春の章その4(後編)
※注意※
前編と比べ、文字数が多くなっていますが仕様です。
さて、こうしている内に、ヴァルターを見送った那苗が戻って来るのだが、妙な雰囲気となっている客間の様子を見て『な、何があったんだ? 少し出払っている内に場の空気が重くなってる様に感じるんだが!?』と思いつつ、客間に入ろうか否か気の迷いが生じてしまう。
そんな時、那苗の背後に感じた事がない気配が唐突に現れたのである。
その気配を受けた那苗はその場から直ぐに動く事も出来ず、また背後を向く事すら出来なかったという。
その気配……明らかに冷たさを内包した代物だったからである。
例えるなら、蛇に睨まれた蛙と言っても差し支えない状態の那苗に対し次の瞬間、見知らぬ女性の声が那苗の耳に入ってきた。
『あ~、ちょっと済まないねぇ、そこの兎人族の小娘。そこをどいて貰えると助かるんだけどねぇ~。』
その女性の喋り方は若干老婆じみていたが、声の張り自体は若さが滲み出ている物であった。
那苗が恐る恐る振り向くと、そこには"見た目10代半ばを少し過ぎたくらいながら、纏う衣装は軽装な上から薄手のドテラを羽織っている人物"が立っており、その脇には更に小柄な少女が控えていた。
その小柄な少女と目線が合った瞬間、那苗は心の底から何か恐ろしいモノが湧き出してくる感覚に襲われる事となる。
そして件の二人は那苗の横を素通りする形でさっさと客間へと踏み込んで行ったのだった……
さて、那苗の背後に現れた人物は、硬直する本人を横目に客間の中へとずかずかと立ち入って来たのだが、室内の面々はその人物達の到来を予想していた者とそうでない者とで態度が大きく異なっていた。
美清は『あら、これはこれは。ようこそおいで下さいました。ただ、もう"一方"は……まさか貴方様まで来られるとは想定していませんでしたわね。』と語る。
一方、鈴鹿は『あなた様は!? まだ刻限よりは早いハズなのですが……そしてそちらの方はもしや?』と口に出している。
そして、いづるに至っては『なっ!? 伊鈴婆に……って、何でお前まで一緒に来てるんだよ! このポンコツ神!!』と叫び気味に吠えている。
いづるから婆呼ばわりされた、見た目若い女性……"水梨伊鈴"は、そんないづるを見て『久方ぶりに顔を会わせたってのに、相変わらず口の悪い子だねぇ。まあ、今に始まった事じゃないからどうでもいいけどね。』と軽くいなし、もう一方の人物に至っては『いづるよ、毎回会う度に思うが、そなた"我"を何だと思っておるのだ? もう少し目上に対する姿勢を改めぬと、因果の巡りで痛い目に遭うぞ?』と、若干呆れを含んだ物言いをしている。
そんな大人達(?)の軽い言葉の応酬を見て、事情を知らない側の三人の内、美鶴と美紗音の二人はと言うと……
「あ~、あの方は"隠居岳"の裏手の里に住んでおられる水梨の御隠居様ですね。まさかこちらに来られるなんて……」
「水梨の御隠居様? 美紗音さん、水梨という事は、あちらの鈴鹿さんの御親戚か何かですか?」
「親戚……と言いますか、御隠居は鈴鹿さんの"義母"みたいなお立場の方でして、単にそれだけではなく、母様の御先代の方だとか。」
「美紗音さんのかーさまの御先代? するとあの伊鈴さんという方はもしや……」
「ええ、水梨伊鈴さん……昔の"水の鬼の王"であった御方という事になりますね。もっとも私は母様から聞かされていたので、ほんの少し詳しい位ですが。」
……と、こんなやり取りを行いつつ、二人は伊鈴の方へと視線を向けている。
一方、彼女らの隣でその話を聞いていた小蓮は『先々代の水の鬼の王!? この方が……かつてヤマト国を恐怖のドン底に落とした"四鬼王"の一人!? 話では聞いた事があったけど、まさか実物……本人の姿を見るなんて思わなかった。』と、心の内で思いつつ、同時に恐れを感じてか尻尾だけはぴんっと立っていた。
そして同時に、伊鈴の隣に控えるもう一人の人物と一瞬だけ視線が交差した時、小蓮の心の底に言い知れぬモノが噴き出すのを感じずにはいられなかったのである。
それは言い換えるなら「恐怖より深い、言語では言い表せない、謂わば"無明"といえるモノ」だったという。
そんな状態の小蓮や、美鶴と美紗音を横目にしながら、大人達の会話は続くのだが、それまでの話の内容から美鶴は自身の今後に関するモノだと確信したらしく、一旦その場を離れる事を告げた。
