21.お礼
その日以降、騎士団は通常の訓練や業務に戻り、イノセントとは会う事がなかった。
(こんな事ならあの時イノセントに本題を持ち出せば良かったか……!)
イノセントに滞在を許可した直後にカトリーヌが戻って来てしまい、話はそれきりになってしまったのだ。
いつ会えるだろうか。赤ん坊のナディアが騎士に用事なんて、どう考えても不自然過ぎる。訓練を見学したいとカトリーヌに言えば連れてってはもらえるだろうけど、他の騎士が居るところでイノセントに話しかける訳にもいかない。
せめて自分の意思で自由に動き回れるくらい身体が大きければ。イノセントが公爵城に来た事で、ナディアは急いで大人に戻る必要はなくなった。だけどいつまでも赤ん坊の姿では、自由に歩き回る事も研究する事も出来ない。なにより、意思の疎通が出来ると知られた上でカトリーヌに下の世話をされるのが耐えられなかった。
魔法陣の解読が出来れば良かったのだけど、残念ながら難航していた。森の魔法陣は世界に唯一、ナディアに合わせて色々と調整された代物。皇都の魔法陣を守護しているセレスティンでも分からない工程が多く、森から離れているとはいえ、魔力を取り戻した結果どうなるかは読み取れなかった。
イノセントに聞けば、影響の有無は分かるだろう。ただしその為には騎士団に行く必要があって、赤ん坊のままでは不自然で……、と話が振り出しに戻ってしまう。
(やっぱり、一か八か、完成させた薬を飲むか……? それともカトリーヌに騎士団の訓練場に連れて行ってもらって、どうにかイノセントに空気を読んでもらうか……。まあ失敗してから考えるとしよう)
「先日のお礼が言いたい」とあながち嘘ではない理由をカトリーヌへ伝え、ナディアは訓練場へと向かう事にした。
◇◆◇◆◇◆
「ようこそ、ナディアお嬢様。今日はどうされましたか?」
——先日のお礼が言いたくて。私のわがままの為に、わざわざ危険な森へ行ってくれてありがとう。
「お気になさらず、その為の騎士団ですから」と、爽やかな笑顔で接待してくれているのは騎士団長のリアム。トップが対応してくれるのは大変ありがたいのだけど、ナディアの目的はイノセントだ。
——直接お礼が言いたいんだけど、森に行ったメンバーと話す事は可能かな?
こう言えば、実際に一人一人と話を、とはならず代表して一、二名が呼ばれるだろう。そしてイノセントの肩書きは副団長代理。間違いなく彼が呼ばれるはずだ。
ナディアの予想通り、呼ばれたのはイノセントと他二名の騎士だった。
「お呼びでしょうか、お嬢様、団長」
——わざわざ来てもらってすまない、先日のお礼が言いたくて呼んだんだ。その……わざわざ森まで行ってくれてありがとう。とても助かった。
「いえ、自分達は閣下の指示に従っただけですから、礼を言われるほどでは」
もしかすると、暗に「セレスティンの命令だから仕方がなく行っただけだ、お前の言う事を聞いた訳じゃない」というニュアンスが込められているのかもしれないけど、ナディアにはそこまでは分からなかった。
——それでも元は私の依頼だ、本当に助かった。……ところで、森の様子について二、三質問しても?
「私達で答えられる事であれば」
——森ではどんな魔獣に遭遇した? 数は?
「ええと、狼のような見た目で、角が生えた巨大な魔獣と、額にも目がある熊のような魔獣が主で、三から五頭くらいの群れで襲ってきました」
「森の奥に行けば行くほど遭遇頻度が高くなった印象ですね」
話を聞く限り、ナディアが居た時から変わった様子はないように見える。
——それじゃ、森の魔法陣に異変……、例えば近隣の村や町へ魔獣被害があった、なんて事はないだろうか?
「そういった話は聞いてないですね」
「魔法陣そのものについては元が分からないので……それに魔術は僕達じゃさっぱりです。副団長代理が魔術師ですから、その辺りは詳しいんじゃないでしょうか?」
ちらり、と二人はイノセントの方を見た。イノセントは心得た、とばかりに頷き「はい、私が適任でしょう、魔法陣を描き写したのも私と閣下ですから」と言う。この機会を逃すものか!とナディアは急いで文字盤に触れた。
——そうか、あとは魔法陣について聞きたいだけだから、副団長代理だけで大丈夫そうだ。協力ありがとう、二人とも。……話が長くなりそうだから、団長も無理に私と居なくて大丈夫だよ。
「そうですか? ではお言葉に甘えて部下の訓練に戻ります。……イノセント、あとは頼んだぞ」
「はい団長、お任せください」
団長に向かってイノセントが頷く。全く、イノセントの笑顔はどうしてこうも胡散臭いのだろうか。団長の笑顔と比べると雲泥の差だ。
——聞きたい事が山ほどあるんだ、良かったら庭でお茶会でもどうだい?
「よろしいのですか? ではお言葉に甘えて。……あ、ナディアお嬢様は私がお連れしますよ」
「ありがとうございます、イノセント様。急いでお茶の準備をしてまいります」
ナディアの意図を汲んだようにイノセントが言うと、カトリーヌは了承してイノセントへとナディアを託した。
早足で去っていくカトリーヌの背を眺めつつ、イノセントがナディアへと問うた。
「……で、話ってなんだい?」
——まずは庭へ行こう、ここじゃ人目がありすぎる。





