春の章その3(後編)
※注意※
前編と比べ、文字数が多くなっていますが仕様です。
「お~い、何時まで黙り込んでるんだ? ちっこいのはアタシらを案内するんだろ?」
「わっ!? き、急に話し掛けるな!」
「へっへっへ、悪いなぁ~。 だが、何時まで黙られていても話が進まないんだよな。それにお前、自分の役目をすっかり忘れてないか? 昔の事に気を取られて、思考が固まっていては出迎え役失格だぞ?」
いづるから若干からかい気味に斯くも言われては、何時までも黙り込んでいる訳には行かなかった那苗である。
長椅子から腰を上げるなり『そこまで言うなら、早く御先代と御当代がお待ちになってる神社へ向かいましょう! 何時までも待たせる訳には行きませんから!』と、何か吹っ切れた雰囲気を放ちつつ一言述べて出発しようとした。
ただ一つ……何故か那苗は美鶴の手首を握って半ば無理矢理引っ張る形で。
当然の事だが美鶴は驚いており、小蓮は即座に那苗と美鶴の間に割り込みつつ『いきなりお嬢様の手を握って動こうとか、お嬢様が怪我でもしたら、どう責任を取る気ですか!』と言って抗議をしている。
いづるもまた、那苗の突拍子な行動を戒める発言を発したのは言うまでもない。
『おいおい、急ぐのはちっこいのの勝手だが、人様の娘の手首を握って引っ張る様に動くとかせっかち過ぎだろ? とりあえず落ち着け。』
この様に言われた那苗は再び気を落としてしまう。もっとも幸いと言えたのは、手を握られた側の美鶴が那苗に対してそこまで怒るとか不快感を示すとか、そういう事がなかった点であろうか?
これに関して美鶴は『那苗さんから悪意は感じませんでしたし、むしろ嬉しそうだった様なので流れに任せてみようかな?って感じでした。』と後年、周囲の者に語っている。
さて、そんな訳で色々とありもしたが、改めて那苗の先導で件の神社へと向かう一行。
その途上、美鶴はいづるに一つの質問を投げ掛けた。それは……
『ところでかーさま、駅に着く時に港の対岸側の岸壁に大きな船が浮かんでいたのですが、あれは何でしょうか? 見た限り、軍艦だとは思うのですが……』
この問いに、いづるは次の様に答えている。
『ああ、あれか? 確か昔の戦争で使われた戦艦だったか? ええっと、名前は"金剛"とかいったか?
ヤマト国が四隻保有した"弩級戦艦"とか"高速戦艦"とか"巡洋戦艦"とか、そんな御大層な軍艦の一隻だ。今は記念艦として一般公開されてるな。アタシも学生の頃に行った事がある。』
……と。
それを聞いて美鶴は取り敢えず納得する事とした。
彼女からすれば、高天原が無数に保有する"天浮舟"の方が大きさの種類が豊富であり、なおかつ優美でもあると思ってはいるのだが、やはり見慣れない物であるという事から興味が生じたとか。
もっとも、彼女は後にこの金剛を見学する機会を得るのであるが、それはまた別の話である……
これより暫くの後、一行は目的地の神社へと辿り着いていた。
この神社、かつては鎮守府の軍人達から崇敬を集め、佐世保の神社の総代とも言える存在であった。
そして今に於いても鎮西守護の社の一つとして地域で重きをなしており、また境内の一角には要石が"目立たない様にひっそりと"鎮座していた。
そんな神社の境内へ延びる数段の石階段を上がり、境内が見えた時、そこに一人の巫女風装束を纏った女性が長柄の竹箒を手に持っていた。
どうやら境内の掃除を行っている最中か、またはそれが終わったかというところだった様である。
その女性の姿を見て、那苗は『ご当代様、山県那苗ただ今帰って参りました。』と一言述べた事から、特に小蓮はその女性が現在の"水の鬼の王"である事を認識する。
だが、ヴァルターといづるの両人は知ってる相手が雑用を行っている程度にしか見えていなかったらしく、特にいづるに至っては『よう、久しいなぁ~。暫く見ない内に雑用係に磨きが掛かってきたかぁ?』と、からかい気味に話し掛けている。
