05話 旅の始まり、そして空腹
森の中を歩き始めて、どれくらいが経っただろうか。
翔太は、木々の間を縫うように進んでいた。頭の上には、すっかり定位置となったプルンが乗っている。
「......で、どこに向かってるの?」
ランマが、ふわふわと宙に浮きながら尋ねた。
「さあ」
「さあって......」
「とにかく、魔物がいそうな方向に進んでる。それだけだ」
「計画性ゼロじゃん」
「うるさいな。こっちは異世界サバイバル初心者なんだ」
翔太は、ため息をついた。
村での生活では、リリアや村人たちに助けられてばかりだった。農作業は教わったが、野生での生存術なんて知らない。
「ねえ、そもそもさ」
ランマが、翔太の顔を覗き込んだ。
「食料とか、どうするつもり?」
「......」
翔太の足が止まった。
「食料」
「そう、食料。人間は食べないと死ぬでしょ?」
「......」
翔太は、自分の手ぶらな状態を見下ろした。
武器もない。食料もない。水もない。
村を出る時——いや、あの惨劇の時、何も持ち出す余裕なんてなかった。
「......やばい」
「やばいね」
「お前、案内人だろ。なんとかしろよ」
「えー、私は案内人であって、サバイバルインストラクターじゃないんだけど」
ランマは、ぷいっとそっぽを向いた。
「それに、私ってか弱い乙女だから、物を運んだりできないのよね」
「使えないな......」
「ひどい! チート能力あげたのに!」
頭の上で、プルンがぷるぷると揺れた。
翔太は、周囲を見回した。森の中には、様々な植物が生えている。だが、どれが食べられるのか、まったくわからない。
「......リリアがいれば」
思わず、そう呟いていた。
リリアなら、この森のことをよく知っていた。どの実が食べられて、どの草が薬になるか。彼女と一緒なら、きっと——
「考えても仕方ないでしょ」
ランマが、静かに言った。
「今いないんだから。自分でなんとかするしかないよ」
「......ああ、わかってる」
翔太は、首を振った。
感傷に浸っている場合じゃない。まずは、生き延びることだ。
「とりあえず、水を探そう。川か、泉か......」
「お、やっと建設的な意見」
「うるさい」
翔太は、耳を澄ませた。
水の音。かすかに、どこかから聞こえる気がする。
「......あっちか」
翔太は、音のする方向に歩き始めた。
***
しばらく歩くと、小さな泉に辿り着いた。
澄んだ水が、岩の間から湧き出ている。周囲には、苔むした岩と、色とりどりの草花が広がっていた。
「よし、水は確保できた」
翔太は、泉の水を手ですくって飲んだ。冷たくて、美味しい。
「でも、食べ物がなあ......」
周囲を見回しても、食べられそうなものは見当たらない。木の実らしきものはあるが、毒があるかもしれない。
「うーん、困ったね」
ランマも、珍しく真面目な顔で考え込んでいる。
その時だった。
頭の上のプルンが、突然ぴょんと跳ねた。
「うおっ」
翔太の頭から飛び降りたプルンは、地面に着地すると、その場でぶるぶると身体を震わせ始めた。
「どうした、プルン?」
翔太が声をかけると、プルンの半透明な身体の中から、何かがぽろりと落ちてきた。
「......ん?」
それは、小さな木の実だった。
続いて、もう一つ。もう一つ。
ぽろぽろと、プルンの身体の中から木の実が転がり出てくる。
「え、なにこれ」
「あー、なるほどね」
ランマが、感心したように頷いた。
「スライムって、体内に物を溜め込めるのよ。この子、どこかで木の実を拾って、ずっと持ってたみたいね」
「マジか......」
翔太は、転がり出た木の実を見つめた。全部で七つ。小さいが、確かに食べられそうな木の実だ。
「プルン、お前......」
プルンは、得意げに(そう見えた)身体を揺らした。
翔太は、思わず笑みを浮かべた。
「ありがとう。助かった」
プルンに手を伸ばすと、嬉しそうにぴょんと跳ねて、再び翔太の頭の上に乗った。
「スライムの収納能力か......これは便利だな」
「でしょ? 最弱でも、役に立つことはあるのよ」
翔太は、木の実を一つ手に取った。
「これ、本当に食べられるのか?」
「大丈夫じゃない? プルンが持ってたってことは、この辺の森で拾ったんでしょ。毒があったら、スライムでも溶けちゃうし」
「......溶けるのか」
「たぶん」
「たぶんって......」
不安はあったが、背に腹は代えられない。翔太は、意を決して木の実を口に入れた。
「......うん、普通に美味い」
