春と夏の狭間にて。その17(前編)
……さて、雨が振り始めた中、学生寮では負傷した守衛らの治療行為と、避難させていた寮生らの帰寮が重なりごった返しの状況となっていた。
そんな中、テラスから山頂広場側を見ていた美鶴らの前に何の脈絡も無くいづるが現れたのであった。
「いょぅ、とりあえず片付けてきたぜ。」
「かーさま、まずはお疲れ様でした……と言うべきところなのでしょうが、いささか派手にやり過ぎたのでは無いでしょうか? 周りの気配を感じる方々の中には、明らかにかーさまの力を感じて腰が引けた方もおられましたよ?」
「んぁ? あ〜、まあ、そういう奴もいるよな。……これだったら、"神隠・極式"でも使っておくべきだったかな?」
「それが何を意味するのかはわかりませんが、余り騒がせるのは後々の事を思えばよろしく無いかと思います。」
「……さ、左様ですか〜。」
いづると美鶴がこの様な会話を行う傍らで、山県那苗は守衛団長の秋月なたねから色々事情を尋ねられていた。
軽装武者姿の人物(宮城いせな)の事もであるが、唐突に現れ、コモド妖を捕らえて山頂広場へ連れ去った人物……
つまり現在美鶴と会話をしている人物の事も含めて洗い浚い聞き出そうとしていたのである。
この問いに、那苗は如何に説明すべきか迷っていた。いづるの事はともかく、いせなの件に関しては何とか伏せて置きたいと考えていたからである。
中々口を割らない那苗に対して多少苛つきを覚えたなたねは、語気を強めて再度説明を求めたのである。
だが、なたねの圧はいとも容易く吹き飛ぶ事となる。なぜなら……
『おい、そこの見た目と名前の均衡が崩れてる団長さんよぉ、余りそこの兎ねぇさんを責め立てるのはやめときな。もし、まだ責め立てるならば、代わりにアタシが相手になってやっても良いぞ?』
……と、極めて失礼な発言を放ちつつ、二人の間にいづるが割り込んで来たのである。
この失礼な人物の横槍により、なたねは一瞬だが身を退く動きを見せてしまう。それは彼女の無意識が身の危険を感じたことによる避難行動であった。
それは彼女自身がその様な行動をした事に思わず驚いてしまった事からも伺えた……
『……っ!? なっ、何故だ!? このオバサンが割り込んで来た時、説明が出来ない畏怖感が背筋を貫いた様に感じた。でなければ、何故私が身を退く事をしなければならないのだ?』
長らく守衛団員、団長を務め、更に昨年まで"上級統合生徒会"にも籍を置いていた学内全体でも上位の実力者だったなたねですら、いづるから感じた力の、その底が見えない事に、無意識で恐れを感じていたのである。
その事が本人の意識に関係なく行動という形で現れてしまったのだ。
そんななたねを尻目に、いづるは那苗とヒソヒソ話を始めていた……
「兎ねぇ、何かあの小娘から変な脅しでも受けたのか?」
「いや、脅しという程ではない。ただ……お前も見知ってると思うが、あの武者姿の者に関してちょっとな。」
「ああ、あの小娘の事か? 何か不都合でもあるのか?」
「ああ、そうだ。実は……"斯々然々(かくかくしかじか)"……という事があったんだ。」
「……はぁ、そういう事か。よりにもよって"ポン神二号"が絡んでそんな事になってたのか。しかし、そこから留学生まで絡んでくるとはいささか面倒な事になってんなぁ〜。」
「ん? そういえばアイツは、"いせな"の奴はどうなった? お前の後をすぐに追って行ったのまでは分かっているのだが……」
「ほぉ~ん、あの侍擬き……いせなって名前なのか。とりあえず安心しろ、何やらそいつを追って来ていたアタシの出来損ないみたいなのが食い付いてきたから、ちょいと隠してやった。」
「お前の出来損ないって、あの馬場とか言う娘の事か? ……コレはお前が山頂広場に移動したあとになるが、寮監をやってる永松……いや松永か? 奴からチラ聞きした事だが、あの馬場とか言う小娘、俵ヶ浦の隠居と浅からぬ繋がりがある奴みたいだぞ。」
