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35.城下町

「へえ……! 初めて見る食べ物がたくさんある! あれはなに? こっちの緑のものは? どんな味がするの?」


 矢継ぎ早に質問をするナディアに、一つ一つ丁寧に答えていくイノセント。思ったよりも細かい情報に、「忘れる前にメモを取らないと」と慌てていたら、イノセントがそれを制した。


「帰ったらもう一度説明してあげる。今は紙とインクより現物を楽しみなよ、森にはないものばかり揃ってるんだから。……ほら、この果物ちょっと食べてみて」


 口に突っ込まれた果物を慌てて手で押さえながらかじってみると、想像を絶する甘みが舌の上に広がり、ナディアは驚きに目を見開いた。


「ん……!? なんだこれ、城で出るお菓子並に甘いぞ!」


「でしょ? 日の光をたっぷり浴びせて育てるのがポイントなんだって。こういうのは情報として知るよりも、実際に経験してみた方が良いからね」


「森では私もそれなりにこだわって食を改善していたつもりだったけど、やっぱり町には敵わないな」


「土地も広いし、一人で全部をこなす必要がないからねえ……どうしたって負けると思うよ。むしろ一人でちゃんと改善してきたナディアの方が凄いと思う」




「それじゃ、次こっちね」


 一通り市場を堪能したあと、行く所が決まっていると言わんばかりにナディアの手を引いてを誘導するイノセント。辿り着いた先は、市場に並んでいた屋根付き移動型店舗とは違い、しっかりとした建物が並ぶ通りだった。イノセントが立ち止まった店の上部には「マダムユリアナの魔法のクローゼット」と書かれている。


「ここは……服飾店?」


「そ。閣下から『ナディアの服を揃えてほしい』って言われてるんだ。急に大きくなっちゃったから『洋服が足りない!』ってカトリーヌに泣きつかれたらしいよ?」


「ああ……そんな事気にした事がなかった。正直森で過ごしていた時は服なんて数枚を日替わりで着回していたし」


「それならカトリーヌと僕に感謝するべきだね。閣下はフルオーダーメイドで揃えるつもりだったんだから。カトリーヌが今すぐ必要なんだと強調して、僕が貴族御用達の服飾店ならサイズ直しだけで済むからって説得したんだよ?」


 ナディアとしても無駄に公爵家のお金を使う事は本意ではない。理想は一着も揃えない事だったけど、体面上難しいのなら、安く済む方が良い。カトリーヌとイノセントの機転に感謝だ。


「それはそうと、僕としては成人女性サイズの服も買う事をおすすめするよ。なにかあった時はやっぱり大人の姿の方が都合が良いしね。使用人服じゃちょっと格好がつかない」


「でもセレスティンを裏切る事にならないかい? これ以上大きくならないって約束したんだ。それに成人してしまっては、養子という建前も使えなくなるだろう」


「そりゃ閣下が健在ならね。こう言っちゃなんだけど、どれだけ僕達が頑張って保護膜を作り上げたとしても、閣下はきっと儀式後に倒れると思うよ。……それくらい皇都の守護結界は規模が大きいんだ」


 イノセントは、ナディアが当主代理として城を切り盛りする事前提で言っているらしい。ナディアもそれを念頭に仕事を勉強している以上、ここで断る道理はない。


「分かった、何着か買っておくよ。……そういえばお金は? 私は受け取った覚えがないんだけど」


 治安局からの依頼報酬は現物支給が基本だったから、お金という概念がすっぽりと抜けていた。市場ではイノセントが支払いをしていたけど、さすがにドレスとなると買えないんじゃ……と心配ナディアに、イノセントは事もなげに言ってのけた。


「そんなの、『請求は公爵城へ』って言えば一発でしょ。どうせ配達もしてもらわなきゃいけないんだから、ついでだよ、ついで」


 森から出られないナディアが物を必要とした時には、ホール家の者が森まで届けてくれたものだ。だけどまさか公爵城から目と鼻の先の町でも配達を依頼するなんて、とナディアは軽く衝撃を受けた。