当然であるが、その様に言われた側の女性は明確に不満の色を見せつつ『……相変わらず粗野な物言いをする奴だな東雲。やはり阿呆は死んでも治らんらしい。』と言い返し、一瞬であるが両者の間に殺気めいたモノが走った……ように周りの者には見えたとか。
だが、その両者の間の不穏な空気は、社殿の方から放たれた別の女性の一言によって霧散する事となる。
『あらあら~、いづるさんも"鈴鹿さん"も取り敢えず矛を納めましょうね~。ここは神聖な神社の境内なのですから~。』
その声を聞いた全員が声がした方を向くと、そこには長髪の美人と形容できる一人の人物の姿があり、そのまま一同の方に歩き近づいて来ていた。
その人物の姿を見るなり、那苗の口から『御先代さま!』という一言が発せられた。
それを見て美鶴は何故か黙っていたが、小蓮はその女性が如何なる人物であるかを理解する事となる。
一方、いづるはと言うと、その人物の姿を見て『よう、水のねーちゃん。一別以来って奴か?』と軽口気味に話し掛けて、その直後に"鈴鹿"と呼ばれた女性から『東雲っ! 御先代に対して失礼だぞ!』と強い口調で叱責を受けるのであった……
それから少しして、場所を社務所内の客間に移したあと、いづるは美鶴らに両人の紹介を行っている。
「二人とも、まずアタシに突っ掛かってきた鹿みたいにひょろい奴だが、コイツは"水梨鈴鹿"って野郎だぜ。」
「おいまて東雲、そのぶっきらぼうな紹介の仕方は無いだろう? 曲がりなりにも私は"水の鬼の王"なんだぞ? 私にも王としての威厳という物があってだな……」
「んぁ? お前にそんなモンがあったのかよ? コレは初耳だぜ。」
「……貴様、そこまで言うか。なら直ぐに表に出ろ、この場で色々ケリを付けてやる!」
「おおぅ、コイツは怖い怖い。……ま、冗談はさておいて、実際にお前とサシで殺り合ったら、佐世保の一つや二つが消し飛んでも足りない位の事態になりかねないからなぁ~。」
「クッ、貴様……またしても人をからかうのかぁ!?」
明らかにプンスカ怒っている鈴鹿を横目に、いづるは『まあ、見ての通りの冗談が利かない生真面目さんだ。根は悪い奴じゃないから何かあったら相談してみると良い。話には乗ってくれるハズだ。』と二人に告げている。
それを聞いて一応納得はする二人であったが、その反応は全く異なっている。
小蓮は『鬼の王をあの様に怒らせてケロっとしているいづる様が私には信じられないですよぉ。
向こうは明らかに殺気立っていましたし、霊力の迸りやら圧迫感とか半端なかったじゃないですか!』と、いづるに対して愚痴っている。
一方、美鶴はと言うと『かーさま、かーさまは何と言いますか"火に油を注がないと死んでしまう病"にでも冒されているのですか? あまり人を怒らせるのは如何な物かと思います。あと、小蓮や那苗さん達の顔色が青冷めていたじゃないですか。たぶん私もですけど……』といった感じで批判めいた眼差しを向けつつ述べている。
その様な事を立て続けに言われては、いづるも気まずい表情を浮かべるしかなかった。
小蓮に突っ込まれる程度なら聞き流せるが、美鶴にまで言われては返す言葉が無かったらしく、程無く『ごめんなさい、調子に乗り過ぎました。』の一言を伴い、美鶴に向けて土下座をしていた。
この一連のやり取りを見て、ヴァルターは『ふむ、流石のフロイラインも娘には頭が上がらんか。ヤマト国の昔の喩え話か何かに"ベンケーの泣き所"とか言うのがあるそうだが、まさにあの娘がフロイラインのそれなのであろう。』と感嘆交じりに呟いている。
もっとも、彼の隣にいた那苗はと言うと『何言っているんだコイツ。私からすれば御当代さまが霊力を迸らせた時に顔色一つ変えなかったアンタの方がおっかないし、油断が出来ないんだよ。』と思っていたとか。
だが、そう思われていた事を見透かしたかの様にヴァルターが『そこの娘、当代の王が癇癪を起こしていた時に何らかの力を見せていたのであろうが、儂は単なる一般人ゆえ感じ取るとかできる訳ではないでの。顔色一つ変えなかったのはそういう事じゃよ?』と告げられ、那苗は『あっ!』と何かに気づいたかの様に一言発して黙ってしまうのだった……
