12話 風の精霊、気まぐれな同行者
オーガから逃げ延びてから、二日が経っていた。
翔太たちは大森林の外縁部まで戻り、そこから北へと進路を変えていた。
「あのオーガ、まだ追ってきてるかな......」
プルンが不安そうにぷるぷると震える。
「大丈夫だ。あの時、別の魔物の巣に誘い込んだからな。しばらくは俺たちどころじゃないはずだ」
翔太はそう言いながらも、心の中では悔しさを噛み締めていた。
レベル差がありすぎた。正面からでは、まったく歯が立たなかった。
「いつか、必ずリベンジしてやる」
その呟きに、ランマが肩をすくめた。
「まあ、今は逃げるが勝ちってやつだね。無理して死んだら元も子もないし」
森を抜けると、風が強い丘陵地帯が広がっていた。
草原が波のようにうねり、遠くには岩山が連なっている。
「ここを抜ければ、山岳地帯だね」
ランマが地図のようなものを宙に浮かべながら言った。
「山を越えれば、その先にエルフの大森林がある。まあ、まだまだ先は長いけど」
「エルフの…大森林…」
かつてリリアと約束した場所。それが近くにあると言う。
リリアを蘇らせるために、もっと強くならなければ。そのためには、より多くの魔物を従え、レベルを上げる必要がある。
「よし、進むか——」
その時だった。
「ねえねえ、あんた誰?」
どこからともなく、声が聞こえた。
翔太は周囲を見回したが、誰もいない。
「......気のせいか?」
「気のせいじゃないよー」
今度ははっきりと聞こえた。しかも、すぐ耳元で。
「うわっ!?」
翔太は思わず飛び退いた。
しかし、やはり誰の姿も見えない。
「あはは、驚いた驚いた!」
楽しそうな笑い声が、風に乗って響く。
「姿を見せろ!」
翔太が叫ぶと、目の前の空気がゆらりと揺れた。
そして——小さな光の粒子が集まり、形を成していく。
現れたのは、手のひらほどの大きさの少女だった。
透き通るような薄緑色の髪に、トンボのような四枚の羽根。小さな体は淡い光を放っており、まるで蛍のようだ。
「やっほー! あたし、シルフィ! 風の精霊だよ!」
少女——シルフィは、翔太の周りをくるくると飛び回った。
「精霊......?」
「そうそう! この辺りに住んでるの。で、あんた誰? 人間だよね? でも、なんか変な感じがする」
シルフィは翔太の顔をじっと覗き込んだ。
「うーん......人間なのに、魔物っぽい気配がする。不思議!」
ランマが口を挟んだ。
「あー、この子は魔王だからね。人間だけど、魔王の力を持ってるの」
「魔王!?」
シルフィの目が大きく見開かれた。
そして——
「ぶはっ! あははははは!」
腹を抱えて笑い始めた。
「ま、魔王!? この人が!? 嘘でしょ!? だって、めっちゃ弱そうじゃん!」
「......うるさいな」
翔太は顔をしかめた。
「いやいや、だってさー」
シルフィは涙を拭いながら言った。
「魔王って言ったら、もっとこう、ドーンとした威厳があって、バーンと強くて、ズゴゴゴゴって感じじゃない?」
「擬音が多すぎて何を言ってるかわからん」
「つまり、あんた弱っちいってこと!」
シルフィはけらけらと笑いながら、翔太の頭の上に乗った。
「ちょ、降りろ!」
「やーだよー。ここ、居心地いいもん」
「そこはプルンの定位置だ!」
プルンが抗議するようにぷるぷると震えた。
シルフィはプルンを見下ろし、にやりと笑った。
「あ、スライムだ。かわいー。ねえねえ、あんたも魔王の手下なの?」
プルンは警戒するように身を縮めた。
「手下じゃない。従魔だ」
翔太が訂正すると、シルフィは「ふーん」と興味なさそうに返した。
「で、魔王さんはこんなところで何してるの? 旅? 冒険? 世界征服?」
「......人を蘇らせるために、強くなろうとしてる」
「人を蘇らせる?」
シルフィは首を傾げた。
「へー、そんなことできるんだ。魔王って便利だね」
「簡単じゃないけどな」
翔太は空を見上げた。
「そのためには、もっとレベルを上げて、もっと多くの魔物を従えないといけない」
「ふうん......」
シルフィはしばらく考え込むような仕草をした。
そして、突然ぱっと顔を輝かせた。
「ねえ、あたしも一緒に行っていい?」
「は?」
「だって面白そうじゃん! 弱っちい魔王が強くなっていく話なんて、そうそう見られないよ!」
シルフィはくるくると宙を舞った。
「あたし、この辺りにずっといるんだけど、最近退屈でさー。たまには刺激が欲しいなって思ってたところなの!」
翔太は困惑した表情を浮かべた。
「いや、別にいいけど......お前を従魔にするってことか?」
「従魔? やだよそんなの」
シルフィはぷいっと顔を背けた。