「そうか……そういうものなのか……。にしても随分と手慣れてるんだね、イノセント?」


「うーん? まあ……今はともかく昔は貴族だったからね? それに世界中を旅している時に、貴族の貴賓として扱われた事もたくさんあるから」


「もしかして僕が貴族だって知らなかった?」と寂しげに笑うイノセント。思わず「なに一つ教えてくれなかったじゃないか」と口を開こうとしたけど、そこではたと気が付いた。魔術の研究にしか興味がなかったイノセントは、当然のようにナディアの事だけを根掘り葉掘り聞き、自分の事を語った事などない。だけどナディアの方もまた、イノセントに興味を持って問いかけた事は、一度もなかったはずだ、と。


「……お互い興味がなかったんだな、あの時は」と言うナディアに、イノセントは虚を衝かれたように目を開き、それからすぐに「うん、そうだね」と呟いた。


「今は興味を持った。だから許してほしい」と付け加えると、「なにそれ、告白? 良いよ、ナディアだったら僕大歓迎だよ?」と茶化したように笑うので、ナディアはバシッ!とイノセントの足を叩いて黙らせた。


 ナディアは今、公爵城の使用人服を着ている。子供用の貴族服など城にない上に、ナディア自身が「研究するのに最適だから動きやすいこれが良い」とカトリーヌの服を指差して言ったのだ。


 メイドの服とは違って侍女の服は見栄えも重視されているので大きくは反対されなかったものの、カトリーヌの目は明らかに「本当は駄目なんですよ!! 今だけ、今だけですからね!」と訴えていた。それでも裸よりは遙かにましなので、ナディアサイズに仕立て直した上で随所に刺繍を入れてくれた。


 公爵城に居る時は「服なんて着られればなんでも良いじゃないか」と思って居たけれど、ここにある服はどれも煌びやかで、十分立派に見えた侍女の服が霞んで見えるほど豪華な装飾が施されている。道理でカトリーヌが目くじらを立てたはずだ。公爵の養子という立場上、侍女服の作りは全く相応しくないのだ。


「冗談はさておき、服なんて選んだ事がないから全く分からない。日が暮れるまでここに居る訳にもいかないし、イノセントが適当に見繕ってくれないかい? こういうの、得意なんだろう?」


「良いけどさあ、せめて好きな色とか系統とか、ないの? ああいうリボンがたくさんついてるドレスは子供っぽく見えるから嫌だとか……。そういうのを学ぶのも大事だと思うけど?」


 イノセントが指差したドレスはいかにも「七歳の子が着ます!」といった感じで、ピンク色のドレスにリボンと、可愛さが全面に押し出されていた。言われてみれば確かに実年齢数百歳のナディアには気が重い。


「好き嫌いか……うーん……。好きはすぐには分かんないけど、リボンは嫌だな、やめておこう。あとは……今着てる服みたいに、なるべく動きやすいデザインの方が良いな。その服の袖はどう見ても研究の時に邪魔になりそうだ」


「おっけーおっけー、じゃあ袖はひらひらしないでぴったりとしてる感じで。リボンを少なく、代わりにフリルで華やかさを演出して……となるとこの辺なんてどう?」


 イノセントが示したのはブラウスとスカートが分離しているタイプのデザイン。ブラウスの袖は腕の形に添ってすっきりしているけど、胸元に布をふんだんに使って装飾が施されており、華やかに見える。スカートの方も光沢がある生地にびっしりと刺繍がされていて手間暇がかかっているのが一目で分かるものだ。「これならカトリーヌに文句を言われないんじゃないかな」と考えてナディアは頷いた。


「私の条件を満たした上で、高級感がある。うん、良いと思う」


「それじゃ、これに似た系統……動きやすいけれど品位を維持出来るデザインでひとまず三十着お願いします。それから外出着も三十着ほど。ああ、小物類もまとめてお願いします。配達と請求はエバーナイト公爵家へ。カタログも一緒にお願いしますね」


 流れるような注文に、店主——この人がマダムユリアナだろうか?——は困惑する素振り一つ見せずに笑顔で頷いた。


「かしこまりました。採寸後にお直しをいたしますので、まずは十着ずつ、明日朝お届けとなりますがよろしいでしょうか?」


「ええ、よろしくお願いします。……それから成人女性向けのドレスもカタログも。そちらは後日サイズ表と共にオーダーメイドする予定です」


 こうしてナディア本人が良く分からぬまま、あっと言う間にドレス一式の買い物は終わったのだった。

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