「うぉっ!? あの自爆オヤジが何故そんな事を知ってるかなんて、後でどうにでも聴けるとして、アイツ……ヴァルターのオッサンの関係者なのかよ。また面倒な組み合わせじゃねーか。やれやれ……」
そう語りつつ、少しだけ呆れ込みの渋い表情を見せるいづるに対し、那苗は『いせなの事は、特にその力に関する説明から何から虚実を織り混ぜる形になってしまった。今でも済まないと思っているが、今暫く伏せて欲しいと思う。アイツは……凄く真面目で良い奴なんだ。』と、そう語りつつ那苗は珍しくいづるに頭を下げていた。
そんな那苗の姿を見たいづるは、更に別方向から似た感じの視線が向けられている事に勘付く。
それは美鶴の傍に移動していた小蓮からのものであり、この事からいづるはいせなに関わっているのはこの二人とポン神二号こと"御鏡様"である事を確信を以て認識したのである。
そんなヒソヒソ話をしていた所、再びなたねが近づいてきて再度質問を行おうとしたのだが、いづるの方から『済まねぇが、お前が知りたい事は国家機密って奴に該当するんだな。もし、知りたいと思うなら、少なくともその命と引き換えになるが、それでも良いか?』と、明らかに脅しを掛けてきたのである。
なたねの側からすれば、侍擬き一人の事でなぜ国家機密が絡んで来るのか?全く以て理解に苦しむ事であった。
そこへ那苗がなたねに耳打ちする。『団長、この人物は都のやんごとなき方ですら一目置いて信を置いている人物だ。下手に食いつくとどうなるか分からん。』と。
この話を聞き、俄には信じ難いという表情を見せたなたねであったが、那苗が更に『私が佐世保に来る前、都でやんごとなき御方から直接聞いたのだから間違いない。』と、釘を刺すが如く述べた事で、なたねも追求を控える事となったのである。
もっとも、この話は嘘と真実が混ざった代物であり、特に国家機密という部分は完璧なまでに嘘である。
そんな状態で半ば黙らせる事に成功したいづるは『そんな訳だから、侍擬きの身柄はアタシが預かるわ。これ以上は、如何なる質問も全却下だぜ。』と語り、この話を締めに掛かっている。
そんな話をする過程でいづるは、美鶴や小蓮から預けていた野菜入りの買い物袋やら背負い式の竹籠などを受け取り、後の始末を那苗らに任せて学生寮から離れようとしたのであるが、丁度その時、野舞歩が現れたのである。
『ちょっと待ったぁ! そこのオバサン、まだアタシの用事は終わっていないっ!!』
この一言と共に、学生寮のテラス上に着地した野舞歩。
即座に戦闘態勢を採りつつ、いづるの前に立ち塞がる素振りを見せたのである。
これに対していづるは『まだ食い付いて来るのかよ。……言ったハズだ。まずはアタシと被る部分をどうにかしておけと。そうでなくても、そもそも相手にする気は無いし、お前がヴァルターのオッサンの関係者なら、尚更の事だ。』と告げている。
このいづるの発言に、野舞歩は内心『なにィ!? 姉貴が言う"御館様"の事を知ってるだと!? ってか、既にアタシ関係者扱いされてるっ!?』と思い、その感情は即座にその表情に現れていたのであった。
それでもなお食い下がろうとした野舞歩ではあったが、即座になたねから止められてしまう。そして彼女から仔細を聞かされると……
『国家機密だぁ!? 何なんだよそれ! つまり何か? あの武者姿の奴の存在はアタシらですら詳細を知ったらダメって領域の代物なのかよ……』
……と、最後には絶句気味に言い放っていた。それは何処と無く悔しさが滲むものであったという。
そんな感じで悔しがる野舞歩を見て、美鶴の方から『馬場先輩……でしたか? 私の友達にちょっかいを出した事について、まだ私は許した訳ではありません。しかし、貴女が行動を控え気味に取ると約束するならば、その件も含めて水に流そうと思います。ですが、そうでなければ、私のかーさまが容赦しないと思いますので、その時はお覚悟を。』という一言が投げ掛けられ、その時野舞歩は麗しの姫君と自身が評した人物と、護国の鬼姫が母娘である事を知るのであった。