「あたしは誰の下にもつかないの。自由に生きるのが精霊ってもんでしょ?」
「じゃあ、何なんだ」
「同行者! 一緒に旅するだけ。気が向いたら手伝うし、飽きたらバイバイ。それでいいでしょ?」
ランマが翔太に耳打ちした。
「精霊は魔物とはちょっと違うからねー。感情付与も効かないと思うよ。でも、味方につけておいて損はないかも。偵察とか情報収集とか、得意そうだし」
翔太は少し考えた。
確かに、空を飛べる仲間がいれば、何かと便利だろう。それに、敵ではないなら、無理に追い払う理由もない。
「......わかった。好きにしろ」
「やったー!」
シルフィは嬉しそうにくるくると回転した。
「よろしくね、魔王さん! あ、名前なんだっけ?」
「翔太だ」
「しょーた? 変な名前ー。まあいいや、しょーたって呼ぶね!」
「呼び捨てかよ......」
こうして、風の精霊シルフィが、翔太の旅の同行者に加わった。
***
丘陵地帯を進みながら、シルフィは絶えず喋り続けていた。
「ねえねえ、しょーたってどこから来たの? 人間の国? あ、でも人間の国って最近きな臭いんでしょ? エルフ狩りとかしてるって聞いたよ」
「......俺は、村から来た。エルフと人間が一緒に暮らしてた村だ」
「へー、そんな村あるんだ。珍しいね」
シルフィは興味深そうに目を輝かせた。
「で、その村はどうなったの?」
翔太は黙り込んだ。
「......襲われた。エルフ狩りの連中に」
「あー......」
シルフィの表情が少しだけ曇った。
「それで、誰か大切な人が死んじゃったんだ? だから蘇らせたいって」
「ああ」
「ふうん......」
シルフィは珍しく黙り込んだ。
しばらく無言で飛んでいたが、やがてぽつりと言った。
「あたしさ、精霊だから、人間の寿命とか関係ないんだよね。でも、たまに思うの。人間って、どうしてあんなに短い時間で色んなことするんだろうって」
「どういう意味だ?」
「だってさ、百年もしないで死んじゃうのに、愛したり憎んだり、戦ったり守ったり......すごく忙しそうじゃない?」
翔太は少し考えてから答えた。
「短いからこそ、なのかもな。時間がないから、大切なものを必死で守ろうとするし、何かを成し遂げたいと思う」
「ふーん......」
シルフィは翔太の顔をじっと見つめた。
「しょーた、あたしが思ってたより、ちょっとだけ面白いかも」
「褒めてるのか?」
「さあね」
シルフィはいたずらっぽく笑って、風に乗って先へ飛んでいった。
「ほらほら、早く来てよー! 日が暮れちゃうよー!」
翔太は小さくため息をついた。
「......騒がしいのが増えたな」
「でも、悪い子じゃなさそうだね」
ランマが言った。
「精霊って基本的に気まぐれだけど、一度気に入った相手には意外と義理堅かったりするんだよ」
「そうなのか」
「まあ、仲良くしておいて損はないってこと」
プルンが翔太の頭の上で同意するようにぷるんと揺れた。
***
夕暮れ時、一行は丘の上で野営の準備を始めた。
シルフィは周囲を偵察すると言って、どこかへ飛んでいった。
「便利だな、あいつ」
翔太は火を起こしながら呟いた。
「でしょ? 精霊は自然と繋がってるから、危険を察知する能力も高いんだよ」
ランマが言った。
しばらくして、シルフィが戻ってきた。
「ただいまー。報告があるよ」
「何かあったのか?」
「うん。北の方に、でっかい魔物がいる。岩みたいな体をした、すっごく大きいやつ」
翔太は眉をひそめた。
「岩みたいな......ロックゴーレムかな?」
ランマが記憶をたどるように言った。
「さあ? 名前は知らないけど、山を守ってるみたいだった。あの山を越えようとしたら、絶対戦うことになるね」
ランマがステータス画面のようなものを宙に浮かべた。
「ロックゴーレムかぁ......物理攻撃がほぼ通じない厄介な相手だね。でも、核を破壊すれば倒せるはず」
「核?」
「うん。ゴーレム系の魔物は、体のどこかに核があるの。それを壊せば、一発で倒せる」
シルフィが手を挙げた。
「あ、それならあたし、核の位置わかるかも。風で体の中を探れるから」
「本当か?」
「たぶんね。やってみないとわかんないけど」
翔太は考え込んだ。
オーガには逃げるしかなかったが、今度は違う。シルフィの偵察能力があれば、戦略を立てられる。
「......明日、そのロックゴーレムに挑んでみるか」
「お、やる気だね」
シルフィが嬉しそうに言った。
「あたしも手伝うよ。面白そうだし」
「頼む」
翔太は空を見上げた。
星が、一つ、また一つと輝き始めている。
「強くなるんだ。何があっても」
その決意を胸に、翔太は眠りについた。
明日は、新たな戦いが待っている。




