春の章その1(後編)
さて、余りにも滅茶苦茶な登場の仕方をしたいづる。当然の事だが、周囲の客達は慌てて安全な隣の客車へと移動している。
これに関しては当然と言えば当然の行動であるが、余りにも唐突過ぎる出来事だった為か、隣の車両に移ってもざわめき自体が収まる兆しはなかった。
そんな中、驚きから腰が抜けて尻餅を着いていた車掌の男が何とか立ち直ったかの様に立ち上がると、早速いづるに向かって怒り気味に話し掛けてきた……
「ちょっと君! 一体どういうつもりだ! 客車の天井に穴を開けるとか、他の客が怪我でもしたらどう責任を取る気だったんだ!」
「あ~、悪い悪い。急いでたモンだから着地の制動っていうか力加減を誤ってしまってなぁ。いやぁ~、実に失敗失敗。」
「なっ!? 失敗失敗と言いながら頭を掻くな! 全く反省している様には見えんぞ! 全く一体どこに天井を突き破って乗車する客がいるんだ!!」
「ん?……車掌、アンタの目の前。」
「何っ!?」
いづるの最後の発言に驚きと怒りが入り交じった様な唸り声を発して車掌は硬直してしまう。
先の戦役の最中、国鉄職員として働き出して四半世紀を数えるであろう男であるが、この様な事態に遭遇したのは初めてだった様である。
(もっとも、何が起きても良いように日頃からそれなりの心構えだけはしていた様であるが。)
そんな車掌の様子を逆に心配してか、小蓮が『あの、車掌殿』と一声発して彼の視線を自分に向けさせ、完全に振り向いた段階で早口気味に話を続けた。
『ウチのいづる様が大変失礼な事を申しまして誠に申し訳ありません。いづる様、少々常識というか、礼儀というか、その辺が"些か"ブッ飛んでると申しましょうか、そんな感じでして、本当に申し訳ありませんっ!』
そこには、袴の後部から出ている狐の尻尾が明らかに緊張から針金でも仕込んだかの様にピンっと立っていると思われる状態で平身低頭、何度も頭を下げて詫びを入れる彼女の姿があった。
また、それに続く形で、それまで席に座っていた美鶴も席を立って車掌の側に移動し、小蓮同様に詫びを入れ始めていた。
もっとも、彼女の方が小蓮より辛辣な発言をしていたが……
『車掌様、私のド阿呆でお馬鹿で甲斐性無しで取り敢えずブン殴ればどうにでもなると思い込んでいる単純単細胞な"かーさま"の非常識極まりない非礼の数々、どうか御許し下さいませ。』
斯様な発言をしつつ、その眉目秀麗ともいえる容姿をした少女までもが平身低頭、謝る姿を示しては流石のベテラン車掌もこの二人には厳しくは言えなかった様である。
一方、二人から……特に美鶴からボロクソな発言を以て評される格好となったいづるは、二人が何度も頭を下げながら謝っている間、ただ呆然と突っ立ったまま次の様な事を思っていたという。
『お、おい駄狐、お前それは酷くないか? アタシだって好きで天井を突き破った訳じゃないんだぞっ! あと美鶴さん、それは余りにも酷すぎる。お前さんにはアタシはそんな風に見えているのかぁ~!?』
小蓮に向けた心の声に対し、美鶴に向けたそれはほぼ嘆きというべきモノであり、いづるは心の中で泣いていたとか。
ただ、いづる自身は自分が"母親"として色々足りない、欠けているという点に関しては自覚していたので、程なく精神的ダメージから立ち直ってはいるが。
さてさて、少女達からの謝罪を受けて、取り敢えず冷静さを取り戻した車掌。
気を引き締め直すと、いづるに対して乗車券と特急券の提示を求め、いづるもまた持っていた弁当箱が入った袋を美鶴と小蓮に渡した後、身に付けていた巾着袋を模した物から自身も含めた三人分の券を提示している。
提示されたそれを確認しながら、車掌はいづるに対して『客車の天井に大穴を開けた件に関して、改めて事情を伺いたいので早岐駅にてお話を聞かせて頂きたいと思います。この客車を切り離して別の客車と入れ換える作業とかもあるので、終点の佐世保への到着が大きく遅れると思いますが。』と、皮肉まじりに告げている。
告げられた側のいづるはと言うと、その然り気無くトゲが入った車掌の言葉に対して『オオゥ……』と唸りつつ苦笑いをするしかなかったという……
暫くの後、列車は早岐駅へと到着した。
そこで天井に穴が開いた客車を切り離して駅構内にある予備の客車と入れ換える作業を行う事となった為、多くの乗客達は待機する事となる。
本来なら、穴を開けた張本人たるいづるへの不満なり抗議なりあって然るべきなのであろうが、どうも乗客達の様子があるべき反応ではなかった。
どちらかと言うと、自然災害にでも巻き込まれた感じの、ちょっとした諦観の様な感じで車両の入れ換える作業を見守っていたのだった。
一方、いづるが駅構内の鉄道事務所に事情聴取の為に入っていた間、美鶴と小蓮は主に当該車両の乗客を中心に申し訳なさそうな表情をしつつ謝罪し回っていた。
それに対し、大概の乗客達はそれを受け入れ、一部には逆に二人のそんな姿を気の毒と思ってか『気にしなくて良い』と言う客もいたとか。
彼ら多くの乗客達は、狐の尻尾を持つ少女や白髪朱目の少女を連れている客車の天井に穴を開けて乗車してくる様な女性が、一般人とは明らかに異なる存在である事を察していたという。
その為か特に怒る気が無かった……というより、仮に怒鳴ったところで何の解決にもならないばかりか、逆に天井に穴を開ける様な存在から如何なる報復を受ける事になるか分かったモノでは無いと思っていたとか。
