逃げる
祐志を中心として伊槻の周りは静かだった。
一定のラインを超えて術が飛んでくることはなく、祐志が集中を始めたときには絡みつかれていた物も何時の間にか消えている。
自分の存在を忘れて集中している祐志に声をかけられるはずもなく、伊槻は魔力を溜めて備える事しかやる事がなくなってしまった。
いくら付き合いが長くても絶対に俊也では追いつけないと高をくくっていた為か、祐志のように術に任せて普段以上の能力を手に入れた為かは判らないが、伊槻はかなりのスピードを出して俊也に向かったのにいとも簡単に止められたことに驚いていた。
もっと頑張らなくてはいけないと危機感を感じている。
祐志が万が一力尽きた時を考えて身体強化を身体の隅々まで行き渡らせ、祐志同様に集中した。
祐志は外界を捨て、自分の中に意識を置いた。
伊槻は思想を捨て、周囲に意識を置いた。
伊槻の意識の置く場所の結果が、2人の命をつないだ。
僅かな僅かな音だった。
常人では聞こえないその微音――足元、機械の隙間をぬっていた1本の触手が機械に僅かにぶつかった音――が伊槻の耳に届く。
捨てた思想を拾うこともなく、直感と本能で祐志を抱き寄せ、空へと跳んだ。
ほぼ同時に突然祐志のいたところから一本の触手が生えた。
触手はその場でとぐろを巻くと、すぐに消え失せた。
「やりますね 隠蔽魔術・不可視」
俊也の冷めた声に2人の思考が正常化する。
弱点が見つけられて使い物にならない要塞の存在はただエネルギーを無駄に消費するだけのもの。
既に祐志にとって重荷でしかない。
すぐさま存在を放棄。
伊槻は俊也の声がした方へと向いた。
向いた先で見たのは突然無から現れた刃。
落ちる伊槻達より若干早く落ちる刃を避けようにも、空中では方向転換もできない。
「作成魔術・盾」
「我も参加させてもらおうか? 基本魔術・魔術破壊」
存在を完全に放棄し、破壊し終えた祐志が瞬時に作り出した盾は実体ができた瞬間にデトロイトによって色が薄くなっていき、消えるように破壊された。
同時に、破壊された反動を術者である祐志が受ける。
一時的ではあるが、今は致命的な昏睡状態。
新たな盾は作られることもなく・・・・刃が、迫る。
祐志を守るように刃に自分の背を向け、目を閉じる。
身体強化を限界まで高めて、少しでも刃を拒んだ。
「基本魔術・魔術破壊」
使わなくなった視覚と使いたくない触覚に使っていた身体強化が自動的に聴覚と嗅覚にまわされ、更に鋭くなった聴覚は神が裏切る、決定的な声を拾った。
その声は、大切な人の声でもある。
そっと目を開けて背のほうを見れば刃は消えている。
着地をすれば、目の前に立つ詩音の顔がしっかりと見えた。
祐志をそっとその場に下ろし、俊也を探す。
どこにいるかはすぐにわかった。
彰との術による攻防が繰り広げられていた。
「俊也の意識を戻すか無くせば大丈夫だ。デトロイトを潰すぞ」
「・・・」
伊槻は詩音の言葉を聞いていなかった。
ただ、俊也と彰の攻防を見ていた。
術にかかった俊也の目はいつもと違っていた。
落ち着いて周りを見ている目でもない。
いつもの人を嘲笑う目でもない。
冷酷な色を秘めながらも、楽しそうだった。
「魔王の本質は悪だ。7部族のうちの3部族・・・死族・魔族・戦族の本質が悪なんだ。我が娘が死神なのはわかるだろう?じゃあ、君と彼はどうだか知っているか?」
口角を上げながら伊槻に問うデトロイト。
その先の話を知っている詩音が眉を顰めた。