さて、そんなやり取りの後、いづるはもう一人の……つまり鈴鹿や那苗らが"御先代"と呼ぶ人物の紹介を始めている。
『さてと……美鶴、此方の髪の毛がサラサラ長髪な美人さんが前の水の鬼の王ってのをやってた"今川美清"って名前のねーちゃんだ。』
……と、告げている。
そしてそれに続けて『あ~、因みに名字は兎も角、名前の方は結婚する過程で改めて名乗ったモノで、本来の名前が別にあるんだが……』と語ったところで、彼女から『あらあら、余り人の昔の事をお喋りするものじゃないわよ、いづるさん?』と、ニコニコ笑顔とは裏腹に釘を刺すが如き一言が飛んできたのである。
それを聞いたいづるは明らかに硬直したかのような表情や素振りを見せており、その様子を見た美鶴は『ああ、かーさまでも頭が上がらない天敵みたいな存在が居るのでしたね。』と内心ほくそ笑みを浮かべつつ、改めて美清の方を見る形で斯く話を切り出している。
『さて御先代さま。私の記憶が確かなら、かなり昔に一度会った事があるかと思いますが改めて……初めてまして、東雲美鶴と申します。』
この一言を聞くなり、美清は『あら、貴女……ひょっとして"あの時"の事を覚えているのかしら?』と返し、美鶴の方は肯定の意を示すように『はい』と一言だけ述べ頷いている。
それを聞き、いづるや鈴鹿らはそれぞれ心の中で『美鶴の奴、10年前の……御所での事を覚えているのか!?』だの『あの場には私も居たが、よもや覚えていようとは……』と、各人程度の差はあれども驚いていた。
また小蓮も小蓮で『私が初めてお嬢様と出会った頃の事を言っておられるみたいですが、もう10年くらい前なのに……。流石と言うべきなのでしょうか?』と、いづるや鈴鹿とは違った形で、心の中で感嘆交じりに呟いていた。
そんな周囲の空気を読んだかの如く、美鶴は『"義母様"や小蓮、それに御当代さんが驚いていますね。私が覚えていないと思っていたとしたら、まだまだ私の事を理解してないという事ですよ?』と、にこやかな笑顔を見せつつ語るのだった。
その会話を目の当たりにしていたヴァルターは、隣に座っている那苗に対して『兎の……今のやり取りで概ね理解したが、お前さんは美鶴という娘とフロイラインが"実の母娘"ではない事を知っておったか?』と訊ねている。
それに対し那苗は『ああ、佐世保に来る前に"やんごとなき"御方から一通り聞かされてはいたけどな。』と述べ、更に『……だけど、まさか10年前の事を覚えていたっていうのは予想してなかったな。』と語っている。
もっとも、そのあと続けて『いやはや流石は……』と何事か言いかけたところで、何かに気付いて慌てて両手で自らの口を塞いでいる。
那苗のその様子から、ヴァルターは『ほぅ、この慌てぶり……どうやらあの美鶴という娘、単なるフロイラインの養女という訳ではなさそうではあるな。儂が知らぬところで何やらあった……といったところかのぅ。』と思いつつ、改めて美鶴の方に目を向けていた。
さて、その後、一同が幾つかの会話を交えている最中、客間の裏手の方から若干幼さが残る声で『"母様"、ただ今帰りました。』という一言が聞こえてきた。
その声を聞くなり美清は『あら、もう帰って来たのね? そう言えば入学式が終わった時間を考えれば、帰って来てもおかしくない時間よね。』と述べている。
この流れを見たいづるは『ん? ねーちゃんの娘か? それにしては随分と子供っぽい感じの声だな。アタシの知るねーちゃんの娘と印象が違う気が……』と口に出した。その直後、即座に鈴鹿から次の一言が発せられている。
『東雲、お前が言っているのは"長女"の方だろう。今帰って来られたのは"次女"の方だ。』
……と。