その様子を一通り見通したいづるは『んじゃ、改めてだがそろそろアタシは帰るわ。今の時間だと伊鈴婆が少し怒るかも知れないからな。それと、そろそろお前たちも建物内に入りな。雨で体が冷えれば風邪をひくんだからな。』と述べると、音もなく宙に舞い上がり、次の瞬間その場から消え去っていた。
この去り方の速さに多少呆れつつ、美鶴は那苗や小蓮と共に、同じ場にいたなたねらに母親・保護者の無礼を詫びるのであった。
これに対してなたねにせよ、野舞歩にせよ、特に反論なり何なりを返すことは無かったのであった……
(なお、野舞歩経由でなたねはいづるが"護国の鬼姫"本人である事を知らされ、改めて愕然としていたようである。特に彼女の場合、師匠にあたる人物から鬼姫に関する説明を受けた事があったものの、その事をこの時まで失念していたのであった。そのため、実物と接触した事で改めてその事を思い出し愕然としてしまったのである。)
一方、烏帽子岳から下山して俵ヶ浦半島への道を走る車の中で、クーリアは先程まで感じ取っていた"とんでもない力の波動"の事について、運転手でもある春芽に問い掛けていた。
彼女からの問いに対し、春芽は少し考えた末『クーリアさん、この事は暫く後見人のパーシング提督には伏せて欲しいと思います。もし……なのですが、彼女がこの事を知れば間違いなく憤慨から暴挙に及ぶやも知れません。そうなれば貴女もこの地には居られなくなる恐れがあります。』と、前置きした上で更に話を進める。
前置き話の時点で驚くクーリアであったが、彼女が春芽から続けて聞かされた話の内容は、まさに驚愕物と言えるモノだった……
『あの、巨大な力の波動の持ち主こそ、先の戦役の最終盤にてクーリアさんの母国の国土の何割かを"砂の海"に変えた張本人。私達の側では"護国の鬼姫"と呼ばれている……貴女方の視点て言うところの"アンゴルモアの大王"の化身なのですよ。』
……と。
その話を聞き、クーリアは言葉を失う程に唖然とするしか無かった。
"ロッキー山脈崩壊事件"と記録されている合衆国中西部を中心とする地域の砂砂漠化を引き起こした人物が、あの巨大な力の波動の持ち主と聞かされては如何なる言葉を紡ぎ出せば良いのか?
この時のクーリアでは、全く考えつかなかったのである。
そして、その一件を引き起こした人物が、友人となった美鶴の保護者である事を、クーリアはまだ知らなかったのであった……
(春芽の言動などから、クーリアは春芽がこの人物の事を知っていると察していたものの、彼女の姿勢などから誰であるかを簡単には教えないのであろうと感じていたという。)
さて、学生寮から離脱したいづる。あっという間に"隠居岳"の裏手にある山里の、更に奥地の山の中にある水梨邸の庭先に降り立っていた。
そこには彼女の帰りを待っていた家主である"水梨伊鈴"の姿があり、その表情は呆れているやら怒りたいやら複雑な表情をしていたのであった。
「ばーさん帰ってきましたよっと……って、少し怒ってる?」
「まあね、確かに怒りたいのもあるけど……山の方で何かあった事は気配などから察しているさ。しかし、アンタが介入しないとならない程だったのかい?」
「う~ん、たぶんね。今回の妖、明らかに美鶴狙いだったみたいだし、それに加えて……って、ああそうだ。コイツの事を忘れるトコだったぜ。」
「ん? コイツとは誰の……ああ、そうか。アンタまた"無明限穴"の中に誰かを入れて来たんだね? やれやれ、困った子だねぇ〜。」
いづるの発言から何か色々察した伊鈴は、少々困り気味の表情を一瞬見せたものの、即座に元の表情に戻している。
その上で彼女はいづるから買い物袋と竹籠を引き取りつつ『誰を入れてきたが知らないけど、ちゃんと説明するんだよ。私の側から話を振るにしても、それが済んでからだからねぇ。』と語ると、荷物を持って平屋の邸の中へと入って行くのだった。
ー後編へつづくー