甘酸っぱい味が、口の中に広がる。空腹だったせいか、これまで食べたどんな果物よりも美味しく感じた。
翔太は、残りの木の実も食べた。七つでは足りないが、当面の空腹はしのげる。
「よし、これで少しは動ける」
「でも、長期的にはちゃんと食料調達の方法を考えないとね」
「わかってる。狩りを覚えるか、食べられる植物を見分けられるようになるか......」
翔太は、泉の水をもう一度飲んで、立ち上がった。
「とりあえず、今日はこの辺で野営しよう。暗くなる前に、寝床を作らないと」
***
日が傾き始めた頃、翔太は泉の近くに簡素な寝床を作り終えていた。
大きな木の根元に、枯れ葉と枝を集めて敷いただけの、粗末なものだ。だが、地面に直接寝るよりはマシだろう。
「はあ......」
翔太は、木の幹に背中を預けて座り込んだ。
疲れた。身体も、心も。
頭の上では、プルンがすでに眠っているようだった。スライムが眠るのかどうかはわからないが、動きが止まっている。
「お疲れ様」
ランマが、翔太の隣に降り立った。
「初日にしては、よく頑張ったんじゃない?」
「......全然だろ。従えた魔物はスライム一匹。食料は木の実七つ。先が思いやられる」
「まあまあ、焦っても仕方ないって」
ランマは、夕暮れの空を見上げた。
オレンジ色の光が、木々の間から差し込んでいる。
「ねえ、翔太」
「なんだ」
「私さ、ずっとあの白い空間にいたの。あなたが来るまで、ずーっと」
「......そうだったな」
「何年いたか、わかんないくらい。時間の感覚がなくなっちゃって......外ではちゃんと時間が経過してても、中では時間ていう概念があってないようなものだから」
ランマの声は、いつもの軽い調子とは違っていた。
「あの空間、私が作ったんだけどさ。作った本人なのに、なぜか出られなかったの。転生者が来るまで、ずっと待ってなきゃいけないみたいで」
「......」
「だから、あなたが来てくれて、正直ほっとした。これでやっと、外に出られるって」
翔太は、黙ってランマの話を聞いていた。
「この世界、私が作ったわけじゃないけど......なんか責任感じちゃうんだよね」
「責任?」
「うん。案内人として、転生者を導く役目があるから。あなたがちゃんと目的を果たせるように、見届けないといけないって思ってる」
ランマは、翔太の方を向いて、にっこりと笑った。
「だから、一緒にいる義務があるの。途中で投げ出したりしないから、安心してね」
「......そうか」
翔太は、短く答えた。
ランマの言葉の意味を、深く考える余裕はなかった。ただ、この奇妙な少女が、少なくとも敵ではないことは確かなようだ。
「ありがとう」
「ん?」
「一緒にいてくれて。一人だったら、たぶん初日で詰んでた」
「あはは、そうかもね。プルンがいなかったら、飢え死にしてたかも」
「それは言うな......」
二人は、しばらく黙って夕暮れの空を眺めていた。
***
夜が更けて、森は闇に包まれた。
翔太は、枯れ葉の寝床に横たわっていた。眠ろうとしているが、なかなか寝付けない。
頭の上では、プルンが規則正しく(?)ぷるぷると揺れている。寝息のつもりなのかもしれない。
「......美咲」
ふと、翔太の口から名前が漏れた。
目を閉じると、幼馴染の笑顔が浮かぶ。
「やった! 約束だよ? 絶対にすっぽかさないでね!」
あの日の朝、交わした約束。結局、守れなかった約束。
美咲は今、どうしているだろうか。
翔太がいなくなって、どれくらいの時間が経っているのだろうか。
泣いているだろうか。悲しんでいるだろうか。
それとも、もう前を向いて歩き始めているだろうか。
「......ごめんな」
小さく呟いて、翔太は目を開けた。
星空が見える。この世界の星座は、元の世界とは違う。でも、星の美しさは同じだった。
「リリアを取り戻したら......俺はどうなるんだろう」
魂を集めるということは、人を殺すということだ。
自分の手を汚さなくても、魔物に命じて殺させることになる。
その罪を背負って、リリアを蘇らせて。
その先に、何があるのだろう。
「考えても仕方ないか......」
今は、目の前のことに集中するしかない。
魔物を従え、力を蓄え、いつか来る日に備える。
それだけだ。
翔太は、ゆっくりと目を閉じた。
明日も、歩き続けなければならない。
少しでも眠って、体力を回復しないと。
やがて、翔太の意識は闘の中に沈んでいった―――
頭の上のプルンが、まるで子守唄のように、ぷるぷると揺れていた。