そう言われたいづる、頭の上に『?』を浮かべたかの様な不思議そうな表情を見せつつ、少し思い出すような素振りを見せ、程なく『……ああ、なるほどね。あの頃はまだねーちゃんの腹の中にいたヤツか。それならアタシが気が付かないのも無理ねぇ〜か。』と、少しだけ感慨深めに一言述べている。
その様な会話を軽く交わしている間も、件の声の主が『母様、お客様が来ているのですか?』という一言を述べつつ、客間へと向かって来ている事が足音から察する事ができた。
そして、美清が座っている場所の背後にある客間の奥に繋がる扉……というより襖の裏手で足音が途絶えた直後、襖が開かれると、そこには和装の意匠を持たせた制服姿の……
美清を小さくしたかの様な少し小柄な美少女と形容しても良い女性が立っていたのだった。
その少女、客間に居る一同の様子を一通り視線を向け回して見渡していたが、ある一点で視線が止まる事となる。
その視線の先には美鶴と小蓮の二人が映っていた。
当然の事だが、二人もその少女の方に視線が向いており、この三者の視線が交差する事となる。
次の瞬間、少女の口から『か、か、か……可愛い!』という感嘆を伴う言葉が漏れ出てしまった。
一瞬『何の事を言っているんだ?』と言いたげな表情を見せるいづるらを横目に、その少女は美清を除く周囲から向けられる視線などお構い無しに美鶴と小蓮の下へと歩み寄り出していた。
もっとも、その歩み寄り、明らかに不審者のそれに似たモノであったが、近付いて来るにつれ、明らかに表情が変に歪みを含むモノになっていたのだった。
その表情の変化に気付いた小蓮が『お嬢様、お下がりください。この人から怪しげな雰囲気が見た目から滲み出ています。』と告げると、美鶴と少女の間に割って入らんとする構えを見せた。
この様子を見ながら、いづるは『おい、あのちっこいのを止めなくても良いのか? 何かよく解らんが、明らかに獲物を狙う獣っぽい感じが出てるんだが……』と、鈴鹿に小声で告げた。
すると鈴鹿は『嗚呼……また彼女の、"美紗音"の悪癖が出てしまっているな。ま、止めても良いのだが、少なくとも害意は無い事だけは保証する。そうでなければ御先代が既に止めに入っている。』と返しており、いづるが美清の方を見ると、彼女は何か可愛いげな物を見るが如きにこやかな表情を見せていた。
一方、そのサマを見ていたヴァルターは『この小娘、気に入ったモノを見ると周りが見えなくなる癖は相変わらずといったところじゃのぅ。』と、いささか呆れ気味に一言口に出している。
その隣に座っている那苗も『御先代さまのご令嬢とはまだ関わりが無いが、あの様な姿を人前で晒すとは……。ってか、あの稲荷人が割って入って止めようとしているみたいだが。』と内心で呟きつつ、状況を見守る事とした。
にじり寄る美紗音に対し、基本的に微動だにしない美鶴。間に割って入る小蓮という構図が崩れるのに、時間はさほど掛かる事は無かった。
というのも、美鶴ににじり寄ると思われた美紗音だったが、なんと割って入った小蓮へと寄って行ったのである。
これには割って入ったハズの小蓮も動揺を隠せる訳もなく、彼女の狐の尻尾も警戒感からピンっと立つ程であった。
一体どうなるのかと周りが見守る中、次に美紗音の口から出た言葉は……
『あ、あの、もし宜しければ、そ、その……立派な尻尾をモフモフさせ……じゃなくて、触らせて頂けないでしょうか!』
……というモノだった。
それを聞き、一瞬思考が停止した様な表情を見せた小蓮だったが、次の瞬間『ええっ!? わ、私の尻尾を触りたいですとぉ!?』と、驚き混じりの拍子抜けした声を発したのである。
その様子を見て、いづるは『ああ、初めに"可愛い"と言ったのは小蓮の奴に対してだったのか。んまあ、確かに小蓮は傍目から見れば可愛い系の見た目はしているかも知れねえが……』と述べた上で更に……
『ウチの美鶴を差し置くとは、随分とアレな趣向をしてやがるな。最近の言葉で言うところの"ケモナー"とか言うやつなのか? よく解らんが。』
……と、若干引き気味の表情を顕しつつ、呆れ気味な独白を心の中で吐くのであった。
― つづく ―