05話 mobの穏やかな日常
夏の終わりを告げる風が、村を優しく包み込んでいた。
翔太は一日の畑仕事を終え、肩の疲れを感じながらも、いつものように村はずれの小川へと足を向けた。夕陽に照らされた田畑が、黄金色に輝いている。
小川に近づくと、水辺の大きな岩に腰かけるリリアの姿が目に入った。彼女の髪が、夕暮れの光を受けてきらめいている。
「やあ、リリア」翔太は穏やかな声で呼びかけた。
リリアはゆっくりと振り返り、翔太を見つめた。その緑の瞳に、優しい光が宿っている。
「翔太...お疲れ様」
翔太はリリアの隣に腰を下ろした。
二人は無言で並んで座り、流れる水を眺めた。小川のせせらぎと、遠くで鳴く鳥の声だけが、静かな空間に響いている。
「ねえ、リリア」翔太は、ふと思い出したように言った。
「この前、村長から勇者と魔王の話を聞いたんだ」
リリアは穏やかに頷いた。
「うん...大切な...伝説」
「うん。でも、よく分からないところがあって...」
翔太は空を見上げながら続けた。
夕焼け空が、オレンジ色から紫色へと変わりつつあった。
「どうして魔王は突然現れたんだろう?それまでは平和だったのに」
リリアは少し考えてから答えた。
「そうね...本当に...突然だったって...でも、なぜ現れたのかは...よく分からない」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、魔王が何をしたかったのかとか、そういうのもよく分かってないの?」
リリアはゆっくりと答えた。
「うん...はっきりとは...人間を滅ぼそうとしたって...言われているけど...本当の目的は...分からない」
「なるほどね」翔太は空を見上げた。
「何か、人間に恨みでもあったのかな」
リリアは静かにうつむいた。
「すごく多くの人が...亡くなったって。そんな恨み...想像できない」
翔太は深く考え込んだ。
「恨みか...あるいは」
何か別の理由があったのかもしれない、とふと思ったが、その感覚がどこからきたものなのかが分からず、口にはしなかった。
リリアも何か考えているようだったが、考え込む翔太を優しい眼差しで見つめるだけだった。
二人は静かに流れる水を見つめ、遠い過去の出来事に思いを馳せた。
しばらくして、翔太は再び口を開いた。
「そういえば、勇者はどうやって魔王を倒したんだろう?魔王には、攻撃が全く通らなかったって聞いたけど」
リリアは少し遠い目をして答えた。
「伝説では...勇者は突然現れたって...言われている。そして、なぜだか分からないけど...勇者だけは魔王に攻撃を通すことができた...」
「突然現れた、か...」
翔太は勇者が魔王と同じ時代に現れたことに、何か特別な力が働いたのではないかと考えた。
「確か、人間なのに魔法が使えたんだよね。それってすごく珍しいことなんだろう?」
リリアはゆっくりと頷いた。
「そう...今でも...不思議に思われてる。人間で...魔法を使えるのは...勇者だけ」
翔太は考え深げに続けた。
「エルフの族長と力を合わせて魔王を倒したって聞いたけど、それ以上のことは分かってないの?」
「うん...」リリアは少し躊躇いがちに続けた。
「詳しいことはあまり...ただ...その時から...エルフと人間は...近くなったって」
翔太は首をかしげた。
「そう言えば、それ以前のエルフと人間の関係ってどうだったんだろう?」
リリアは少し困ったような表情を見せた。
「よく...分からない。昔の記録は...あまり残ってないから」
翔太は考え深げにうなずいた。
「そっか。勇者の力のこととか、エルフと人間の昔のこととか、まだまだ謎が多いんだね」
「うん...」リリアは静かに答えた。
「でも...その出来事が...今の平和につながってるんだと思う...だから...大事な出来事」
二人は再び会話を止め、流れる水を見つめた。過去の真実は霧の中に隠れているようだったが、その結果として今の平和な日々があることは確かだ。
「あのさ、リリア」
しばしの沈黙の後、翔太は少し躊躇いながら言った。
「ずっと聞きたいと思ってたんだけど...エルフの人たちって、どのくらい生きるの?」
リリアは少し驚いたような顔をした。
「エルフの...寿命?」
「うん」翔太は頷いた。
「なんとなく、すごく長生きなのかなって思ってたんだ」
好きな漫画ではそうだった、とは言えない。
リリアは小さく首を振った。
「そんなことは...ないよ。人間と...ほとんど同じ」
「え?」翔太は驚いて目を丸くした。
「じゃあ、100年くらい?」
「そうね...」リリアはゆっくりと説明を始めた。
「でも...少し違うところも...ある。子供の時期が...短いの。そして...大人になったら...死ぬまで...見た目は変わらない」
「へえ!」翔太は興味深そうに聞いていた。
「じゃあ、リリアはもう大人なの?」
リリアは小さく微笑んだ。「うん...そうだよ」
「すごいな」翔太は感心したように言った。
「でも、寿命が同じくらいなんて意外だったな。エルフと人間って、そんなに変わらないんだ」