大人達の話に無粋に割って入るべきではないと判断したものだが、小蓮からは『宜しいのですか? これまでのいづる様達の話、明らかにお嬢様の今後に関するものみたいですが……』という問いが即座に投げ掛けられた。
それに対し美鶴は『小蓮、こういう話に子供の私が立ち入るのは宜しい状況とは思いません。ここはかーさま達を信じましょう。』と述べると、客間の外へと出ようとした。
その姿や所作を見て、美清は美紗音にも室外に出る事を勧め、あわせて美鶴達に神社の周囲を案内するように述べ、更に客間の入り口で立ち竦んでいた那苗には着替えた上で美鶴らと行動を共にするように指示を出している。
だが、その那苗、どうやら伊鈴らが来た時に彼女らが放つ力の残滓に触れたのか? 若干放心気味だったらしく、すぐには動けなかったらしい。
その為、美清は瞬間的に鬼気を視線に乗せる形で那苗に向けて放っており、それを受けた彼女は我を取り戻している。
そして改めて着替えて美鶴らと行動を共にするよう命じたところ、那苗は慌てて命に服して急ぎその場を離れたのであった。
さて、年少組と那苗が客間から離れた後、残った面々は部屋の中央のテーブルを中心に上座と下座に別れて座り直している。
上座側から美清、彼女から見て右手側に鈴鹿、いづるの順に座り、左手側に伊鈴と付き添って来た金髪碧目の少女(?)が座るのだが……
「ちょっと待て。何ゆえ我が下座の、いづるの相対する位置に座らねばならんのだ!? 格の上なら我が上座に座るのが礼儀というモノではないか?」
「おいポン神、ここではお前は客なんだからその位置で良いだろ! 高天原とか出雲ならともかく、ここは今川家の客間なんだし、その場の決まりに従うべきだろ。」
「ポ、ポン神!? ……いづるよ、ポンコツからコツを外したのは誉めて遣わすが、ポンを何故残す? どうせならポンも外してだな……」
「ポンまで外したら名無しの何とやらだぜ?」
「なっ!? 汝、流石にその物言いはどうかと思うぞ? 曲がりなりにも我は"天地開闢"に携わった神の一柱なのだぞ? 少しは、いや多少は、いやいやものすごーく気を使って貰いたいものじゃなぁ。」
「……必死になって威厳を演出しようとしてるが、見た目のせいでポン具合が抜け落ちないぞ~。そんなんだから"記紀"での扱いが、その役割に反して"イザナギ・イザナミ"や"アマテラス・スサノオ"と比べて地味扱いされるんだよ。」
「ちょ!? あ奴らと我を比較するな! あ奴らとて、我や我の同胞あっての存在じゃぞ? それに我らを地味扱いにしたあの……そう、全てはあの"藤原不比等"とかいう輩の責任じゃ! あ奴が適当な事を記させなければ……」
「昔のオッサンに今さらケチつけてもな。そのオッサンの所業に気付かなかった方にも責任があると思うけどな。」
「ぐぬぬ……、我らが他所を見て回っている間の話とはいえ、よもやよもや斯くも不当な扱いを受けようとは思いにもよらず。然りとて、今さら干渉するのも色々面倒だし……」
「そういう面倒くさがりなところがお前の欠点だろうが。"アメノ何とか"って御大層な神号を人間から奉られた"別天津神"の実態が、こんなポン神様だと知ったら、色々な宗教の信仰心が纏めて吹き飛んで仕舞うだろうさ。」
「ぬぅ……またポン神言うな! しかしだな、そうやって我を弄る汝も汝じゃ! 今は丸くなっておるが、我がその気になれば何時でも何処でも……」
……と、何やら物騒な事を言いかけたところで、美清の方から『はいはい、込み入った話は後で別のところでして下さいね。
少なくともあなた方両人が争えば蒼の月(地球)も高天原もタダでは済まない訳ですから。』という発言がなされたが、そのニコニコしている表情とは裏腹に、その視線は殺気に満ち溢れていた。
また鈴鹿からは『東雲、お前は一言多いぞ。そちらの御方の素性を知っていてのその物言い、こちらからすれば寿命が縮む思いだぞ。』と苦言を呈されている。
もっとも、その鈴鹿の発言の直後に食い込む形で伊鈴が『まあまあ落ち着きな鈴鹿さん。この子とて本気で怒らせようとしている訳じゃないさ。こちらの方とてそれは承知だろうさね。でなければ、一体何度この世界は消滅させられている事か。』と語り、彼女が視線を二人に向けると双方とも調子が悪くなったかのような、図星を突かれたかのごとき表情を示しつつ互いに顔を背けている。
