対だ」
指導者は続けた。
「もはや我々は魔法に頼る必要はない。エルフたちの存在意義はなくなったのです」
シドニーは強い口調で反論した。
「とんでもない。エルフたちは我々の仲間であり、友人だ。彼らの知恵と経験は、これからも私たちにとって貴重なものです」
指導者は微笑んだが、その目は冷たかった。
「時代は変わったのです、シドニー様」
会談を終えてシドニーが大聖堂を後にする頃には、日が暮れていた。
街路には不穏な空気が漂い始めている。
「これは大変なことになる」シドニーは呟いた。
「何としても、この流れを変えなければ」
彼の心には強い危機感と、同時に何かを行動に移さねばならないという決意が芽生えていた。
シドニーは足早に王宮への道を進んだ。国王に会って事態の深刻さを訴え、対策を講じる必要があった。
暗い街路を歩きながら、シドニーは首筋に冷たいものを感じた。まるで誰かに見られているような、そんな不快な感覚だ。彼は何度か振り返ったが、人影は見当たらない。
それでも、その感覚は消えなかった。
「まさか...私まで」シドニーは思わず足を速めた。
自分の身にも危険が迫っているという予感が、彼の心を締め付けた。
王宮に到着したシドニーは、すぐに国王との謁見を求めた。しかし、待っていたのは国王ではなく、一団の兵士たちだった。
「シドニー様、お待ちしておりました」兵士長が冷たい声で言った。
次の瞬間、シドニーは兵士たちに取り囲まれていた。
彼らの手には、見覚えのある形の銃器が握られている。しかし、よく見ると、それらは明らかに改造されていた。
「これは...」シドニーは愕然とした。
彼が魔物撃退のために開発した銃器が、明らかにより殺傷能力の高いものに改良されているのだ。そして今、その銃口が自分に向けられている。
「陛下の命により、あなたを拘束させていただきます」兵士長は淡々と言った。
「陛下の…?待て!これは誤解だ!」シドニーは抵抗しようとしたが、無駄だった。
兵士たちに囲まれたまま、シドニーは王宮の地下へと連れていかれた。
そこには、すでに牢獄が用意されていた。
重い鉄格子の音とともに、シドニーは暗い牢の中に押し込められた。
「なぜだ...」シドニーは呟いた。
彼の発明が、このような形で使われることになるとは。そして、自分自身がその犠牲になるとは。
牢の中で、シドニーの心には後悔と不安が渦巻いていた。そして、エルフたちの身に何が起ころうとしているのか、恐ろしい予感が彼を襲った。
その時、廊下に足音が響いた。シドニーが顔を上げると、そこには国王の姿があった。
「陛下...」シドニーは絶望的な声で呼びかけた。
国王はシドニーを見て、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「シドニー、君には本当に申し訳ない。だが、これも時代の流れなのだ」
「時代の流れ?」シドニーは立ち上がり、鉄格子に近づいた。
「陛下、あなたはエルフとの共存を約束されたはずです」
「そうだ」国王は静かに答えた。
「だが、民意は変わった。我々はその声に耳を傾けなければならない」
シドニーは苦々しく言った。
「民意?それは、ただの口実ですか?」
国王は困惑したような表情を見せた。
「君ならいつかは分かってくれるはずだ、シドニー。国の力を高めるためには、時に難しい決断も必要なのだ」
「そのために、エルフたちを犠牲にするというのですか?」シドニーの声は怒りに震えていた。
「犠牲などと言わないでくれ」国王は頭を振った。
「彼らには去ってもらうだけだ。我が国は人間のものなのだから」
シドニーは絶望的な思いで頭を振った。
「陛下、私の発明は人々の暮らしを良くするためのものです。戦争や迫害のためではない」
「分かっている」国王は真剣な表情で言った。
「君の発明は確かに人々の暮らしを良くする。人間の暮らし…をな」
その言葉に、シドニーは全てを悟った。
彼が信じてきた国王は、結局のところ自国の利益しか考えていなかったのだ。
「陛下、お願いです」シドニーは最後の訴えを試みた。
「この道は破滅に続くだけです。エルフへの迫害は、きっと人間同士の争いにもつながる」
国王は黙ってシドニーを見つめた後、ため息をついた。
「わかってくれ、シドニー。私にも選択の余地がないんだ」
シドニーは鉄格子に体を押し付け、去っていく国王の背中を見つめた。彼の心には、自分の発明が引き起こす未来への恐れと後悔が渦巻いていた。
暗い牢の中で、シドニーは呟いた。
「どうか、この予感が外れますように...」
しかし、彼の心の奥底では、すでに最悪の結末が見えていた。
エルフへの迫害、そして人間同士の争い。
彼の発明が、皮肉にも平和を破壊する道具となってしまったのだ。