リリアは静かに答えた。
「そうね...私たちは...魔法を使える。それが...違うところ」
「魔法か。それって、どんな感じなの?」
リリアは少し考えてから答えた。
「自然と...つながっている感じ。でも...特別なことじゃない。私たちの...日常の一部」
翔太は考えをめぐらした。エルフについて、魔法について、新しく知ることが、この世界の見方を少しずつ変えていくような気がする。
「へえ、俺もいつか使ってみたいな。勇者にでもなるか〜」翔太は少しおどけて言った。
リリアは目をパチクリさせて翔太のことを見つめたが、それが冗談だと知ってクスリと笑った。
「教えてくれてありがとう、リリア。色々なことが分かった気がするよ」
リリアは優しく微笑んだ。「うん...」
「そうだ、リリア」翔太は慣れない冗談でバツが悪くなったのか、話題を変えようと言った。
「この前、シドニーさんからもらった記録を読んでたんだ」
リリアは興味深そうに翔太を見た。「記録...?」
「うん」翔太は頷いた。
「シドニーさんが旅した場所のことが書いてあるんだ。色んな国や町のこと、珍しい生き物のこととか...」
「へえ...」リリアの目が少し輝いた。
「面白そう...」
翔太は続けた。
「うん、すごく面白いんだ。例えば、空に浮かぶ島のことが書いてあったんだけど、本当にあるんだろうか?」
リリアは驚いたような表情をした。
「空に浮かぶ島...?聞いたことある...でも見たことない」
「へえ、そうなんだ」翔太は興味深そうに聞いた。
「どんな風に浮いてるんだろう。魔法かな?それと、永遠に夜が続く谷のことも書いてあったんだ。想像もつかないよ」
リリアは首を傾げた。
「永遠の夜の谷...?初めて聞いた...」
「僕も初めて知ったよ」翔太は目を輝かせて言った。
「太陽が全く差し込まない場所があるなんて、ちょっと怖いよね。シドニーさんの記録を見ると、この世界には僕たちの想像を超えるような場所がありそうだ」
リリアはしばらく黙って考え込んでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「私たちの...知らない世界が...」
翔太は頷いた。
「そうなんだ。それで思ったんだけど...」
「ねえ、リリア」翔太は慎重に言葉を選びながら続けた。
「もし...遠くへ旅に出るとしたら、どこに行ってみたい?」
リリアは少し考え込むような表情をした。
「遠くへ...旅?あまり遠くには...行ったことない。でも...」
彼女は空を見上げた。
「大きな...エルフの森があるって...聞いたことがある」
「へえ、そうなんだ」翔太は興味深そうに聞いた。
「どんな森なんだろう?」
リリアは静かに答えた。
「古い木々が...たくさんあって...魔法の力が...満ちているんだって。私たちの...祖先が住んでいた場所...かもしれない」
「すごいね」翔太は目を輝かせた。
「いつか、一緒に行ってみたいな」
リリアは翔太を見つめ、小さく頷いた。「うん...いつか...」
翔太は急に真剣な表情になった。
「ねえ、リリア。約束しよう。いつか必ず、一緒にその大きなエルフの森に行こう」
その瞬間、翔太の脳裏に美咲との会話が蘇った。
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「やった!約束だよ?絶対にすっぽかさないでね!」
「ああ、約束する」
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申し訳ない気持ちがよぎったが、すぐに翔太の心に、新たな決意が芽生えた。美咲との約束は果たせなかったけれど、今度こそ、リリアとの約束は絶対に守る。
そう強く誓った。
リリアは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに柔らかな笑顔に変わった。「うん...約束...する」
二人は小指を絡ませ、約束を交わした。
夜の帳が降りてくる頃、二人はゆっくりと立ち上がった。帰り道は同じ方向だった。
「一緒に...帰ろう」リリアが優しく言った。
「うん、そうだね」翔太も嬉しそうに答えた。
空には大きな満月が輝き、銀色の光が辺りを柔らかく照らしていた。
二人は肩を寄せ合うように歩き始めた。月明かりに照らされて、二人の影が一つに重なって道に長く伸びていく。
「ねえ、リリア」翔太は月を見上げながら言った。
「これからも、ずっと一緒にいられたらいいな」
リリアはそっと翔太の手を握った。
「うん...私も...そう思う」
月の光が二人の姿を優しく包み込み、まるで二人の誓いを祝福しているかのようだった。
翔太の心には、リリアとの穏やかな時間の記憶と、未来への希望が満ちていた。
二人の間に芽生えた絆は、これからの人生を共に歩んでいく強さを感じさせるものだった。
そして、リリアの中に美咲の面影を感じながら、翔太は今度こそ必ず約束を守り、大切な人を守り抜くという固い決意を胸に刻んだ。
新しい世界で、新たな約束。翔太の人生は、確かな一歩を踏み出していた。