「光が二つ名に入っていようとと本質は悪。そして君は光を脅かす最恐戦士・・・私の、味方だ」
伊槻に向かって差し出された腕。
その腕に細い何かが絡みついた。
「かかったな・・・行け!伊槻!詩音!」
昏睡状態から復活した祐志の作ったワイヤーが複雑に絡んでいる。
作られた好機を逃すわけにはいかない。
俊也の目に感じた不快な感覚を捨てて集中する。
伊槻は溜めていた身体強化を爆発させ、詩音は魔神の力を解き放った。
神速の域を超えて迫る伊槻の手に祐志が作った幅広の剣が握られ、爆砕の嵐を引き連れる。
詩音は溢れ出した魔力と体内を駆ける魔力を集め、破滅の力を集める。
2つがデトロイトに命中したのは刹那を更に分けるほどの時間も経っていなかった。
「連携術・存在破壊」
技の余韻に混じるかのように2人の声が静かに響く。
デトロイトがいた場所には何もない。
血の一滴も落ちていないそこには荒々しい傷が残されているだけだ。
「ハズレ、だ」
デトロイトは生きていた。
既に祐志の背を襲っていた。
伊槻の後ろ、祐志の血溜まりの上に立って右手に血塗れた死を引き連れていた伊槻に襲い掛かる。
逆手に持った短剣を振り下ろした。
「あぶねぇ!!」
詩音が咄嗟に伊槻を引っ張って遠ざけるも、刃は伊槻の左頬を掠めた。
赤い血が傷から出てくる。
「秘術・幻想世界」
デトロイトの術にかからぬように詩音と伊槻は共に退避する。
だが、秘術は遠くに逃げた一人を捕らえた。
「・・・おい!しっかりしろ!!」
突然自分の腹部を斬ると、ふらふらとした足取りで歩き始めた。
斬った傷を手で覆いながら歩く。
手はすぐに血で染まり、垂れる血が地面を赤く彩っていく。
重傷となった伊槻はそれでも歩いている。
「おい!」
「既に声かけは無駄だ。意識はあるが、幻想の世界にある・・・そして、それは私の夢の始まりだ」
デトロイトの笑いと同時に俊也と彰の攻防が崩れた。
先ほどまでの術の均衡が俊也によって俊也の有利に傾く。
焦った彰が術を更に大きく展開して逆転させた。
だが、そこがデトロイトの狙いだった。
相殺されなかった術に使われた魔力が突然に消滅。
そして地面に垂れた血が、ありえないことに紫に光った。
「ずっと、待っていた・・・世の破滅が!!」
「・・・っ!」
高揚した声で腹を斬った伊槻に気を取られていた詩音が我に返る。
デトロイトの野望を、止めなければ。
その為に、逃げなければ。
でも、一人でも多く助けなければ。
伊槻を右手で抱え、彰のほうへ飛ぶ。
彰を開いている左手で掴み、縺れる様に俊也へと突っ込んで運良く口元にきた俊也の衣服を噛む。
後は、梓と海人と祐志だ。
突っ込んだときに方向感覚を無くした詩音は目を動かして探す。
梓、海人・・・祐志は?
数十歩離れたところで意識を無くした梓と海人がいる。
視線を更にずらして祐志を探し、デトロイトと目が合った。
これ以上は、破滅を招く・・・!
予断を許すことができない事態に詩音は苦渋の決断をする。
これ以上の移動は不可能。
3人を見捨てて3人を助けるか、全員で死ぬか。
――――――くっ・・・そがあぁぁ!
悲痛の叫びが声にならずに溢れ出る。
魔力を全開で放出し、詩音は別世界への扉を開く。
絶縁空間を目の前に呼び出して穴を開けると、転がるように飛び込んだ。
行き先は、無力世界、詩音たちの元の世界。
大事な幼馴染を守るために、大事な幼馴染を切り捨てた。
デトロイトに、殺される運命にしてしまった。
運命なんて、大っ嫌いだ。
苦しいことばかりが待っている。