そうして、一通りの謝罪を済ませた美鶴と小蓮の二人は、いづるが購入していた駅弁を分け合う形で食していた。
もっとも、いづるが食する分を敢えて考えず二人分の牛肉弁当を一緒に食っていたのであるが。
(いづるが苦手と思われる海の幸弁当を二人分残したのは、いづるに対する懲罰目的だった様である。事実、こののち佐世保へ向かう列車の中で、彼女は泣きながらソレを食する事となる。)
さて、二人が弁当を一通り食べきった時、いづるが駅構内の鉄道事務所から出てきた。
その後ろには何やら冴えない顔をしている車掌と、恐らくは駅長と思われる人物の姿があった。
出てきた彼女の姿を見て、二人が駆け寄って如何なる話が為されたかを聞いたところ、いづるの口から出てきたのは……
『あ~、なに、大した事じゃねぇよ。天井に開いた穴の補修費用をどうするかとか何とか、そんな話をしてただけだし。』
……という、わりとあっさりとした一言であった。
ソレを聞き取り敢えず安堵した二人であったが、続けて出た一言により何故車掌や駅長の表情が冴えなかったのかを理解する事となる。
その一言とは『ま、補修費用とかについては"平安京"のやんごとなき"ねーちゃん"の事を話して、そっちにツケを回したから大丈夫だ!』というモノであった。
これを聞いた二人が驚き、そして頭を抱えたのは言うまでもない。何故ならば、その理由は小蓮の心の声に集約されていた……
『いづる様、ま~た"帝"の事を話に出したんですね。ってか、毎度の事ながら色々と金銭的問題が生じる度に帝にツケを回すというのも如何なモノかと思いますよ? きっと帝から命を受けた主計部門の方が「また東雲か!」とぼやく姿が想像できますよぉ~。』
こんな事を思われているなどいざ知らず、当のいづる本人はサッパリした表情をしていたのは言うまでもない。
さて、そうこうしている内に破損した客車を他の客車から切り離し、予備の客車に切り換える作業が行われるのだが、実はここでいづるが御詫びついでに助力している。
ただ、その助力内容を見た他の乗客達は改めて彼女がただ者ではない事実を再認識する事となった。
何故なら、彼らや駅職員らの目の前でいづるが破損した客車を"片手"で"軽々"と"物理法則"を"無視"するがの如く持ち上げ、それを別の線路上にポン置きした後、今度は別の線路上にあった予備の客車を同様に持ち上げ、破損した客車があった場所にやはりポン置きしたのである。
しかもその際、いづるの容姿に変化があり、それを見た乗客の一人が思わず次の一言を口に出している。
『髪の毛の色が銀色になっただけでなく、その一部が"角"の様に変化して金色になってる。
まさかアレは"鬼"、しかも"鬼の王"か何かじゃないのか!?』
その、驚きと畏怖の感情が入り交じった言葉を聞き、他の乗客がざわついたのは言うまでもない。
一般的なヤマトの民でも鬼や鬼の王の実物を頻繁に見た事がある訳でも、ましてやそんな経験もほとんどない。むしろ「日常の中の非日常」的存在であり、望んで関わらない限り接点を持つはずが無いであろう存在が目と鼻の先に居て、尚且つその力の一端を見せた訳だから、その驚きたるや推して知るべしである。
(なお、彼らは知らないが、この時のいづるが見せた"鬼の力"ですら、極めて強く加減して行使していた。)
そうして客車を置くいづるの姿を美鶴は黙って凝視していた。その様子に気づいた小蓮が『お嬢様、何か気になる事でもありましたか?』と訊ねたところ、彼女は次の様な事を述べたという。
『小蓮、かーさまが前の駅に置き去りになった時、寝ていた私が見た夢の内容なのですが、その夢の中に出てきた"鬼の少女"と、今のかーさまの姿が重なって見えるのです。』
この一言を聞き、小蓮は驚きつつ『お嬢様が見た夢ですか? 確かお嬢様は"過古読"という力をお持ちでしたね。もしかすると……』と口に出したところで、いづるが自分達の方に向かってくるのが見えた事からそれ以上の話は続く事はなかった。
もっとも、美鶴は小声で『かーさまは余り昔の話をなされないですね。もしかしたら、今こそ聞く機会なのかも?』と語っており、それを聞いた小蓮もまた、一度頷いて賛意を示したとか。
そんな話がなされているとは露知らず、いづるは娘達が何事か話しているくらいにしか思っていなかった様である。
だが、程なく美鶴から見た夢の事を告げられた時、いづるは明らかに驚きの表情を見せており、少し迷いつつこんな事を述べている。
『別に隠していた訳じゃないさ。ただ、話す程の事でもないだろうと思っていたから、アタシの方からは話題にすらしなかった。それだけの事さ……』
そう言いながら、いづるは何気なく駅敷地から見て北側に横たわっている山の方を振り向くように彼女達から視線を外している。
だが、そんないづるが山の方を振り向いた時に呟いた一言を、小蓮は聞き逃さなかった……
『さぁて、わざわざアタシを呼び出したからには、何の事も無いとは言わせねぇからな? もし詰まらない話だったらブッ飛ばすからな……』
こんな事を言いつつ、明らかに悪い顔を見せるいづるを見て、小蓮はその言葉の意味から何事も起きない事を祈るしかなかったという。
一方で美鶴はと言うと『かーさま、また阿呆な事を考えていますね。できれば不発に終わって欲しいですが……』と、内心呆れつつ悪い顔を見せるいづるを見つめていたのであった……
― つづく ―