その後、落ち着きを取り戻したいづるは、対面する席に座っている子供然した人物 ――当人は"サーナ"と自称しているポン神―― に対して『そう言えば、他の二柱? の奴はどうした? 一緒に行動している訳じゃないのか?』と訊ねている。
するとサーナは『あ奴らか? 今は別の世界をほっつき歩いておると思う。まあ、我とあ奴らは深層意識では繋がっておるゆえ、こちらの事もすぐにでも知るであろう。遠からずこちらに参るハズじゃ。』と答え、いづるは『そっか、んじゃ三馬鹿が揃うのも時間の問題かな?』と口に出し、直後に『三馬鹿言うな!』という抗議を受けている。
この間、歴代の水の鬼の王の内、水梨鈴鹿はその会話をハラハラしながら聞いていた。
他の二人が場数を踏んでる為に余裕があったのに対して、彼女だけは生来の生真面目さゆえに心配し放題だったのである。
しかし、幸いにして彼女の心配は杞憂の内に終わる事となる。
ただ、彼女の主にいづるに対する心配性ぶりは、見方を変えれば単なる過保護な親のそれに近いモノだったと、仲間内では見る向きもあったとされる。
さて、サーナといづるの世界の命運にも関わりかねない言葉のドッジボールが軽く終わったところで、美清の方から本題となる話がなされる事となる。
それは即ち"東雲美鶴の学業"、つまり学生生活に関するモノであった。
かつて、高天原で過ごしていた経験がある(諸般の事情で高天原人扱いだった)東雲いづるは、所謂"中学一年生"に相当する歳にヤマト国の"中等学校"に転校という形で入学している。
その前例があった事から、同じ高天原人扱いを受けている美鶴にも学校に通わせるべきという話が、当事者の預かり知らぬところで進んでいた訳である。
先立っていづるが不快な態度を露にしたのは、高天原人の特例である"ヤマト国内に於ける義務教育の免除"の話を知っていたからだった。
そして何より保護者たる自分を差し置いて勝手に話を進めていた事や、その結果として自分が美鶴から引き離される事を懸念したが為でもあったのである。
そして、このあとも続いたこの時の五者会談の結論としては、美鶴を市内の指定した学舎に転入学させる事。
その学舎は美清の娘の美紗音が通う学舎としている事。
そして、いづるに課せられた役目は……
「つまり何か? アタシは美鶴を少し離れたところから見守るって感じなのか?」
「そういう事だ東雲。お前の性格などを考えれば、そもそも美鶴嬢を引き離すという選択肢が愚かなモノだという事は、この場の者だけでなく都の帝も知っている事だ。ただ、今よりは少し距離を取るという、それだけの事だ。」
「少し距離を……ねぇ。その距離が異世界を跨ぐ代物だったら、少なくともお前をぶちのめして都に乗り込む事も考えていたところだぜ。」
「はぁ……、とりあえず安心しろ。お前が暴れるような事になっては一大事だからな。その辺りも考えている。しかし、お前がこうも不快感を露にするとはな。」
「何っ? そりゃどういう意味だよ。」
「それはあれだ。お前が十年前のあの時、帝からの要請で彼女を預かる事になった時の態度なり何なりを私や他の者達も見ていたからな。もう少しさばさばした反応をすると思っていたんだが……」
その様に鈴鹿が発言したところで、二人の会話を聞いていた伊鈴が『"お鹿さん(鈴鹿の愛称の一つ。主に伊鈴が使う)"や、いづるとて十年前と同じままという訳でも無いだろうさ。最初は面倒くさがっていたかも知れないが、時と共に考えが変わったとも言えるんではないかね?』と告げる。
それを受けて『そうなのでしょうか?』と一言発しつつ、鈴鹿はいづるの方へと視線を向けた。
すると、当の本人は認めたく無さげなのと同時に気恥ずかしさが入り雑じった表情を見せながら『うっ、うるせぇー! 勝手に人の頭の中身を詮索するんじゃねぇ!』と吐き捨てつつ、彼らから顔を背けていた。
そんないづるの様子を見たサーナは『ふむ、初めて会った頃は、力の制御すら危うかった小娘が、今は理由はどうあれ人の親としての自覚をそれなりに持っておるか。我にとっては一瞬にも思える時だが、それなりに中身が詰まっておるのだな。』と内心で呟き、更に続けて……
『嘗て、あの帝と会ってからというもの、こちらの世界の動きが気になって仕方ないのも、きっと斯様な事が起きる事を何処かで我が望んでいたからやも知れん。不変な世界では無く、常変な世界を見守り愛でるのも、また我らの務めなのじゃろうなぁ……』
……と、しみじみと思うのであった。
― つづく ―